「あー、来週は無理そうだ」
「忙しくなりそう?」
「うん、まぁね。予定がいつ変わるかわからなくなりそうなんだよ
「じゃあ、また連絡してくれますか?再来週の頭とか落ち着いた頃にでも」
という会話をした日から、早くも一週間が過ぎた。
案の定というかなんというか、今週の予定はバタバタしていて、やれ会合だ、やれ事件だ、やれ血界の眷属だ、と予定は変更に変更を重ねていた。お陰で書類仕事は全くといって片付かず、レオナルドに補助作業を頼む始末だった。
ようやく山場を越え、仮眠も取れるくらいに落ち着いてくると、ふと彼女はどうしているだろうかなんて考えてしまう辺り、自分の生活に彼女が侵食している事を改めて知る。
忙しくなるであろう旨を伝えると、気遣ってくれているのかこちらから連絡を一つでも入れない限り、彼女から連絡は一切ない。平時であれば、「今週末いかがです?美味しいイタリアンが食べたくなったんですけど」なんていう食事メインの誘いが飛んでこない事もないのだが。そういう色気があまり感じられない誘いを受ける度に、まるで意識されていない事実を実感して少し落ち込む。理由もなく会いたい、なんて思うのは自分だけなのか。友人として、男として、虚しさを覚えるのも仕方がないだろう。
「スティーブンさん、こっち終わりましたよー」
「あぁ、ご苦労さん」
レオナルドが仕分けた書類を抱えてくる。彼にも随分無理をさせてしまった、バイトもあるだろうに。今月は活動費用加えてに手当てを出すように進言しておこう。受け取りを渋るかもしれないが、そこはギルベルトに任せよう。援護射撃は勿論行う予定だが。
書類を受け取り、ざっと中身を確認すると彼の仕事っぷりがよくわかる。ザップではこうは行かないなと思ったが、そもそも奴は机にかじりついて書類を見ることさえしないだろう。全く、レオナルドの存在は有難いものである。
「よし、良いだろう。すまなかったね、少年」
「いえいえそんな!僕、ただ書類を並べ替えたり種別ごとにまとめただけですから」
「結構それが手間なんだよ、お詫びに昼飯でも奢ろうか。何がいい?」
「えええいいんですよ!」
「良いから。ほら、何が食いたい?」
この少年は、存外遠慮がちなのでこういう時は押し通すに限る。
ええぇ、と声を漏らしながら知る限りの飯屋を頭で並べているだろう彼の困惑した表情は可愛いもので。きっと値段と自分を連れていくということを考えて悩んでいるのだろう、別にこちらも常に高級料理を食べている訳でもない。ファーストフードだって食べるし、要するに腹を満たせればそれで構わないのだ。そりゃあ美味いに越したことはないが。
いつまで経っても、店の名前どころか種類すら出てこないのは、相方とも呼べる先輩が常に強引に店を決めるからだろうか。仕方ない、ここはこちらから提案するとしよう。
「そうだな、手軽に食える方が良いだろう。サブウェイでも良いか?あぁ、少年はジャック&ロケッツの方が好きだったっけ」
「え、あ、いや、スティーブンさんのお好きな方でいいっすよ!」
「じゃあジャック&ロケッツバーガープラントにしよう、サブウェイはこないだ食べたしね」
「うぃっす」
一時期、毎日通って食べていたのでハズレはないであろうと思い、半ば強引に店を決めた。レオナルドもほっとしたように息を吐いている。
「さて、じゃあ行こうか」
頷いて、大人しく後ろをついてくるレオナルドは、なるほど可愛いもので、ザップが構い倒すのもわかる気がするなぁ。



:::



昼時を少し過ぎた頃に到着したにも関わらず、店内は混雑していた。客の年齢層は様々で少年少女もいれば老人だっている。老若男女問わずの人気っぷりに思わず感嘆の息を漏らしてしまう。
「すごい人だな」
「今日はこれでも少ない方ですよ。先週は飯時に来たんで、もうすごい人で待ち時間がとんでもなかったっす」
「人は行列を見ると並びたくなるらしいからね」
へぇ、というレオナルドはもう既にメニューを決めているようだ。流石常連である。面倒なので同じものを頼むとしよう。
「…あれ」
「ん?どうかしたか?」
「あ、いや、あの人…スティーブンさんが随分前に助けてた女の子…女の人じゃないですか?」
レオナルドが指差す方向を見ると、確かに彼女がいた。一人でハンバーガーにかぶりついている様は、先週会った時より疲れているように見える。あぁ、あれは相当溜まってるんだろうなぁ、愚痴とか色々。
「いやー偶然ってあるもんなんですね、この街で二度も会うなんて」
そう、彼女と友人関係にあることをレオナルドは知らない。別段報告することではないし、そもそもまたからかわれるのはごめんだったのだ。
