いい天気だった。
今日は非番で、特別何かを命じられていた訳ではなかったからぼんやりと縁側で空を見上げていた。人の身を得る前から空を見上げるのは中々好ましく思っていたから、最早癖になっているのかもしれない。晴れの日も雨の日も曇りの日も、天候は関係なくよく見上げていたと思う。理由は特にないけれど、歌仙の言葉を借りるならば、風流だからかもしれない。だからこうして、特別何もない日はのんびりと空を見上げるのが好きだった。
不意に名を呼ばれて振り返ると、そこには主である審神者が立っていた。用向きは何か、と問えば、なんと万屋に付き合って欲しいと言われた。他にも刀剣男士はいるだろうに何故自分なのだろうか、尋ねてみたい気もしたが問うたところではぐらかされるのが関の山だろう。それに、特別この人が何か画策するはずもない。単なる気まぐれなのだろう、断る理由もないので頷き、支度に取り掛かった。
いくら審神者御用達の店とはいえ、流石に内番姿で赴くのは気が引ける。戦場に出る訳でもないし、この格好は動きやすいし楽だけれども、まぁ人間も外出する時はそれなりの格好をするらしいから、それに倣うのも良いだろう。せっかく人の身を得たのだから、人間らしく振る舞うのも悪くないじゃあないか。
そういう訳で、着慣れた戦装束に着替える。いくら近場とはいえ、本丸から離れることには変わりはない。まさか時間遡行軍が現れるとは思ってもいないが、審神者を守るのも使命の一つだから、武装しておくに越したことはないだろう。
刀を差したところで、待ちきれなかったのか主がやってきた。穏やかに微笑みながら促され、そのまま後ろをついて歩く。
そういえば、万屋へ行くのに付き合うのは随分と久し振りだなと思い出す。まだ主が就任し立ての頃はよく付き合っていたけれど、刀剣男士が増えてからはそういう機会に恵まれなくなった。本丸には主のお供を望む声は絶えないし、そういう連中と張り合ってまで、とは思えなくて、いつも見送ることが多かった。と、言っても別段不満に思うことはない。刀として全く使われなくなった訳でもないし、主はそこのところ上手で満遍なく刀剣男士を扱うようにしていたから、存在を忘れられている訳ではないのだ。平等、がこの本丸のモットーだった。短刀から薙刀に至るまで、全てが平等──それはひどく、心地がよかった。
特別扱いは好きじゃない、あくまでも自分達は"物"で、単なる"付喪神"だから。人の子のように振る舞うことは出来ても、その実、人にはなれるはずもない。線引きめいた主のやり方は道理に適っているいると思う。
そんなことをぼんやり考えていたら、いつの間にやら万屋に着いていた。いけないいけない、一応警護の意味も込めて付いて歩いているというのに。まぁこの辺りはごろつきがうろうろしていることも多くないし、もしも絡まれたら流石に気が付いていただろうから問題はなかったかもしれない。暖簾を潜ると、そこには見慣れた顔がちらほらと。審神者御用達の万屋だから、他の本丸の刀剣男士もうろうろとしているのだ。
久し振りとはいえ、よく来ていた店だから大体陳列しているものは覚えていた。特に変わりないそれに少しの安堵を覚えながら品揃えをぼんやりと眺めていると、不意に小さな背中が目に入る。
見慣れない姿だ。興味がそそられたのか、思わずじっと見つめていると、こちらの視線に気付いたのか、それとも作業が終わったのか、よいしょと立ち上がる。
「あ、いらっしゃいませ」
振り返ると、にっこり微笑みながらそう言った。どうやら新しい従業員らしい。前に来ていた頃は主人だけで切り盛りしていたが、いつの間にか人を雇ったようだ。華奢な身体つき、まあるい肩、吹けば飛んでいきそうな小さな姿だった。
「…あの、何か?」
