「あれさん、足赤くなってますよ」
「え、どこどこ?」
「ほら、こことそこと…うわぁ結構数ありますね。ぶつけたんすか?」
レオナルドの指摘に、慌てて自分の足を見下ろした。彼の言う通り、膝の内側、ふくらはぎ、それと腿の裏側が数ヶ所赤くなっていた、それも両足だ。よく気付いたなぁと思うが、彼の能力を考えれば当然かもしれない。
「おっまえなんちゅーとこ見てんだよえっろーそれセクハラって言うんだぜ知ってたか?!」
「そういうつもりで見てねーよ!…見てないですからね!!」
「わかってるわかってる」
ザップのからかいに律儀に対応するレオナルドは、純粋で可愛い。くすくす笑いながら気にするなと手を振ると、安心したように胸を撫で下ろしていた。
そもそもショートパンツを履いているのだから、見られても文句はいえないだろう。というかそんな風に反応するザップの方がよっぽどセクハラだと思うし、そもそも普段の発言を考えたら、お前が言えた義理じゃないだろうと心底思う。
さて、場所を確認したは良いが、ぶつけた記憶は特にない。寝ている時にでもぶつけたのかと思ったが、外側ならともかく、内側は中々ぶつけないだろう。その上、痛みもないのだから不思議なものだ、普通ぶつけて赤くなっていたら少しは痛みがあると思うのだが。擦りながらそんなことを考える。
そもそも昨日は恋人の腕の中でぐっすりだったのだから、ぶつけたというのは考えにくい。
「…ん?」
昨日は、恋人の腕の中でぐっすり。それは、つまり眠る前にややふしだらな運動を行ったという訳で。
「んん?」
そういえば、昨夜はやけに下半身をしつこくねぶられたような気がする。何故かと問うても彼はにっこり笑うだけで一切答えてくれなかった。そのあとの記憶はあまりない、もう何もかも考えられないくらいぐずぐずに乱されてしまったのだ。つまり、彼の行動は、あまりよく覚えていない。ということは、そういうことで。
「どうかしたんすか?」
「あ、うん、いや、その…」
レオナルドの純粋な瞳が、今は痛かった。なんでもないよ、と続けようとした瞬間、ザップがにやぁと笑った。こういうことには、殊更頭がよく回るね、君。
いや、待ってくれ、言わなくてもいいことも世の中にはある。頼むから黙ってて欲しい、なんなら昼飯を一回奢ってもいいくらいだ。そう祈るような気持ちでザップを見つめてみるが、奴がそんなに察しが良い訳もなく。よしんばこちらの気持ちに気付いたとしても、絶対に黙っていないだろうが。
「それってよぉ──キスマークじゃねぇの?」
遠慮も恥じらいもなく、からかうように告げられた言葉に、ぶわっと頬が熱くなったのがわかる。それはもう火を見るより明らかな肯定で。
「……なんか、その、すいません」
レオナルドが、気まずそうに顔を逸らして言う。謝罪したいのはこちらの方だった。


:::


カツコツカツコツ、と路地にヒールの音が響く。やけに大きく聞こえるのは、それだけ急いでいる証拠だった。見知った帰り道をひたすら駆け抜ける。多分、新記録を更新しているのではないだろうか、それくらい脇目も振らずに走っていた。
信じられない、ほんと信じられない。いや気付かなかった自分もどうかとは思うが。全ては飄々と事を成した彼のせいだ。
ばんっと、ノックもしなければチャイムも鳴らさずに、昨夜も訪れた家の扉を開ける。既に帰っているのは知っていた。もしも家政婦のヴェデッドが居たらどうしようかと思ったが、今日はもう帰ったらしい。これで遠慮なく怒鳴れるというものだろう。
ずんずんと、勝手知ったる部屋の中へ進んでいくと、そこには涼しい顔をしたスティーブンが優雅に新聞を眺めていた。こちらの侵入には既に気付いていたのだろう、怪訝そうに目を細めていた。そんな顔をしたいのはこちらの方だ。
