出会って数ヶ月。偶然昼を一緒にすること十数回。仕事終わりに、愚痴を溢しながら食事をすること数十回。用もなく電話をすること、最早数えるのも馬鹿馬鹿しいくらい。
スティーブンとの関係は、特別変化も問題もなく、ただ時間だけが過ぎていた──はずだった。
ふと、最近よく思う。スティーブンはどうして自分なんかと会うのだろうか、と。彼に何かしらの利益を与えられるようなものは、持っていないのだ。精々食事を共にするくらいしか出来ない自分に付き合って、彼に一体なんのメリットがあるというのだろうか。
それでも不思議なもので、彼からの誘いは絶えることがない。時折仕事がばたついて一週間会わないことはあるが、その際は必ず事前に断りを入れてくれる。その律儀はなんだか、まるで。
「……いやいやいや」
考え付いた言葉に、大きく首を振る。まさか、である。彼ほどの色男が自分なんかに?冗談でも笑えない。そして、絶対に有り得ない。
彼の職場に近いらしい通りを歩いていると、時折女性と二人連れ添っている姿を見掛ける。甘さはなかったので、恋人同士ではないのだろう。しかし、すらっとした綺麗な女性は、彼にお似合いだった。そのことにショックを受けている自分が甚だおかしくて、自戒しなければならないと強く思う。
「──やっちゃったなぁ」
あれは、絶対に好きになってはいけない人種なのだ。人好きする態度の割に、自分の懐には限られた人間しか踏み入れさせないタイプの男だ。それなのに。
溜息が漏れる。これから会うというのに、なんと気まずいことだろう。そう思いつつ、いつもより念入りに化粧を直し、鏡の前から中々動けない辺り、もう駄目なのかもしれない。だがこれ以上は、踏み込んではいけない。踏み込んで傷つくのは自分だけだ、だったらそんなの気付かない振りをしてしまえばいい。
約束の時間まで、あと30分。まだ残っている同僚に断ってから会社を出る。デート?という冷やかしの声には思わず顔を歪めてしまった。
デートだったらどんなにいいか。残念ながら、そんな勘違いをさせてくれるほど、彼は優しくないのだ。



:::



「──あぁ、お疲れ」
「そっちこそ、お疲れ様」
「じゃあ、悪いけど連れが来たから」
「…」
待ち合わせ場所にいくと、時間までまだ15分もあるというのに既に彼は立っていた。その周りには、豊満な肉体を惜しみ無く晒しているナイスバディの女付きで。いつもこうだ、頼むからいい加減時間前に来るのはやめてくれないだろうかとさえ思う。毎度毎度、女性からの冷たい視線に晒されるこちらの身にもなってくれ。
「こんな子が貴方の連れ?冗談でしょ」
ほらみろ。明らかに色気の欠片もない女の登場に、お怒りの声が振ってくる。欧米人と比べられると東洋の血が入っている自分は、どうも見劣りするのだろう。恥ずかしながら、年相応に見られたことはほとんどない。ある一定の年齢まではそれも嬉しかったが、最近では不快さが上回ったのはこの男のせいだろう。
「残念ながら冗談じゃないよ」
「このロリコン!」
ひどい捨て台詞だ。怒った彼女が去ってから、実に気まずそうに彼は小さく呟く。
「ロリコン、かぁ…」
「殴られたいの?」
こう見えて、というのもなんだか情けない話だが、実は彼とは年の頃が近い。確かに彼の方が年上だが、そう大きくは離れていないのだ。
いやいやまさか、と否定する彼の笑顔はやや強ばっていて、なんだかもう怒る気も失せてくる。すみませんね、ロリコン扱いさせちゃって。
一応化粧だってしてるし、服装だって年相応を意識しているのだが、どうにもこうにも上手くいかない。
