──トンッ
恋に落ちる音がした、なんてそんなロマンチックなことは起きる筈もなく。足元にはゴロゴロと缶詰や果物が転がっていた。思わず溜息が漏れるのは見逃して欲しい。
どうやら詰めれるだけ詰めた紙袋から落ちてしまったようだ。ちなみに拾ってくれるような善人はここには居ないようで、抱えた紙袋の重みをじわじわ感じつつ、どうしたものかなぁとぼんやり思った。
このまましゃがみこんで拾えば、それこそ二次被害が起きそうだ。何せ"詰めれるだけ詰めた"のだ。ずしりとした重みが腕に響く。痛い、重い。そもそもなんでこんなに買い込んでしまったんだっけ、と自分の行いを今更悔いたところで時は既に遅い。
うーん、と唸ってみても、周りは知らんぷりで通り過ぎるばかり。冷たい街だ、なんて思わない訳でもないが、それはちょっとした八つ当たりというものだろう。
さて、取り敢えずこの状況は打破しなければならない。ゆっくりゆっくり、その場にしゃがみこんでいく。持ったまま拾ってやろうなどという余裕も腕力もない。もうこれを一度下ろしてしまってから、また抱え直せばいいと思ったのだ。その時に掛かる腰の負担については、取り敢えず無視する方向で。
ゆっくり、ゆっくり。今ならドミノだって結構な列を作れる気がする。それくらい慎重に荷物を下ろしていた。つもりだった。
カツン、と何かが蹴られた音がした。あとから気付いたけどそれは恐らく最初に落とした缶詰だったのだろう―やっぱり缶詰は下にいれるべきだったなぁ、でも下に入れて底ごと抜けるのは嫌だったからなぁなんて反省も今は意味を為さない―誰かが蹴った缶詰はコロコロ転がっていった。今まさにもう少しで地面に到達しそうだった紙袋の下にだ。結果、紙袋は横転した。
ガチャン!と倒れた紙袋。中身の行方はもう言葉にするまでもないだろう、ジーザス。結果、半径1メートルくらいの範囲で広がってしまった荷物に私は天を仰ぐほかない。そしてやっぱり、周りは知らんぷりで通り過ぎるばかりなのだ。ちくしょう、今度から街中で似たような人を見かけたら絶対助けてやるからな、まだ見ぬ可哀想な人よ待っててくれ。
「大丈夫かい?」
そんな下らないことを考えていたら、優しげな声が耳に届く。ぐるりと首を捻ると、そこには高そうなスーツ着たいかにもブルジョワジーな男性が立っていた。頬に傷があるものの、充分色男だと言える。わーかっこいー足ながーいって違う違う。
「あ、あーえっと、まぁ、大丈夫ではないですねぇ」
「そうだろうね、これだけぶちまけりゃ」
「ははは…」
色男は肩を竦めてみせた。色男は何やっても色男だなぁなんてぼんやり考えていたら、なんと彼は缶詰を拾い上げていた。缶詰だけではなく、周囲に散らばった果物、野菜、はたまた肉類。
「何やってるんだい?はやく拾い集めないとかっぱらいに会うぜ」
「す、すみません!」
言われて気付く。そうだ、ここは故郷のように穏やかな街ではない。人の不幸につけ込んだ強盗、というには大袈裟かもしれないけど、そういう事が起きたとしても文句は言えないのだ。
慌てて拾い集めると、彼はくすりと笑った。人の間抜けを笑うなんてひどいと思わないでもないが、そこは彼の顔に免じて許そう。というかこれだけ通りすがりが居て、率先して拾ってくれたのは彼だけなのだ。感謝こそしても、怒るのはお角違いというものだろう。
「──さて、大体拾い終わったかな」
「本当にありがとうございました…!」
ぶちまけた荷物は思っていた以上に多かった。しかもその殆どを彼が拾ってくれたのだ。色男は中身まで色男なようだ。これは女性が放っておかないだろうなぁ、なんて無粋なことを考えつつもう一度深く頭を下げる。
「いやいや、気にしないでくれ。それより君、一人で持って帰れるかい?なんならタクシー拾おうか」
どこまでも色男か。
「いえ、大丈夫です。もうそこの通り入ったらすぐ家なんです」
「あぁ、それは随分不運だったね」
「まさか家まであと少しの所でぶちまけるとは思いませんでしたよ」
二人で笑い合う。さて、と荷物を持ち上げようと腰を下ろすと、目の前の紙袋はすっと彼の腕の中へ。
「え、え!?」
「近くなんだろう?君みたいな小柄な子に持たせたら、また数メートルでぶちまけそうだし」
意外と失敬だな、と思っていたらスタスタとその長い脚を動かしてどんどん先へ行ってしまう。
「え、ちょ!待って下さい!そこまでさせるのは、流石に悪いですよ!!」
「いいよ、僕は気にしないから」
「いや私が気にするんですけど!」
「じゃあ提案だ」
ぴたりと足を止めた彼が振り向く。見上げた顔は実に楽しそうで、少し子供っぽくも見えた。
「お礼と言ってはなんだがサブウェイに付き合ってくれ。実は今腹ペコなんだ」
「…新手のナンパだったりしますか?」
「そうかもね」
「こんな色男なのに、私なんかナンパしてどうするつもりなんです?」
「さぁ?」
自分から言い出しておいてなんだが、このニヤニヤとした笑顔は絶対ナンパじゃない。多分、単なる暇つぶしだ。
「わかりました、奢ります。その代わりお名前くらい教えて貰えます?」
「おや、ナンパかい?」
「知らない人についていく程、愚かじゃないってだけですよ」
「なるほど、真理だ」
そういって、ものすごく楽しそうに笑った彼は恭しく頭を垂れて、紙袋から最後に詰めた缶詰が落ちる。
「スティーブン・A・スターフェイズだ。知り合いはスカーフェイスなんて呼ぶよ」
です。缶詰落とさないで下さい」
「こいつは失敬」
──トンッ
カラコロと、落ちた缶詰の行方はいかほどに。


落ちたのは、缶詰か心か

15/05/23