「君、いつまでそうしているつもりだい?」
昼下がり、特別出陣もなければ内番も割り当てられていないなんでもない日、陽だまりの降り注ぐ畳の上でごろんと横になっていたら、そんな風に声を掛けられた。声の主は見知った相手で、この本丸に顕現してからの付き合いになる。だからお互い、遠慮もへったくれもない。心底呆れたような顔をしているのもそういうことだろう。
「やぁ、歌仙。君もするかい?気持ちが良いよ。日向ぼっこのことだよ?」
「わかりきったことをわざわざ聞くんじゃない」
つれない言葉の割に、彼は日の当たる畳の上に座り込んだ。勿論、彼が愛している雅な佇まいで。おや、とは思ったが、陽だまりが差し込むこの部屋で見る庭の風景は中々に雄大だ。どうやら彼も手が空いているようだし、そうなれば誘いに応じるのも当然かもしれない。
しばらくの沈黙、だからといって特別気を遣うような相手でもない。話す行為は嫌いではないが、四六時中話していたいと思うのはまた別の話だろう。のんびりとした時間を、ただぼーっと過ごすのも中々に風流なのではないだろうか。と、思っていたら、不意に彼が唇を開く。
「君、何かあったろう」
質問ではなく、断言だった。らしいといえばらしいが、あまり雅ではない言い方だった。彼に告げたら、君に雅の何たるかがわかるのかい、なんて皮肉が飛んできそうだったが、そう思ったことは確かなのだから仕方がない。
「おや、そんなに僕に興味があるのかい?」
丸くした目を細めて、からかうように告げると、きゅっと眉間に皺を寄せた彼は不機嫌そうに答えた。
「断じてない。だが、気付いてしまっては放っておけるはずもないだろう」
煙に巻けるとは到底思っていなかったが、予想だにしない答えが返ってきたから驚いてしまう。そうだった、彼は案外情に厚い奴なのだ。これは、のらりくらりかわして誤魔化すことは難しそうだ。直情型に見えて存外思慮深いことは嫌というほど知っている、ただ本丸では中々どうして怒りっぽい人だと思われがちだが。
ふぅ、と溜息を吐く。何かあったか、そう、実際何かあった。自分でも訳がわからないことが、この身に起きていた。
つい先日、に触れた。触れただけでは飽き足らず、そのまま口付けようとした。"物"である自分が劣情を抱くとは到底思っていなかったけれど、ひどく心を揺さぶられて、なし崩しに口付けようとしてしまった。揺さぶられるような心があったのか、なんて気付いた時にはもう遅くて、今更ながらあの時、主が丁度良く店から出て来て助かったと思う。
あの日以来、彼女を思い出すことが格段に増えた。起きた時、ご飯を食べている時、誰かと話している時、一人でぼーっとしている時、寝る前。流石に戦闘中によぎることはなかったけれど、それにしたって多過ぎる。先程までだって、は今日も元気に外を掃いていそうだな、なんて思っていたくらいだ。
こんなことは今までなかった。今の主にも、これまでの主にも、誰のこともこんな風に考えたことなどなかった。それなのに。
「僕は、どうしてしまったんだろうねぇ」
彼女のことを思い出す度に、胸がぎゅっと締め付けられるような感覚に陥る。何かの不具合かと思って主に申し出てみたが、手入れの必要はないと言われた。それどころか、成長の証だと。大脇差がこれ以上、成長することがあるのだろうか。そもそも人の子じゃあないんだから、成長も何もあったもんじゃないと思うのだけれど。
どうしてこんなに彼女のことを思い出すのか、どうして彼女のことを思い出すと胸が苦しくなるのか。ここのところ、ずっと考えてみたけれど答えが出る気配はまるでなかった。まるで暗闇の中をあてどなく歩いている気分だ、目的もわからないままに彷徨う様は傍から見たらきっと滑稽に違いない。
「君はね、青江」
凛とした声は、頭の中の靄を取り払う。
「──多分、恋をしているんだ」
「……は?」
言っている意味がよくわからなかった。がばっと起き上がり、間の抜けた顔で見つめると、真剣な顔が目に入る。いやいや、何を言っているんだ、そんなことがあるはずがない。
「歌仙?君、何か悪いものでも食べた?」
「いいや、僕は正常だよ。今日の昼餉は自信作だ」
そうだ、今日の厨当番は彼だった。それなら何か変な食材に中ったか、きっとそうに違いない。
「主から、君がこの間、女性をかどわかそうとしていたのは聞いたよ」
「人聞きの悪いことを言わないでもらいたいな」
かどわかしてなんかいない、ただ口付けようとしただけだ、理由はわからないけれど。
「そんなことはどちらでもいいよ。問題は、君が、人に興味を持ったということさ」
いや、これまでだって人間は興味深いと思っていた。いつの時代も振り回し、振り回され、破滅を辿るものもいれば幸福に暮らすものもいた。同じ人間なのに、どうしてこんなに個体差があるのだろうか、と一時期考えたこともある。その時は運なのだと思ったけれど。
「いつもふらふらしていて、執着なんて言葉とは無縁だった君が、誰かに興味を持った」
──それが、ただの気まぐれだと断言出来るかい?