ふぅ、溜息を吐いてから苦笑を滲ませている彼に
「じゃあ行きましょうか、パパ?」
と冗談をかけると彼はがっくり肩を落として
「──それだけはやめてくれ」
と嘆いた。子持ちでもおかしくない歳だろうに。
困ったような顔があんまり可愛かったので、思わず吹き出してから歩き出す。
今夜の店は行き着けのバーだ。彼と初めて夜を共にした時に入ったこの店は、気さくなのにどこか隠れ家染みているのが好印象で、時折一人でもふらっと仕事帰りに立ち寄ったりもする。
「いらっしゃいませ。おや、今夜はお二人なんですね」
すっかり常連扱いになってしまっている、思わず苦笑した。大抵は一人で寂しく訪れるということを指摘されたような気分だ、いや他意はないのだろうが。
「何に乾杯する?」
「じゃあ、ロリコンに」
「…案外根に持つな、君」
乾杯、と呟いてからグラスを二人で掲げる。女の恨みは根深いということを、彼はもっと知った方がいいだろう。
「何度も言ってるじゃないですか、ああいうのが面倒だから時間ぴったりに来てくださいって」
「女性を待たせる訳にはいかないだろ?」
「うわぁ」
気障ったらしい台詞だったが、彼がいうと妙にハマっていてそれがまた腹正しい。思わず漏れた声に、なんだよなんて不満の声が聞こえてきたが無視だ。全く、これだから色男は嫌になる。
「大体、君みたいなのを一人で待たせていたら、それこそ変なのに絡まれるよ」
「嫌味ですか?」
そんな経験は今まで一度もない。この街の人間は、ナイスバディの女性を見慣れているせいか、自分のような貧相な女にはとんと見向きもしないのだ。別に声を掛けられたい訳ではないが、それを彼に言われるとなっては腹が立つ。
「避けられるべき揉め事は、避けるべきって話さ」
ぐう。反論出来ない。確かに自分なんかよりは、彼の方がよっぽど声を掛け慣れている。その彼がそういった手合いに対応をする方が、ずっとスムーズなのだろう。だからといって、毎度毎度針のむしろになるというのも、中々しんどいものがある。
「…今度妙案を出します」
「毎回は無理かもしれないが、俺が君の会社まで迎えに行くっていうのは?」
「それだけはやめてください!」
先日から打診されている彼の提案を、即座に撥ね付ける。冗談じゃない。彼のような色男が自分を迎えに来るなんて、色めきだった同僚に質問攻めしてくださいといっているようなものだ。それだけは勘弁してほしい。
「それじゃあ、やっぱり今まで通りだなぁ」
いやぁ残念残念、なんて全く心が篭ってない声が実に憎らしい。絶対に妙案を出してみせるから覚悟しておけ、という気持ちを込めて睨み付けてグラスを煽る。あぁ今夜のお酒も美味しい。
「そういえば、来週頭はまた忙しくなりそうだ」
「繁盛してますねぇ」
「喜ぶべきことにね、だから明日辺りまた会いたいんだけど、そっちの都合は?」
「空いてますよ」
元々そこまで友人も多くないし、彼からの誘いであれば多少の融通はつける。
即答すると彼は嬉しそうに目を細めた。そんな顔をするのはやめてくれ、勘違いしそうになる。誤魔化すようにグラスをもう一度煽ると、カランと氷が鳴った。
「明日は休みなんで、時間はお任せしますね」
「珍しいね、なにかあったのかい?」
「いやいや、こないだ休日出勤したんでその補填ですよ」
帰ってのんびり家事でもして時間潰します、と返すと彼はふむ、と顎に手を添える。何かを考えているようだ、首を傾げると視線がばちりと重なる。
「俺も明日休みなんだけど──それなら、朝から出掛けない?」
予想外の言葉が返ってきて、思わずつまみがこぼれ落ちる。今、彼はなんと言った?
