「貴方がいないと生きていけない、ってどう思う?」
「へ?」
サラダを口に含む直前、藪から棒に言われてついつい間の抜けた返事をしてしまう。問いかけの主は素知らぬ顔をしてワイングラスを手のなかで弄んでいて、全く本当に食えない人だなぁと思う。
しかし唐突だ、しかも質問の意図が掴めないのだから困ってしまう。一体何を考えているのだろうか、その端正な顔から読みとることは難しいのでこういう時は素直に尋ねるに限る。
「なんですそれ、なんかの映画の話?」
「いや、実体験、かな」
「はぁ」
まさか、過去の恋愛話とは。そういうことを自ら言い出す人だとは思っていなかったが、今日はどういった風の吹き回しだろう。というか、現在の恋人に向かって、過去に別の女性から言われた話を振るというのはどうなんでしょうか 。
別に今更妬いたりしないが、そういう話はあまり得意ではないし、なにより今はこのフレンチを堪能したい。答えるのが面倒で、先程食べ損ねたサラダを口に含んでみると、ドレッシングが素材の味を生かしていて、とても美味しい。やはりスティーブンが勧める店に外れはないようだ、流石である。
「どう思う?」
味を堪能していると、そんな声が飛んできた。どうやら意見を出すまで、食事に集中させて貰えないらしい。一体いつになったら前菜を終えられるのだろうか。今日はメインを楽しみにきているのだけれど。
「どう思うって言われても…情熱的なんじゃないですか?」
煙に巻くような言い方だな、と自分でも思うが他に言いようがないのだから仕方ない。そもそもそんなことをいわれた経験もなければいった経験もないのだ。どう思うも何もあったもんじゃない。
「私には縁遠い台詞ですけど」
「へぇ?」
興味深い、と言わんばかりの瞳が向けられる。
話を切るつもりでいった言葉が藪蛇だったとは、なんとも運が悪い。次の料理が出てくるまでに、この美味しいサラダをきちんと食べ終えられるか不安になってきた。
続きを視線で促されてしまっては答える他なく、思わず溜息を吐く。この人は案外、気になったことを追求する性質なのだ。しつこいともねちっこいとも言えるだろう。
「…別に、言う気はないってだけですよ」
「どうしてだい?」
「なんか今日、やけにしつこくないですか?」
「そう?それで、どうしてかな?」
「えぇ…」
人の話聞いてないのかなこの人。いや、ある意味ではきちんと聞いている、その上で質問を重ねてきているのだ。
しかし、恋愛話は不得手なこちらとしてはどう返したらいいのかわからない。そりゃあ友人同士集まると自然とそういう話にはなるが、基本的には黙ってやり過ごしているのだ。話す気がない人間に根掘り葉掘り聞くほど、友人は意地悪ではない。目の前の恋人は、そうもいかないようだが。
「恥ずかしながらそこまで恋愛経験豊富じゃないんで、そういう言葉、思い付かないんですよね」
貴方と違って、と言外に含ませてみる。初めての恋愛という訳でもないが、色男な彼と比べたらそれこそ皆無に等しいだろう。というか、そういう言葉を使う場面って一体どういう時なんだろうか、経緯の方が気になって仕方ない。
ふぅんと頷いた彼は、この話題に満足したのかようやく前菜に手をつけたようだった。ご満足頂けて何よりですね。
ふと、気になって今度はこちらから話題を提供する。
「スティーブンさんは、言われてどんな気持ちなんですか?」
「重い」
「うわぁ」
ひどい言い種だった。その上即答だったから始末におけない。
まぁ確かに重い、重いだろうがそんなはっきり言わなくとも。思わず眉間に皺を寄せると、彼は慌てた素振りもなく、極めて冷静に返した。
「生きていけない、なんて嘘っぱちさ。もし本当に生きていけなかったとしたら、俺と別れた彼女は今もう死んでるってことになる」
「死んだんですか?」
「まさか。ピンピンしてるよ、今度結婚するらしい」