彼女は不思議そうな顔をして首を傾げた。商品を見る訳でもなくしげしげと全身を見つめていたから当然の反応だろう。それでも訝しむ様子がないところを見ると、余程純粋なのか、それとも不用心なのか。
「いや、なんでもないよ」
「そうですか」
にっこり笑った彼女は頭を軽く下げて、店の奥の方へと歩いて行った。見送っていると、風に乗ってふわりと甘い香りが鼻腔を擽る。本丸でも、勿論戦場でも嗅いだことのないその香りに、なんだか胸がざわついた。理由はわからない。けれど、その後、買い物を終えた主に声を掛けられるまでぼんやりと彼女が消えていった方向を見つめていた。



:::




「また、僕が行くのかい?」
思わず聞き返すと、穏やかな顔をした審神者は頷いた。なんとこの人は、今日も万屋に付き合ってくれと言うのだ。そりゃあまだ刀が少なかった開設当初だったらわかるが、今やこの本丸は色んな刀剣男士達がいるのだ。平等にどの刀も扱っていたはずの主が、何故か連続で自分を指名した。たまたま暇そうにしていたのが目についたのか、それとも何か意図があるのか。それは定かではなかったが、逆らうような内容でもないし、大人しく身支度に取り掛かった。
先日も歩いた道をぼんやり眺める。まさかこんなにはやくまたこの道を歩くことになるとは思っていなかったから、なんとも言えない心持ちだった。前を歩く審神者の真意はわからない、もしかしたら本当にただの気まぐれなのかもしれない。
そうこうしている内に、万屋が見えてきた。店の前にはぽつんと一人の女の子が立っている──この間の子だ、と思ったらどくんと心臓が強く鳴った気がする。
せっせと入り口付近を竹箒で履いていた彼女はこちらに気が付くと、顔を上げてにっこりと微笑んで、
「いらっしゃいませ」
そう、お決まりの言葉を告げる。たったそれだけのことなのに、何故だか妙に胸がざわつく。そういえば、この間彼女に会った時もそうだったな、と思い出す。もしかして何かしらの力を持っているのだろうか、万屋の主人は、確か何の変哲もない普通の人だと聞いたことはあったけれど。
「え、君、一人で?」
思わず素っ頓狂な声で聞き返してしまった。何を考えているのか、万屋へお供しろと言っていた張本人が何故か店の前で待っていろなんて言い出したのだ。曰く、主人と積もる話があるから、とか。
いやいや、ちょっと待って欲しい。別に積もる話があろうがなかろうがどうだっていいけれど、だったら自分も連れていけばいい話だ。そもそも護衛任務の一環でもあるのだから、傍を離れるのはおかしいだろう。慌てて反論しようとすると、そそくさと店に入ってしまうから始末におけない。そうして、残されたのは困惑しきった刀と、小さな女の子が一人。
「…置いて行かれちゃいましたね」
「…うん」
「中に、入らなくていいんですか?」
入っても良いが、多分すぐに追い出されるだろう。あの人は案外頑固だから、一度こうと決めたことは譲らないのだ。
「いいよ、主命、だしね。掃除の邪魔だったらもう少し離れてるけれど」
少し意地悪な言い方だったにも関わらず、彼女はくすくすと笑いながら
「大丈夫です、せっかくだから少しお話しませんか?」
なんて言い出した。
まさかそんなことを言われるなんて露ほども思っていなかったから、目を丸くしてしまう。驚いたこちらを見て、微笑みながら首を傾げる姿は多分、愛らしいと言えるのだろう。また胸がざわめいて、うるさいそれに気を取られたから、
「…うん、いいよ、別に」
なんて、実にらしくない言葉を返してしまった。
それから色んな話をした。店のこととか、主人のこととか、やってくる審神者と刀剣男士のこととか、色々と。そんな中で、ふと気になっていたことを口にした。