さて、彼女を久し振りに見掛けられたことは確かに嬉しいのだが、どうしたものだろうか。このまま見かけたことをスルーするべきか、それともレオナルドに事情を話して先に帰ってもらうべきか。書類は片付きつつあるし、仕事上は問題ない。あるとすれば、他のメンバーからのからかいくらいだが、それくらいかわせないような立場にはない。
ただ、現在での自分は"ライブラのスティーブン"であって、彼女と会っている"ただのスティーブン"ではない。個人的な見解なのだが、どうも他のメンバーといる時に彼女に声を掛けるのは気が引けてしまう。これが仕事終わりであればなんら問題もないのだが、今は、ライブラの一員として部下を連れて休憩しているのだ。公私混同、という言葉が頭に過る。
我ながらなんとも面倒臭い性格だなぁと思いつつ、彼女から視線をはずそうとしたまさにその瞬間。ハンバーガーを黙々と食している彼女が、ふと机に置いてある携帯電話を見ては、溜息を漏らしたのだ。それが、妙に目に焼き付いた。なんだ、その誰かからの連絡を待っているみたいな、そんな顔をしているところなど見たことがない。誰からの連絡だろうか、友人か?それにしてはやけに艶っぽい溜息だった。彼女が疲れているからそう見えるだけかもしれない、いやでも、まさか。
「スティーブンさん、もうすぐ順番ですけど頼むもん決まってます?」
「…………レオナルド」
「はい?」
「悪いがこれで君と俺の分を買って先に帰っていてくれ、メニューは同じでいい。友人を見掛けてね、少し話してから帰るよ」
矢継ぎ早に告げて、返事も待たずに彼女が座っている席へ向かう。公私混同?知ったこっちゃない、前言撤回だ。そんなことより、今は、彼女に自分の存在を示すことの方が重要なのだ。踏み出さなかった自分が悪いのはわかっているが、横からかっさらわれるかもしれないなんて、冗談じゃない。
「──やぁ、久しぶり」
焦る気持ちを抑えて、なるべく普段と変わらない声で、普段と同じ笑みを浮かべた。すると彼女はどうだろう、驚きのあまり大きく目を見開いて、ハンバーガーにかぶりついたまま硬直していた。ソースが口端についてて、可愛い。
「おーい、起きてる?」
再度を声を掛けると瞬きをひとつ。それから顔を背けられた。ちょっと悲しい。慌ててハンバーガーを戻して、ぺたぺたと自分の顔を触っていたかと思えばぐるりとこちらを向いて
「なんでいるんですか!?」
と随分なご挨拶が返ってきた。だか、その瞳にしっかりと自分が映っていることにひどく満足した。
口許が弛むのを感じながら、勝手に彼女の向かいに相席する。驚いている彼女からは非難の声はない。
「なんで、って。ここは飯を食うところだろ?それ以外に理由なんていらないよ」
「いや!だから!なんでここ!?」
随分とボリュームが大きい。そんなに意外だったのだろうか。
「仕事が一段落したから部下と来たんだよ」
「だってここサブウェイじゃない」
そりゃそうだ。
「俺だってファーストフードくらい食べるよ、ハンバーガーは嫌いじゃない」
「えええぇ…」
ようやく納得してくれたらしい。それでも意外なのは意外らしく、物珍しそうな視線がバシバシ飛んでくる。
くるくる変わる表情は相変わらずだ、一週間振りにその愛くるしさを感じて、ついつい心が浮わついてしまう。
「君も忙しかったみたいだね」
「え、あぁ、まぁそうですけど、よくわかりますね?」
「ここ、隈出来てるから。ちゃんと寝てる?」
目元をとんと示すと、慌てて彼女は両手で覆う。おいおい、それじゃあ何も見えないだろう。せっかく会えたのだから、もっと顔を見たいのに。
「──……さいあくだ」
ぽつり、と呟かれた言葉。喧騒が激しい店内なのに、やけにその言葉が大きく聞こえた。
今、確かに彼女は最悪と口にした。何が?からかわれたことが?はたまたここで会ったことか?嫌な考えしか浮かばなくて、心がざわつく。冗談じゃない、こちらは会えた喜びで心を踊らせていたというのに。
心が冷えきっているのが、自分でもわかる。その言葉の真意を確かめようと唇を開いたその刹那、
「私、今日は化粧も服も適当だし、そもそも肌の調子だって悪いんですよ!」
「………へ?」
返ってきた言葉は予想外で、思わず間の抜けた声しか出てこない。化粧、服、肌、一体なんの話だろうか。
「スティーブンさんに会えるなんてわかってたら、もっとちゃんと!こう、色々したのに!!」
来るなら来るって言ってくださいよ!なんて言われてもこちらとしても予定にはなかったんだ。と、返したかったが、声は一向に出てこない。先程の彼女と同じくらい、驚いているのだ。
今、ものすごく可愛いことを言われてる気がするんだが、これは自分にとって都合良く解釈しているだけだろうか。混乱しているこちらを余所に、彼女の口は全開で。
「大体、いっつもこういうお店で会う時はサブウェイじゃないですか!だからサブウェイやめたのに!ローストビーフのサンドイッチ食べたかったけどやめたのに!」
