最近、どこか妙だった。
あの日を境に、主である審神者に言われるがままに万屋に付き合うことが増えている。当然、主の傍を片時も離れたくない連中から、嫉妬のような視線をぶつけられることも少なくない。"物"で"神"であるとはいえ、独占欲というのはいっぱしにあるものだから本当に不思議だ。これは人の身を得たから思うのか、それとも以前からある感情なのか、それは定かではない。まぁ、どちらでもいいのだけれど。
そんな連中に少しばかり気は引けるものの、指名されてしまえば勿論断るはずもなく。長谷部の言葉を借りるならば、主命なのだから仕方ないだろう。逆らったところで、どうにかして連れて行かれるのだから大人しくしている方がずっと楽だ。呼ばれるがまま支度して、門で待っているだろう主の下へ向かった。
「おや、どこかへお出掛けかい?」
歩いていると、不意にそんな声を掛けられる。落ち着いた声色は穏やかそのもので、振り返るとやっぱり穏やかな顔をした石切丸が目に入る。
「やぁ、石切丸さん。これから主の付き添いだよ」
「あぁ、万屋か。最近頻繁だね」
全くだ。
苦笑を滲ませながら頷くと、彼はふふっと口許を弛ませた。
石切丸の言葉通り、ここ最近万屋に行くことがかなり増えた。勿論、戦いが増えて物資が必要になっているのもあるだろう。時間遡行軍も中々頑張っているらしく、向かう時代も増えたと思う。それにしたって、この頻度は流石にどうかと思うが。
よく近侍を勤める他の刀に聞いたところ、どうやら最近の主は買い物を調整しているらしい。一度に大量に買うのではなく、大抵は一、二個手に取っては会計に向かうそうな。荷物が多くなるから、と理由を付けているらしいが、それにしたって少なすぎる。何のために供を連れて歩いているのかわからなくなるくらいの量らしい。当然、そうなると万屋に行く回数は増える訳で、必然、供をする回数が増えるのだ。
「主は、いつの間に買い物好きになってしまったんだろうね」
「…さぁ、僕にはよくわからないねぇ」
「おや」
濁すような言い方になってしまったが、紛れもない本音だった。実際、あの人の買い物の様子を全く知らないのだから仕方がないだろう。いや、昔は知っていた。計画的に、だからといって出し惜しみする訳ではなく適度に購入していたと思う──最近の傾向は全くわからないけれど。
「いつも外で待つように言われるからね、本当によくわからないんだ」
そう、供として行くというのに、いつも外で留守番なのだ。外なのに留守番というのも変な話なのだが、事実なのだから仕方がない。
「外で?何故だい」
驚いた様子の石切丸の反応は至極当然のものだったが、勿論答えを返せるはずもない。答えを知りたいのは、こちらも同じだった。
曖昧に笑って肩を竦めてみせると、聡い彼は何も言わずに見送ってくれた。全く、ここの主は本当に何を考えているのかわからない。昔の主とは言葉を交わせた訳ではなかったけれど、それでもそちらの方がまだ思考が読めたような気がする。時代が違う、と言われてしまえばそれまでだが、それにしたって意味がわからない。だというのに、不思議と足取りは軽かった。




:::




