このライブラには、ある人物によってほぼ毎日欠かさずに行われる日課がある。
その日課がはじまった当初はぎょっとした面々も、今では慣れたらしく誰も何も反応しない。一部微笑ましい気持ちで見ているようだが、特別もう大きく騒ぎ出したりということはなかった。
「スティーブンさんおはようございます!今日も大好きです」
「おはよう、。今日も元気そうだな」
あんまりな対応にもめげず、彼女は何が楽しいのかにこにこと笑った。これが日課である、彼女がこの事務所に来ない日を覗いて、ほぼ毎日行われている。
初めて挨拶と共に愛の告白を受けた日は、そりゃあもうびっくりした、それこそカップを取り落とすくらいだ。しかし、人間とは慣れる生き物である。最早挨拶と化したそれを毎日言われ続けていたら、それこそいちいち驚いたり、ときめく方がどうかしているだろう。そもそも、ここまで堂々と公衆の面前でいわれてるそれは本当に恋なのか?と疑問に思っているのだが、彼女の表情を見るにどうやら親愛だけではないらしい。ほんのり頬を染めてはにかむ姿はまさに恋する乙女である。
「おーおー、今日も今日とて相手にされてねぇのによく言うよなぁ」
「ザップ、ハウス」
「俺は犬か!つーか蹴ってんじゃねぇよこの暴力女ぁ!」
ザップのからかい染みた言葉を文字通り見事に一蹴した彼女にちらりと視線を向ける。それに気付いたのか、ソファに腰かけたザップの脛を蹴り続けていた右足を慌てて下ろして、照れくさそうに笑った。多少暴力的な一面もあるが、その笑顔は可愛いとは思う。しかし愛欲が湧くかと言われると、答えは否だ。
彼女に向ける気持ちは、それこそ年の離れた妹に与えるそれと同じで、決して恋人に向けるものではない。しかし、少なくとも自分に好意を寄せてくれるいじらしさは可愛いと思う気持ちはあるため、邪険にも出来ず、ただ受け流すのみだ。悪い男、そう言われても仕方ないだろう。
「あーんな性悪男に捕まっちゃうなんてねぇ…」
K・Kからチクチクと刺のような視線と言葉が当て付けのように投げつけられて、あははと誤魔化すように笑ってから逃げるように新聞へ視線を落とす。全く仰る通りだ、何故こんな男に捕まってしまったんだろう。そもそも仲間に対して、そう思わせてしまうような振る舞いをした覚えもないのだが。
彼女はそんなK・Kに対して、慌てたように言葉を紡ぐ。
「スティーブンさんは、確かに性悪で腹黒で怖い人だけど、好きになっちゃったもんは仕方ないよ!」
それ、君がいうのか。フォローどころか手榴弾を投げ込まれた気分だった。
「強ぇ…」
レオナルドの呟きに、心のなかで大きく賛同する。全く、女というものは本当に強い。わかっていて、敢えて突っ込んできているというのだから叶わない。はぁ、とK・Kが諦めたように溜息を吐いたと思ったら、じろり鋭い視線がこちらに飛んでくるので、慌てて新聞で顔を隠した。
こちらだって、わかっている。答えるつもりがないのであれば、相応に態度を変えるかきちんと断るべきなのだ、と。だが、こちらを見つめる彼女の笑顔があんまりにも無垢で、純粋で、可愛くて。どうしても突き放そうと思えないのだから、仕方がない。やっぱり悪い男に捕まっちゃってるなぁ、君。



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「あれ。、今日は休みだっけ?」
夕方になっても顔を出さない彼女に今更ながらようやく気付いて問い掛ける。そういえば、今日はあの日課を聞いていなかった。
さんは今日から一週間、出張の予定となっておりますよ」
包帯の下で微笑みを浮かべたギルベルトの回答に、なるほど頷く。そういえば、その指示をしたのは自分だったかもしれない。忙しさについつい忘れてしまっていた。
彼女はああ見えて、VIPのエスコートやスポンサー獲得が得意だった。今回もスポンサーなりうる人物が境界都市まで来ると知り、彼女を派遣したという訳である。滞在期間は5日間、移動時間も含めて、一週間の単独任務だ。
「昨夜、君に餞別の言葉を貰いたいとギリギリまで事務所に残っていたのだが…その様子では会えなかったようだな」
「…そうか」
そいつは悪いことをした。昨日は朝数分会ったきり、1日外出だったのだ。明日任務が控えていると覚えていたら、直帰せずに事務所に顔を出したものを。適任は彼女しかいなかったとはいえ、たった一人で境界都市に赴き、身分が上の人間の相手をするというのはこちらが思っている以上に大変だろう。それでもあっさりと任務を受け入れた彼女に、頑張ってこいよと言葉を掛けてやるくらいはしてやりたかった。それくらいの温情は、冷酷男と呼ばれる自分にもある。
「それじゃあ、帰ってきたら飯くらい奢ってやらないとね」
そういうと、クラウスは大きく頷いてからウキウキとした様子でパソコンに何か打ち込み始める。彼のことだ、単独任務お疲れ様パーティーでも開こうというのであろう。普段であれば程々にするように促すが、今回ばかりは好きにさせよう。せめてものお詫びの気持ちだ。