こんなことならおとなしくサブウェイ行っておけばよかった、というのはいくらなんでも八つ当たりじゃないだろうか。それにサブウェイのローストビーフより、ヴェデッド特製のローストビーフの方が美味しいと思う。彼女はヴェデッドの存在は知らないけれど。
「……もう、ほんとに、貴方の前でこんなだらしない姿晒すなんて」
さいあくだ、と繰り返す彼女。
つまり、彼女は自分の前では可愛い姿でいたいと、そういうことで間違いないだろうか。なんだそれ、可愛すぎるだろう。そんなことをいわれてしまっては、調子に乗ってしまうじゃないか。
嘆いてる彼女の顔が見たくて、先程からずっと覆い隠している手をそっと握る。小さく柔らかな手に触れたのは、思えば初めてだった気がする。そっと力を込めて剥がすと、確かに普段に比べてあどけない顔が目に入る。隈もあるし、化粧は恐らく普段より薄いのだろう。でもまぁ、あまり関係ない。だってこんなにいとおしいのだから。
「僕、いや、…俺は」
あぁもう観念するよ。認めよう。
「──に会いたかったんだけど」
囁くように、でも確かに伝えると、見る間に彼女の顔は赤くなっていく。逃げるように目を伏せて、それでも手を振り払われないということは、そういうことで良いのだろうか。期待してしまう。
知らず知らずの間に出てきた唾を飲み込む。女性相手に、こんなに真剣になるのはいつ以来だったか。こんな、揚げ物の匂いしかしない騒がしい店内ですることじゃない。それは重々わかってはいるのだが、止まらなかった。
「…、私だって」
「うん」
「私だって──会いたかったですよ」
「…うん」
きっと今、ものすごくだらしない顔をしているのだろう。だって、嬉しいのだから仕方ない。
「でも、だって、服もほんと適当で」
「いつもと違ってラフだよな、可愛いよ」
「…化粧だって、薄いし」
「素顔が良いから問題ないさ」
「……隈だってあるし」
「それくらい仕事を頑張ってた証拠だ」
「っもう!スティーブンさんなんなんですか!恥ずかしい!酔ってるんですか!!」
恥ずかしいのだろう、真っ赤な顔のままぎゃんぎゃん騒ぐ姿はひどく可愛い。あぁ、ここが昼間のファーストフード店ではなく、もっと色気もムードもあるバーや料理店であれば、今すぐその唇を塞いでしまうのに。
「ごめん、ちょっと浮かれてる」
君に会えたのが、あんまり嬉しくて。本音を伝えると面白いくらい一気に静かになった。可愛いなぁ、そんなに素直に反応されると歯止めが利かなくなりそうだ。
更に追い打ちをかけようとしたところに、プルルと電子音の邪魔が入る。彼女の電話だ。仕方ない、ぱっと握ったままの手を解放して視線で促す。
画面を見ると先程までの可愛らしい表情が一転して、慌てたように電話に出る。
「はい、です。……はい、えぇ、──はい!ありがとうございます!!」
電話はどうやら良い知らせだったようだ、話が進む度にぱぁっと嬉しそうな表情に変わる。
「──はい、こちらこそ宜しくお願いします、それでは」
暫く感謝を繰り返して彼女だったが、結びの言葉を口にすると電話を切って、ほっとしたように胸を撫で下ろす。肩の荷が下りたような、そんな表情だった。
「嬉しそうだね、仕事の電話かい?」
「うん、上司から。担当してた案件のプレゼンが上手く行ったみたいで、私が企画の中心だったからもう終わるまで本当に心配で…はああやっとご飯が美味しく食べれる!」
「…もしかして、さっき電話を見てたのって、それ待ちだったの?」
「え、やだ、見てたんですか?そうですよ」
けろっと言ってのける姿と、勝手にした邪推との差にがっくり肩を落とす。我ながら余裕がない、いやでも仕方ないだろう。
心からの不安がなくなり、安堵した彼女はどうやら気持ちが軽くなったようでにこにこといつものように笑っていた。先程までの甘い雰囲気は一体どこへ行ってしまったんだろう、割と人の心を─特に女性の─掴むことは得意だと思っていたのだが、なんだか自信がなくなってきた。
「スティーブンさん」
「ん?」
「そっちはお仕事落ち着いたんですか?」
「あぁ、うん、そうだね」
「──じゃあ、良かったら今夜、仕事終わってから一緒にお祝いしてくれません?」
予想外のお誘いに、思わず目を丸くしてしまう。悪戯っぽく笑った姿は、少し色っぽい。
「…服も化粧も適当だから嫌なんじゃなかったのかい?」
と、悔し紛れに意地悪を言ってしまうのは、少し根に持っているからだろうか。彼女はそんな言葉をけらけら笑い飛ばす。
「これから帰って、きっちり綺麗にしてきますのでご安心を」
どうやら自分の為に、今から入念に準備をしてくれるらしい。こんなの期待するなという方がどうかしている。勿論、返事は言うまでもないだろう。午後の仕事も頑張れそうだ。

ファーストフードチャンス

15/05/27