「君はどうして、ここで働いているんだい?」
純粋な疑問だった。主から聞いた話だと、色んな職業が跋扈している世の中になっていて選びたい放題だと聞いた。そんな中で審神者の道を選んだ我が主は、中々に変わった人だと思っていた。万屋だって、審神者ほど危険な職業でもないが、決して楽な商売じゃあない。まぁ、仕事に楽も何もあったもんじゃないだろうけれど。
「お給料が、良いからですね!」
「……え?」
ぱちぱち、まばたきを繰り返す。多分、今ものすごく間の抜けた顔をしているのだろう。そんなこちらを意にも介さず、彼女は意気揚々と語り出す。
「審神者御用達のお店ということで政府の目が特に厳しい職場なんですけど、その分、お給料がめちゃくちゃ良いんです」
「…うん?」
「普通接客業ってそこまで高給取りには中々なれないんですけど…あ、ハイブランドとかは別ですけどね、でもここはかなり破格のお値段なんですよ!」
キラキラと目を輝かせた彼女は、純粋なのかそうじゃないのか、いまいち掴みかねることをのたまう。でもあんまり楽しそうに語り出すその様子はひどく可愛くて、肩を震わせたり顔を抑えたりして我慢をしていたのだけれど、沸々と込み上げてくるものを堪え切れなくてとうとう笑い出してしまった。
「あ、なんですか、急に笑い出して」
「いや、うん、ごめん…」
「とか言いながら笑ってるし…」
笑われたことが恥ずかしいのか、馬鹿にされていると思ったのか、彼女は少し不貞腐れたように唇を尖らせた。あぁ、可愛いな。そう思ったと同時に、ひどく驚いた。
今までだって勿論、可愛いと思ったことはある。それは付喪神として主人を見守ってきた時もそうだし、顕現してからも短刀達などに思ったこともある。でも、今思ったのは多分、これまで思ったどれとも違う種類の感情だ。それの正体は何なのか、答えは考えても出ない。
「…あの?」
「あ、あぁ。ごめん、なんだったかな」
声を掛けられて、ハッとする。取り繕うように笑うと、訝しむような顔をした彼女は、顔を覗き込むように背伸びする。
「具合が悪くなったとか、じゃないですよね?」
「…まさか」
だって、刀剣男士だよ?そう言外に含ませると、ほんの少し顔を歪めた彼女はすとんと上げていた踵と地面に下ろす。
そう、自分は刀剣男士なのだ。人の身を得た付喪神、いくら人の真似をしたところで刀は刀、本質は変わらない。だから心が躍ることもなければ、悲しむこともない。ただ敵を斬るために存在する、ただの"物"なのだ。それなのに。
「ねぇ、名前、教えてください」
「え?」
「貴方の名前」
何を言ってるのか、よく理解出来なかった。だって彼女は知っているはずだ。この万屋には色んな本丸から色んな審神者が来る、だからお供している色んな刀剣男士が来るのだ。
「僕の名前、知っているだろう?」
だからきっと、自分と同じ刀が来ていても不思議じゃない。そのはずなのに。
「──それは、貴方じゃないでしょう?」
どかん、とまるで頭を殴られたような衝撃。
「私は、貴方の名前が知りたいんです」
真剣な眼差しは痛いくらいで、逸らそうと思っても逸らせなかった。胸の中に、何かが湧きあがる。あたたかいのに苦しくて、ぎゅっと締め付けられるような感覚。これは、一体なんだ。
「私は、です。つい一週間前から万屋に勤めています」
ふわっと、まるで花が綻ぶみたいに微笑んでそう告げる彼女を見たら、唇が勝手に動き出す。声が震えそうで、それをなんとか堪えながら告げると、彼女は目を細めて嬉しそうに笑った。
「青江さん、これから宜しくお願いします」
あぁ、わかった。これは、人の身を得た時と同じ感情だ。
空を見上げる。驚くくらいの快晴は、どこまでも優しく降り注いで、思わず顔を覆った。


晴れのち晴れ

17/12/21