「──おかえり。ノックもなしだなんて随分と無遠慮だなぁ、…どうかした?」
「どうかした?じゃありませんよ!」
これ!と足を指差すと、彼はあぁと頷いて、
「それが、どうかしたのかな?」
と、平然と宣うのだから腹の虫は収まらることを知らない。首まで傾げられてしまっては、まるで怒っているこちらが悪いみたいじゃないか。
こちらの怒りをまるで無視して、彼は優雅にコーヒーを一口。開いていた新聞を閉じたかと思いきや、立ち上がり、一言。
「何か問題あったかい?」
大有りだ、と言いたかったが自分よりも上背の大きな彼に見下ろされると、威圧感に圧迫され途端に言葉に詰まってしまう。狙ってやっているのだろう、にっこり笑ったその顔が腹正しいことこの上ない。
「っあるに、決まってるじゃないですか!」
負けてたまるか、と強気に言葉を返す。意外だったのだろう、おやと目を丸くする彼が憎らしい。絶対これで黙ると思っていたのだろう、そこまでちょろくない。
「へぇ、どんな問題?」
「そりゃあ、その、」
質問を重ねられて、すぐさま答えが出てこなかった。いや確かに問題はあるのだが、そう素直に聞かれるとどう答えたらいいのやら。
そんなこちらの様子に、彼が噴き出すのも無理はない。自分だって笑ってしまいたいくらい、ちょろいと思う。
「いやぁ、思ったより早かったね。誰の入れ知恵かな」
やっぱり狙ってたな、この野郎。思っても口にしなかったことを褒めて欲しいくらいだ。ぎりりと歯を食い縛るのと同時に睨み付けたが、彼はそんなものどこ吹く風とばかりに爽やかに笑っていた。悔しい。
「レオくんとザップですけど!」
「少年が?」
どうやらレオナルドの名が出るのは予想外だったらしい。驚いたように復唱すると、意外だなぁと呟いた。
「こういうの疎いかと思ってたよ」
その認識は間違いではない。レオナルドは、ただ単純に赤くなっていることに気付いただけで"そういうこと"が行われていたと、まるで思っていなかったのだ。ザップの無遠慮なからかいによって、呆気なく彼の知るところとなってしまったが。
いや、今はそんなこと結果については関係ない。それより重要なのは、何故こうなったかという過程だ。
「なんで!こういうこと!するんですかね!!」
「したかったから」
さらっと、何を怒っているのやら、といわんばかりに悪気なくいわれた。ふざけている。したかったから、で納得出来るわけがないだろう。
わなわなと震えていると、不意に顎を掴まれる。そのままぐいと無理矢理彼の方を向かされた。地味に 痛い、一体なんだというんだ。きっと睨み付けると、彼の方も不機嫌そうだった。ちょっと待て、怒っているのはこっちの方だ。
「そもそも、俺は今朝、ちゃんと忠告したはずだけど?」
はて。唐突に朝のことを持ち出されて思わず瞬きをひとつ。
そういえば、と今朝のことを思い返す。眠い目を擦って、昨日脱ぎ散らかした─正確には脱がされた─服をもそもそ着ている時に、何かごちゃごちゃいわれたような気がする。するのだが、眠さの余りよく覚えていない。その時は確か、二度寝したいなぁとか、今日のお昼はなに食べようかなぁとか、そんなことを考えていた気がするが、今はそんなの関係ないだろう。
言葉を返せずにいると、はぁと溜息を吐かれた。なんだかすごく、馬鹿にされたような気分だった。
「本当にそれ、履いてくのかって、聞いたと思うけどなぁ」
覚えてないの、とわざとらしく聞かれる。取り敢えず、呆れられているのはわかった。彼の言葉に、今朝のことを更に深く思い返す。
「確かに、なんか、そんなようなことを聞いたような気が、うっすらしますね…」
「…ほんっとに、朝はポンコツ以下だな、君」
ぐう。心底馬鹿にされてしまったが、事実なので否定出来ない。