案内状が来てた、行けないけどね。と、笑う姿はまさに軽快で。それは仕事が忙しいから行けないのか、はたまた自分と違う男性と幸せになる姿を見たくないから行けないのか、答えは聞くまでもないだろう。
「なんだか、言葉って当てになりませんね…」
本音を呟くと、彼は笑った。
「──どうせなら、きちんと誓って欲しいね。貴方がいなくなったら私は死ぬって」
「うわぁ」
それって脅しじゃないだろうか。確かに裏を返せばそういうことなのだろうが。顔を歪めると同時にウェイターに前菜を下げられてしまう。せっかくの美味しいサラダを一口しか味わえなかった。最悪だ、厨房の皆さんごめんなさい。



:::



死を予感することはいくらでもある。
この街に住んでいる時点で、毎日の生存確率は常に五分五分なのだから当たり前だ。加えて戦闘能力は一般人と大して変わらないのだから、そりゃあもう当然で。ライブラの仕事で現場に出てもレオナルド以上に前線からは退いているし、そもそも現場に出ること自体が少ないからこそ生存確率が半分残っているのだろう。そういう風に、死なないように最大限努力はしているとしても、いつだって死と隣り合わせの毎日なのだ。
だから、別れというものが突然来るということは重々承知していた──つもりだった。
カツカツカツ、とヒールの音が響いているのを感じる。うるさいのはわかっていた、すれ違う人の非難がましい視線がばしばし飛んでくる。それでも、走らないだけましだろうから許して欲しい。本当は今すぐ形振り構わず走り出したいくらいだった。
ダンッと、開けたドアから大きな音が出るのは、それだけ焦っていた証拠だ。部屋の主はこちらのそんな心境を知ってか知らずか、抗議の言葉を投げてくる。
「びっくりするじゃないか、病院内は静かにしなきゃ駄目だろ?」
「…、生きてる」
「そりゃ生きてるよ、ここは死人を安置する場所じゃないからね」
笑えない冗談だ。全然面白くない上に、こちらの神経を逆撫でしてくるおまけ付きというのだから心底タチが悪い。
ずかずかと許可も取らずにベッドに近付くと、普段より少し血の気のない顔が、普段と変わらない笑みを浮かべていた。
「やぁ、一人で来たのかい?」
「ギルベルトさんが、連れてきて、くれました」
「へぇ?」
クラウスは一緒じゃないなんてギルベルトさんにしては珍しいね、と笑う彼は、こちらの気も知らないで呑気なものだ。
──スティーブンが血界の眷属と交戦し負傷、病院へ緊急搬送、現在も危険な状態が続いている。
事務所で優雅に紅茶を貰いながら本を読んでいた時に、その報告は飛んできた。
まさか、嘘だ、信じられない。半狂乱になりそうな心をなんとか落ち着けて、状況を詳しく聞き出し搬送先を特定した。それからすぐに、ギルベルトが車を用意してここまで連れてきてくれたのだ、到着した途端に、彼に構わず駆け出してきてしまったので今頃こちらへ向かっている最中であろう。
そっと、手を伸ばして、その頬に触れる。あたたかい。古傷を撫でると、スティーブンは目を細めた。
「…びっくり、した」
「うん」
「死んじゃうかも、しれないって」
「うん」
「生きて、る」
「うん」
生きてるよ。今度は、冗談ではなく、優しい肯定だった。
頬に触れた手を取られて、その瞬間、今まで我慢していたものが込み上げてきて、一気に視界が鈍る。ぽろぽろと、溢れた涙は拭わなかった。代わりに、包帯だらけの、大きな身体を抱き締める。傷に触るかもしれない、という冷静さはもうなくなっていた。
「君が泣くなんて、珍しいなぁ」
明日は雨かな、なんて面白くもなんともない冗談が頭上から降ってきて、あぁ本当にこの人は生きているんだなぁと実感をして、涙は暫く止まらなくなった。