さんは、スターフェイズ氏から労いの言葉ひとつ頂ければ、それだけで充分だと思いますが」
耳に届いたギルベルトの言葉に思わず苦笑してしまった。実際問題その通りだろう、彼女はいつだって自分に甘い。
「おっと、聞こえていましたか。出過ぎた真似をお許しください。老骨の独り言です」
こちらの苦笑いに気付いたギルベルトに謝罪をされるが、全くもって気持ちが入っていなかった。ライブラの面々に可愛がられている彼女は、ギルベルトにも当然可愛がられている。現状、彼女をたぶらかす悪い男である自分は、この事務所での肩身が狭いのだ。
「──全く、愛されてるねぇ」
「そうだな、君は彼女に愛されている」
そういう意味ではない。が、否定も出来ずに曖昧に笑うとクラウスは首を傾げた。
本当に愛されているのは彼女の方だ。何故あんな愛に溢れた彼女が自分なんかを愛するのだろうか。そして、そんな彼女からの好意を悪い気がしないというだけで突っぱねられない自分の思考も、よくわからなかった。
女性に好意を寄せられることは、少ないとはいえない。悪い男である自分はは、寧ろその好意を利用して情報を貰ったり、色々と画策している。だからといって、無条件にその好意を受け流したりはしない、それなりに用が済んだら綺麗に別れたり出来るのだ。それを彼女に限ってしない理由は、なんなのだろう。仲間だからか、と考えるもどこか腑に落ちない。答えの出ない問いかけを続けることほど、馬鹿馬鹿しいものはない。
「…スティーブン、どのケーキが一番喜ぶと思う?」
「チョコレートケーキじゃないかなぁ、あぁでもプレートが映えるのはやっぱり生クリームだね」
「ならば両方用意しよう」
随分大がかりなパーティーになりそうである。キーボードを打つクラウスの姿は、楽しそうだった。



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、ただいま戻りましたー!」
一週間後、元気な声と共に彼女は帰って来た。久し振りに見る彼女は相変わらずで、その姿を見るとなんだかほっとした。
ー!元気だった?変な男に声かけられなかった?」
「お疲れ、ちょっと痩せた?」
真っ先に彼女を迎えたのは、我がライブラの女性陣だった。K・Kが彼女を抱き締め、チェインが持っている荷物を預かる。あまりの早さに、男の立つ瀬がない。二人とも早すぎだろう。
「毎日が晩餐会で、寧ろちょっと太ったくらいだよ」
「ほんと?その割に顔色良くないよ」
「そうよそうよぉ、隈だって出来てるし」
「えぇぇ、昨日遅かったからなぁ」
そういって、顔をぺたぺたと押さえる彼女の顔色は、確かに少し悪い。やはり単独での出張は彼女の負担が大きかっただろうか。知り合いが全くいない中、要人の接待をするというのは思っている以上に気疲れするだろう。
そんな彼女の下へ、クラウスが足を運ぶ。その手には一週間ほど前に彼が作成したチラシが一部。K・Kがそっと彼女を解放すると、今度はクラウスの番だった。
、疲れただろう、今日のところはゆっくり休んでくれ」
「はい、ありがとうございます」
「ところで明日、君の都合が良ければ、パーティーを開こうと思うのだが、予定はどうだろう」
「え!?」
突然の誘いに、驚くのも無理はない。概要をまとめたチラシとクラウスの顔を交互に見比べては口をぱくぱくさせる姿は、ひどく可愛らしかった。
「…都合が、悪いだろうか?」
「いえ!そんなことは!!全然空いてます、暇すぎてどうしようもないくらいです!」
「!そうか、それはよかった…」
クラウスと彼女の会話している姿をみると、大型犬と小型犬を見ている気分になるのは何故だろう。二人とも感情が表に出る性質だからか、見ているこちらはとても和む。K・Kがカメラ持ってくればよかったわ、と悔しそうに呟いているのはどうかと思うが。
さん、お疲れ様です」
「レオくん!」
「ザップさんとツェッドさんも会いたがってましたよ、明日のパーティー楽しみにしてました」
「ほんとに?」
そう話すの嬉しそうなこと。明日のパーティーはきっと大いに盛り上がることだろう。この場にいない二人も、ここ一週間は少し物足りなさそうに毎日を過ごしていた。ザップはきっと素直に言わないだろうが。
「あ、えっと、スティーブンさん」
「あぁ、お疲れ」
「いえ、そんな」
視線が合って、声を掛けると彼女の態度は妙によそよそしかった。普段であれば、にこにこと嬉しそうな笑顔が目に入るというのに、何故か自分と話している時だけいつもより少し硬い笑顔だった。緊張しているのだろうか?それにしては、視線も合わないというのはどうだろう。そもそも付き合いはそこそこ長いのだ、今更緊張もしないだろう。
結局その日は彼女の疲労も踏まえて、簡単な報告を終えた時点で帰宅させた。久し振りに会ったというのに日課が行われることはなく、それどころか事務的な会話しかしていない。