言われて思い出したのだが、確かに今朝は服装について何度か言及された覚えがある。そのときは余りの眠さにハイハイ、と聞き流していたが。まさか、ちゃんと忠告してくれていたとは。
「で、何かいうことは?」
すみません、と言いかけたが違うだろう。騙されてはいけない、問題はそこではないのだ。確かに、朝ちゃんと忠告を聞かなかったのは、どう考えてもこちらが悪かったかもしれないが。
「そもそも最初から、こんなとこに付けなきゃいい話ですよね?!」
「…君、妙なとこ頭が回るんだよなぁ」
舌打ちがひとつ降ってくる。やはり煙に巻こうとしていたらしい、というかどさくさに紛れて人を馬鹿にするのはやめて頂きたい。
思わず眉間に皺を寄せると、柔らかな感触。どうやら彼にキスされたらしい。いやいや、騙されませんからね。反射的に頬が熱くなったのは無視だ、無視。
「そういうことして、誤魔化さないでくれませんかね」
「え?もっとして欲しいって?」
「言ってない言ってない!」
慌てて否定すると、けらけらと笑われた。完全に馬鹿にされている、腹正しい。というか、そろそろこの顎に添えられた手を離してくれないだろうか。強引に固定されていて、いい加減付け根の辺りが痛くなってきた。
「思うに、君は不用意なんだよ」
「はぁ…」
いきなり何を言い出すんだろう、この人は。
思いっきり顔を歪めていると、ふっと笑われて優しく口付けられる。
「──俺も案外、心が狭くてね」
他の男に、そんなところを見られるなんて冗談じゃない。囁くようにいわれてしまえば、先程の比ではないくらい顔が熱い。ぶわっと熱が広がって、今顔が真っ赤であろうことを自覚する。
「まぁ、ザップとレオには見られたみたいだけど」
面白くない、といわんばかりに呟いた彼は少し不貞腐れているようで可愛く見えた。つまり、嫉妬、ということだろうか。
それならそうと最初から言ってくれれば、そもそもこんな服着なかったのに。何度も泊まっているため、彼の部屋には自分の洋服が何種類かストックされているのだ。
そんな理由だと、怒るに怒れないから困ってしまう。現に、今は怒りより、恥ずかしさと嬉しさでいっぱいだ。ずるい、本当にずるい。
「──さて、と」
不意に、彼の声が低くなる。これまでの少し甘い雰囲気は一転し、ぞわりと嫌な予感が背筋に走る。
目の前には、にっこりと綺麗に笑うスティーブン。わーかっこいー色男は違うなぁ、等とのんきに考えている場合じゃない。本能が距離を取るべきだと訴えている、素直に従い一歩後退ろうとしたその瞬間。
「んん!」
強引に唇を奪われる。彼の唇が触れたと思ったら、無理矢理舌で閉じた口を割り開かれる。強引に侵入してきた舌が、思うがままに口内を貪り、蹂躙する。顎に添えられた手は、いつの間にか後頭部を包んでいた。逃がさないといわんばかりの戦法だ、そんなことまでしなくても腰が砕けて動けないから安心して欲しい。
「…っは、ぁ」
ようやく唇を離されて、息を吸い込む。がく、と足の力が抜けそうになると、すっと彼の大きな手に支えられる。抜け目がない。
目が潤んでいるせいだろう、ぼやけた視界で彼の顔を確認してみると、それはもう楽しそうな、でも少し怒っているような、とにかく嫌な予感しかしない笑みを浮かべていて。
「──ベッド、行こうか」
その言葉に抵抗する気力も体力も、既に残っていない──というのは、建前で。嫉妬をしてくれたことも、このあとの行為も、恥ずかしくはあるが結局のところ嬉しいのだ。
素直に頷くと、嬉しそうに目を細めて笑う彼。そんな彼を見れるのは自分だけなのかと考えると、どうしようもなく嬉しくて。横抱きにされたのをいいことにぎゅうとその首に両手を回し、今度は自分から口付ける。不意をつかれた彼の顔はそりゃあもう可愛くって、思わず口許が弛むというものだ。

赤い牽制

15/06/02