泣き止む頃には、ライブラの面々が到着した。抱き合った姿に、そりゃもう大いにからかいの言葉が振ってくる。それからすぐにスティーブンの無事を心から祝う声が病室内を包み、少し照れ臭そうに彼は笑った。その後、ライブラの一員として、事の経緯全てを報告し、今後の対策などを話し合い出すのだから叶わない。さっきまで瀕死だった人のすることじゃないだろうと思ったが、そこは彼なのだからと無理矢理納得した。
「それじゃあ、我々はそろそろお暇するとしよう──スティーブン、ゆっくり静養してくれ」
クラウスの言葉をきっかけにして、集まった面々は皆それぞれ"らしい"労いの言葉をかけて退室していく。その後ろを追い掛けるように立ち上がると、ぐっと引っ張られる。 振り返ると、ベッドに腰かけた彼の包帯の巻かれた腕が手首を掴んでいた。どうしたのだろうかという思いと、まだここに居たい思いが交錯して動けずにいると、
「君は、まだここにいると良い」
というクラウスの優しい言葉に押されて、スティーブンと二人で病室に取り残されることとなった。
先程までの騒がしさが一挙になくなり、病室らしく静かになる。掴まれた腕はそのままに、もう一度備え付けの椅子に腰を下ろす。
なにをいったらいいかわからなかった。なにかいったら、また泣いてしまいそうだった。
「心配かけたね」
頷く。本当に、それこそ死ぬほど心配した。
「俺が死ぬかもしれないって、真っ先に飛んできてくれてありがとう」
ぶんぶんと、首を振る。そんなのは感謝されるようなことでもなんでもない。
「すこし、意地悪をいってもいいかな」
嫌だといっても言うのだろう。
「──俺なしで、君は生きていける?」
思わず、息を飲んだ。
なんて、意地の悪い言葉だろう。今この人は、本当に最低最悪のタイミングで、人にいわせようとしているのだ。重いといった言葉を。嘘っぱちだと笑った言葉を。どうせなら、誓って欲しいとのたまったそれを、今、よりにもよってこのタイミングで。
「ねぇ、」
どう?と問いかけ表情は、もう本当に憎たらしいくらいで。今すぐその弛んでいる頬を両手で力一杯引っ張って、その端正な顔を歪みに歪めてやりたい。本当に最低だ、最悪だ、K・Kが腹黒というのも大いに納得出来る。
「…わたし、は」
こんなに腹のなかは怒りで一杯なのに、今は泣きそうな声しか出ないのが、悔しい。彼の掌の上で踊らされている気分だ。
そんなのは冗談じゃない、貴方の思う通りになんていかせてたまるものか。
「──スティーブンさんがいなくても、べつに、生きていけます」
「…、え」
「でも、」
さみしいです、くるしいです、つらいです。
最後はもう、涙混じりだったかもしれない。そりゃそうだ、恋人が死ぬかもしれないと言われ、慌てて飛び出してきて、無事を確認できたと思ったらこれなのだから泣きたくもなるだろう。普段はこの人の前でなんか絶対泣いてやらないと思っているが、今日ばかりは見逃して欲しい。先程もわんわんとそれこそ泣き喚いてしまったし。それに、本当に心から、安堵したのだから。
しかし、まだ言いたいことはある。
「だから、死なないでください」
涙を拭わずに、ぶつけてやった。
貴方がいないと生きていけない?冗談じゃない。彼が死んだら、死ぬのか。そりゃあ死にたくなるくらい寂しいし苦しいし辛いだろう。でも、だからって、大人しくそんなことを誓ってなんてやらない。そんなことを思わせないように、貴方から行動してくれないと困る。もうとっくに心は全部明け渡したのだから、そちらからも相応のものを貰わないと割に合わない。
「どうせ死ぬなら、私が死んでからにしてください」
誓うのは、こちらではない。そちらの方だ。
「──…まいったなぁ」
君がいないと、俺は生きていけないよ。そう彼は溜息混じりに、でもどこか嬉しそうに呟いた。それから、ぐいと引っ張られ、唇を塞がれる。
涙の味がするキスは、まるで何かの誓いのようだった。

貴方がいないと

15/05/29