そのことがやけに気になって、いつもであればすぐ終わる事務仕事が中々片付かず、家に帰るのが遅くなってしまった。一体なんだというんだ、何かしてしまったのだろうか。
「──…そもそも、何もしてないのが問題なのか」
夜遅く、一人ベッドの上でそう呟く。そう、何もしていないからこそ、彼女はあんな態度を取ったのではないだろうか。いくら押しても何の手ごたえもない男に、いつまでも好意を向けることはないだろう。いい加減諦めたということか。腑に落ちた答えが出たというのに、どこか腹の奥がむかむかとする。
あんなに毎日、好きといった癖に──我ながら面倒くさい、子供じみた感覚だ。馬鹿馬鹿しい。さっさと寝てしまおう、起きたらきっといつも通りだ。別に良いじゃないか、傷つける手間が省けたと思えば。そう自分に言い聞かせ、瞼を閉じる。やけに、寝付きの悪い夜となった。
翌日、予定通り敢行されたパーティーはそりゃもう大賑わいだった。自由参加のパーティーだったが、皆それなりに予定をつけて短い時間でも参加するように努力していたらしい。ただどんちゃん騒ぎたいだけ、というのも勿論あるだろうが、それにしてもまるでニューイヤーパーティーのような賑わいだ。流石、愛されてるなぁ。
パーティーの主役である彼女は、先程から色々なところに引っ張りだこだ。ちなみに、本日も未だに日課は行われていない。これはもう、確定であろう。無意識に奥歯を噛み締める。何故か、妙に苛々した。
誰かに八つ当たりでもしたい気分だったが、そうもいかないようだ。機嫌の悪い自分に近付いてくる愚か者がいる筈もなく、一人壁際にてウィスキーを煽る。
その内に宴もたけなわとなり、どんどん人がまばらになっていく。そろそろ自分も帰ろうか、そう思って立ちあがろうとしたその時、
「スティーブン、さん」
彼女に声を掛けられる。その顔は、少し気まずそうで、なんとも嫌な予感しかしない。
「少し、お話良いですか?」
おいおい、まさかわざわざ自分に宣言しようというのだろうか。律義な彼女なら有り得なくもないが、そこまでしなくともいいじゃないか。
そんな本音をいえる筈もなく、隣に座るよう促した。
「…スティーブンさん、元気してました?」
「え?あぁ、うん、それなりに。君は?」
「私も、はい、元気です」
「…」
「……」
気まずい。なんでこんなに気まずいのか。つい一週間前まで普通だったじゃないか。気持ちの移り変わりというのは、それまでの関係をこんなにも呆気なく崩してしまうのだろうか。なんとも面倒くさい、恋愛なんてするもんじゃあないなと改めて思う。
「あの、」
「うん」
「…ごめんなさい、私、なんか変ですね」
うん、とは言えなかった。彼女は、酒でほてった頬に両手を添えながら、はぁと大きな溜息を吐いた。ちらり、と視線が向けられて、久し振りに目が合う。
「えっと、気分悪くさせたら申し訳ないんですけど」
「うん」
とうとう、来た。思わず息を飲む。
「わたし、またスティーブンさんに恋しちゃったみたいで」
「……は?」
「惚れ直したっていうんですかね、なんかもう久々に会ったら、すっごくドキドキしちゃって、目も見れなくって」
今も、緊張してます。そう続ける彼女を、今自分はものすごく間抜けな顔をして見ているんじゃないだろうか。頭が上手く回らない。今、彼女はなんと言った?
「スティーブンさん、」
静かに名を呼ばれる。頬を赤く染めた彼女は酒のせいだろうか、少し目が潤んでいた。
「──すき、です」
ぐらり、と眩暈がする。まいった。年の離れた妹だと思っていた、愛欲が湧かないと思っていた。冗談じゃない。こんな、切なく愛を囁かれて、落ちない男がいるのだろうか。一週間振りに聞いた愛の言葉は、ひどく心を動かして仕方ない。
「スティーブン、さん?」
何も言わない自分を不思議に思ったのだろう。もう一度名を呼ばれて、吸い寄せられるように手を伸ばして、赤くなった頬をするりと撫でる。冷たいのだろうか、彼女はびくりと肩を跳ねさせる。そんな姿が、また堪らない。
「──、
今度はこちらが名を呼ぶ。潤んだ瞳に見つめられて、くらくらしてきた。
あぁ、もうわかったよ、認めるさ。きっと、随分前から彼女に恋していたのだ。それを、大人の事情ともいうのだろうか、立場や諸々に振り回されてずっとわからない振りをしていただけなのだ。
好意を邪険に出来なかった理由は、彼女が好きだから。
昨日から先程まであんなに苛々していた理由は、彼女が好きだから。
認めてしまえば、後はもう為すがままで。
「んっ」
その柔らかな唇に、そっと口付けを落とす。真っ赤になって目を白黒させる彼女に愛の言葉を囁くのは、もう少しこの唇を堪能してからでいいだろう。それくらいの意地悪は、焦らされたお返しにさせて貰いたい。彼女が嬉し泣きで瞳を濡らすまで、あと十数秒。

知らず知らずに、落下

15/05/30