「あぁ、朝からがきついなら昼からでも良いけど」
そういう話はしていない。頭の中で彼の言葉を反芻するも、想定していなかった誘いになんと返したらいいのかさっぱり検討もつかない。そりゃあ嬉しい、嬉しいが、でも、まさか。まるでそんなのは、デートみたいじゃないか。
「──嫌?」
ずるい。そんな風に少し不安の色をちらつかせながら問われたら、肯定など出来る訳がない。これ以上は踏み込みたくないのに、傷つくのは嫌なのに。
「…いいですよ、朝から友達と出掛けるなんて学生時代に戻ったみたいです」
理性を総動員して、これ以上ないくらい平静を装った。思ってもいない、友達なんて言葉に思わず笑いそうになってしまったが。ただの友達だと思っていたら、こんなにも慌てないだろう。我ながら、自分を誤魔化すのが上手い。
「……友達、ねぇ。君を友達だなんて思ったことは、一度もないけど」
「ひどい、なぁ。じゃあ私たちって、なんなんですかね」
「なんだったら、いいと思う?」
質問に質問で返さないでください、と笑いたかったがあんまりひどい言葉に頭がぐらぐらして、上手く言葉が出てこない。友達ですらないのか、それなりに良い関係を築けていると思っていたのはこちらだけなのか。地味にショックだ。後ろからガンっと頭を殴られた気分だった。
「なんだったら、ですか」
「あぁ、君の望む関係になるよ」
なんだこれ。何をいわせたいんだこの人は。もしかしてあれか、こちらの気持ちに気付いて体よく切り離そうというのだろうか。そうだとしたら、なんてひどい。あんまりだ。このままでよかったのに、それ以上なんか望んでいなかったのに、それさえも許してくれないのか。
じわり、目頭が熱くなるのはお酒のせいだと誤魔化されて欲しい。視線を逸らして、グラスを見つめる。溶けかけた氷は、まるで自分を見ているようだった。このまま、自分の気持ちも溶けてなくなればいいのに。
?」
名を呼ばれて、顔を上げるといやに真剣な顔とかち合った。かっこいい。かっこいい上に、この人は優しいのだ。そしてどうしようもなくずるい、自分の魅力をわかっていて、敢えてこういうことをするのだ。だから始末におけない。ひどい人だ。わかってるくせに、知ってるくせに。さよならをするために、想いを告げるなんてあんまりだ、なんていじめだ。でも、そんなどうしようもない彼が、たまらなく好きで。
「明日、朝から会いたいけど、でも、そんなのデートみたいじゃないですか」
「そうだな、君がそういう間柄でいたいなら、デートになる」
「──デートに、して欲しいです」
目一杯の勇気を振り絞って、とうとう、伝えてしまった。いくら回りくどくとも、ここまでいってわからないほど、彼は愚かではないだろう。これ以上は踏み込まないようにしようと、思っていたのに。
今日で、こんな風に食事をするのも最後かと、どこか頭の奥で冷静に考える。こんなことなら、もっとはやくにやめておけばよかったのかもしれない。心を支配される前に離れておけば、こんな虚無感を抱くこともなかったかもしれない。今となっては、もう遅いけど。
「…9時でいいよな」
「………へ?」
「明日の話。待ち合わせはどうしようか、あぁ、君の家まで迎えにいくよ」
起きれる?朝。なんて人を馬鹿にしたような言い方で笑う彼。ぽかんと、間抜けにも口を開けてしまうのは、この突然過ぎる展開に他ならない。
「あぁ、やっぱり迎えにいかなくてもいいか」
ふと思い付いたようにそう呟いた彼に、空のグラスを握りっぱなしのままだった手を取られる。
手慣れたように、人の手の甲をその唇に押し当てて、
「──今夜、この後、君が家にくればいい」
と宣うのだ。全くもって意味がわからない、といえるほど純粋でもなくなってしまった。顔が熱い、きっと酒のせいだけではないはずだ。
泊まりに来いと、友人だと思っていない女を自分の部屋に誘う理由は、きっとそんなに多くない。どう?なんて、答えはわかりきっているくせに聞いてくるたちの悪い彼に、ほんのすこしの抵抗をしたくて手を振り払う。案の定笑顔が強張った、ざまぁみろ。
「……私、すごく寝相悪いんですけど大丈夫ですか」
それでも勇気を振り絞って、精一杯背伸びをした言葉をぶつける。笑顔は驚きに、そしてまた笑顔に変わる。
「勿論、大歓迎だ。一晩中、暴れる君を抱き締めるのも悪くない」
熱い頬を誤魔化したくて、グラスを持っていたせいですっかり冷えてしまった指で覆う。
確かな言葉は貰っていない。もしかしたら、何か彼にとって重要なものを持っていて、それを奪うための手段なのかもしれない。だけど、こんな風にはにかむ彼にだったら、騙されていたって構わない。そう思ってしまえるくらいには、好きになってしまったのだから仕方がない。
「あぁ、そうだ。言い忘れてた」
俺は君を愛してるんだけど──そっちはどう?なんて最後まで意地の悪い言葉が降ってくる。もう本当に、この人は。
「──好きですよ、例え貴方がどんな悪い男でも」
本音をぶつけてやると、本当に嬉しそうに笑うから、あぁもう敵わない。

どうやったって、貴方には

15/05/31