言葉に詰まる。正直なところ、断言するほど今の自分を客観視出来ていないからだ。しかし、だからと言って、恋だなんて。有り得ない、だって自分はただの"物"で、たまたま審神者である主に生み出された刀剣男士だ。歴史を守ることが使命、それだけのために生きている。時間遡行軍がいなくなれば、きっとただの刀に戻るだけ。そんな刹那的な存在が、恋だなんて。
「僕はね、良いと思うよ」
静かな声は、よく部屋に響く。
「恋くらいなんだって言うんだい。僕達は今、人の身を得ている。心があるんだ」
真っ直ぐと見据えられた瞳には、どこか優しさがあった。
「君もいい加減、意地なんて張らないで心のままに動いてみたらどうだい?──僕らと彼女は、きっと同じ時を生きられないよ」
だから、後悔しない道を選ぶと良い。
どかん、とまるで後頭部を殴られたような衝撃だった。言われてみれば確かにその通りで、戦いがはやく終わろうと長引こうと、刀生と人生はきっと同じ結末を迎えない。そもそも折れる可能性だってあるんだ、どちらかが見送ることになることには変わりがない。そもそも、彼女がいつまであそこにいるかだってわからないのだ。
でも、今なら──同じ時を、生きれる。
ぼすっと寝転がる。残念ながらふかふかの座布団を用意していた訳ではないので、髪の結び目と背中が少し痛んだ。そうか、そうなのか。言われてみればしっくりと来てしまう、今まで誰にも抱かなかった感情は、きっと歌仙の言う通りで。
「…そっかぁ」
恋、なのだ。
有り得ない、馬鹿馬鹿しい、身の程知らず。そう思わないと言ったら正直嘘になる、けれど納得して、理解してしまった。すとん、と胸に落ちてしまった。なんだかおかしくなる、込み上げてくる笑いを堪えることもせず、両手で顔を覆った。
「恋、ね」
まさか自分がそんなものに落ちるなんて、到底思ってもみなかったからひどく驚いている。でも、それ以上に、なるほどなぁと思っているのも事実で。よくよく考えてみたら、一目見た時から恋に落ちていたのかもしれない、小さな体躯、その割に芯のある瞳、まるで花が開くような笑顔、全てが愛しい。知らなかった、でも知ってしまった。そうなったらもう、後戻りなんてきっと出来ないのだ。
「すっきりしたかい?」
「うん、すごく」
「それはよかった。いつまでも湿っぽい顔で黄昏られたら迷惑だからね」
ふん、とひとつ鼻を鳴らして言う彼は、きっと彼なりに心配してくれたのかもしれない。しかしそんなに表に出していただろうか、何を考えているかよくわからないと言われることが多いというのに。
「付き合いの長さだよ」
おや。どうやら何もかもがお見通しらしい。なるほど、これが本丸開設当初からいる刀の力か、中々どうして侮れないものだ。
よっと起き上がり、乱れた髪を適当に直しながら、ふと疑問に思ったことを口にする。
「そういえば、君が後押しするなんて意外だなぁ。てっきり、ただの人間に肩入れするなと言われると思っていたよ」
「僕が?何故」
やれやれ、と言わんばかりに頭を振った彼は、ふっと楽しげに自慢げに微笑む。
「──刀の恋なんて雅なもの、この僕が壊すとでも?」
なるほど、これはまいった。
両手を挙げてみせると、はっはっはと楽しそうに高笑いをしていた。全く、刀は主の写しなんてよく言ったものだ。そういうところ、主にそっくりだよ、本当に。


認めてしまいなよ

17/1/17