いつものように店の前に着くと、いつものようにが出迎えてくれる。この時間帯はどうやら来店が少ないらしく、丁度掃除をする時間なのだとか。偶然にも主が向かう時間帯も同じで、理由を聞いたところ、店内をゆっくり見られるから良いのだとか。どうせ吟味して買うのであれば、まとめて買えばいいのに、と思わなくもないが指摘したところでのらりくらりかわされるのがオチなので諦めて見送った。
「今日は青江さんなんですね」
「うん、僕だよ」
そう告げると、何がそんなに嬉しいのか、彼女は目を細めてはにかんだ。可愛いな、と思うのは初めて会った時と同じで、やっぱり今まで感じたことのない気持ちだった。理由は全くわからないけれど、どうやら彼女のことを気に入っているらしい。不可解だったが、彼女といる時は穏やかな気持ちになれることは確かだった。
「前は誰が来たんだい?」
「確か小狐丸さんですかね。でも私、青江さん以外とはあんまりお話しないので」
「へぇ」
意外だ。人懐っこい子だから、きっと色んな刀剣男士と話しているとばかり思っていた。それが、自分だけ。むずむずと胸の奥が疼く、理由はわからない、わかりたいとも思っていない。
「だから、青江さんが来ると嬉しいですね」
「そう?なら来た甲斐があったよ、暇つぶしの相手くらいは出来るからね」
目を丸くしてきょとん、とした彼女は少ししてから目を伏せる。その仕草にどくん、と胸が大きくなった。そんな顔をさせたい訳ではないのに、そう思ったら手が伸びていた。自分より遥かに下にある頭は、身体と同じくやっぱり小さくて、掌より少し余るくらいの大きさだった。ふわふわな髪は、きっと手袋越しじゃあなければもっと心地よいのだろう。
「青江、さん?」
不思議そうな顔をした彼女は、零れ落ちるんじゃないかと思うくらい目を丸くしていた。かく言うこちらも自分の行動に驚いている、なんでこんなことをしているんだろう。そう思うのに手は言うことを聞かなくて、柔らかな髪の感触を楽しむように、まるで慈しむように彼女の頭を撫で続けていた。
しばらくそのまま過ごしていると、不意に彼女がくすりと笑う。笑い出したら止まらないのか、楽しそうに嬉しそうに顔を綻ばせていた。その様子を見て、自然と口許が弛むのを感じる。そういえば、人はつられて笑うこともあるんだっけ。本丸では自分から笑うことはあっても、周りにつられて笑うなんてことはあまりなかったから少し意外だった。いや、別に仲が悪いという訳ではない、そもそも刀剣男士に仲の良さが必要かどうかはわからないけれど。
「ありがとうございます」
「うん?…どういたしまして?」
何故お礼を言われたのか皆目見当がつかなかったが、こう返すのが礼儀なのだということは理解していたので唇を開くと、彼女は益々おかしそうに笑った。一体何がそんなにおかしいのだろうか、そう思う気持ちはあったけれど込み上げてくるものを堪え切れずにこちらも笑ってしまった。それを見て、目を細める彼女はやっぱり可愛いと思える。不思議なもので、どうやら自分は彼女の笑顔を気に入っているらしい。これまで、どんな主にもそんなことを思ったりはしなかったというのに。
「僕は、随分好きみたいだ」
「え?」
「──君の笑顔が」
「……あ、あぁ、はい!ありがとう、ござい、ます」
頬を赤くした彼女はどこか動揺したようにパタパタと身振り手振りをしながら、最終的には俯いてしまった。消え入りそうな声は妙に耳に残る。顔が見たいな、と思ったのは正直な感想で、そう思った自分にひどく驚いた。顔を見たところで何かがある訳ではないというのに、そもそもなんで顔が見たいと思うのか。納得できる回答は勿論用意出来るはずもなく、ただ首を傾げるばかりだ。
「…あの、」
「うん?なんだい」
まだ目元を赤くしたままの彼女が、そろそろと顔を上げた。声が小さかったので覗き込むようにして背中を丸めると、はにかんだ彼女は小さく呟いた。
「私も好きですよ──青江さんの、笑顔」
どくん。胸が脈を打つ。ドキドキと早鐘のように心臓が動いて、止まらなくて。いや止まったら人の身は死んでしまうんだっけ。でも、このままだとそれはそれで死んでしまいそうな気がするのだけれど。
ぶわっと、頬が熱くなるのを感じる。真っ直ぐにこちらを見つめながら微笑む彼女を見ていられなくて、視線を逸らしたまま口許を抑えた。まずい、いや何がまずいのかわからないのだけれど、とにかくまずい。
「…」
「青江、さん?」
不思議そうな声が耳に届く。視線を戻すと、きょとんとした顔が目に入って──あぁ、好きだな、と思った。
ちょっと待て、好きだな?どういうことだ、そんな馬鹿な。主以外を好きになったことはなかった。元々"物"なのだから、そもそも好きとか嫌いとかそういう感情とは無縁のはずだった。気に入ることはある、"物"とはいえ"付喪神"の端くれだから、そういう気持ちを味わうことはあった。だが、今の感情は違う。好き?誰が?誰を?
くらくらする、よくわからない感情が渦巻いている。これが心というものなのか、そうだとするならばこんな気持ちの悪い、厄介なものはどこかへやってしまいたい。そう思うのに。
「青江さん?」
見上げてくる瞳はどこまでも純粋で、どこまでも綺麗で、吸い込まれそうだった。その瞳を見つめていると、もう何もかもがどうでも良くなってきて。口元を抑えていた指先をそっと彼女の頬に寄せて、撫でる。手袋の感触に驚いたのか、それともこちらの行動に驚いたのか、彼女は目を丸くした。それでも視線は逸らさない辺り、頑固なのか、素直すぎるのか。すぅ、と身を屈める。さらり、と髪が揺れて、後もう少しで彼女の頬に片目を覆う前髪が触れる──次の瞬間。
ガラガラガラ、と音がした。視線をやると、扉が開いていて、風呂敷を抱えた主がそこに居た。目を丸くした主を見るのは、随分と久し振りなような気がするなとぼんやり思った。
「やぁ、買い物は終わったのかな?」
彼女の頬をひと撫でしてから、すっと背中を伸ばす。自分でも驚くくらい、いつもと変わらない声音だった。内心、どくんどくんと心臓がうるさいくらいだったけれど、聞こえていないだろう、多分。頷く主に、そう、と返して、道を開ける。動揺した様子も見えない辺り、流石というべきなのか、なんなのか。
後を追って、数歩進んだところで、くるりと振り返る。茫然とした彼女はやっぱり愛らしくて、見ているだけだというのに胸がざわついた。
「じゃあ、またね」
そう呟くと、弾かれたように彼女は顔をぼっと赤くして、困惑しきった顔のまま頭を下げた。その姿に口許を弛ませながら、前を歩く主を追った。道中、随分と機嫌が良さそうだと言われて、首を傾げる。自分でもよくわからない、けれど彼女といるとまるで自分が自分じゃあなくなりそうな気がする。不思議なことに──それが全く嫌だと思えない。


芽生え

17/12/27