いつもより、高いヒールで背伸びして、生地のしっかりした洋服で身を包み、大人なフレグランスを選んでまとう。気合いが入っていると気取られない、だけど小綺麗だなと思わせる姿で席に着く。
前菜を飛ばして、本来はこの後に食べるべきサラダを選んだのは、今日頂くのは高級フレンチではなく、そこそこの価格帯のイタリアンなのだから好きに食べさせてもらうことにした。格式ばった店ではないのだから、それくらい許して貰おう。そこそこの価格帯とはいっても、頻繁に来れるかといったら躊躇ってしまうくらいなのだが。今回、自分の懐が痛むのとは一切ないのだから、気にしないことにする。そんなことより、食事を楽しみたい。
生ハムの塩気とチーズの品のいい口どけ、そして何よりドレッシングとの相性が抜群で、さくさくサラダを食べ進めていく。昔は野菜が嫌いだったものだが、時の流れとは不思議なものでいつの間にか食べないといられないようになってしまった。新鮮なルッコラだなぁ、めちゃくちゃ美味しい。
「美味しい?」
問いかけられて頷くと、彼はほっとしたように笑った。そんな彼の食事の進みは悪い。先日食べた料理があまりにも美味しかったらしく、今まで普通に食べていたものが味気なく感じるそうだ。羨ましいと思う反面、自分の現在に少し安堵した。今までの食事が質素に感じるというのは、中々に辛いものがある。
前菜が終わるとすぐにメインだ。彼の皿にはまだサラダが残っていたが関係ない、ウェイターに合図を送ると心得たとばかりに頭を下げる。マッシュルームを散りばめたシンプルなピザが運ばれてきて、思わず口笛を吹きそうになった。美味しそうだ、狙い通りのいい匂い。
ちらりと彼に視線を向けると、お先にどうぞと言わんばかりに促されてすぐに手を伸ばす。一口頬張ると、濃厚な見た目とは裏腹にあっさりとした味。メニューを一瞥した時から決まっていた、今日のメインは君だと。その直感に、間違いなど微塵もない。
「んんんー!おいしいぃ!」
「君、ほんとにうまそうに食べるよなぁ」
「だって、美味しいですもん」
「そりゃあ何よりだ」
なんだか子供扱いされているような感覚だ。しかし、美味しいものは美味しいのだから仕方ない。口の中に広がる味を噛み締めながら、沸き上がる衝動のままに食べ進める。最高だ、今日ばかりは自分の体型については気にしないでドカ食いしてやろうと心に決めた
「よく食べるね、
「こないだモルツォグァッツァに行き損なってるんで、こういう美味しいものに飢えてるんですよ」
「…悪かったよ、だから今日はご所望の店に連れて来たじゃないか」
そう、先日彼らはかの有名なモルツォグァッツァで優雅にコース料理を堪能したらしい。そりゃあクラウスやスティーブンなどなど上役の面々だけならば仕方がないと諦められるが、レオナルドどころかザップまで行ったというのだから話は別だ。
その日、何故か、たまたま、たった一人で、突如来訪してきたVIPの対応をさせられていなければ。食べるもの全てが味気なく感じるなんていう、その贅沢過ぎる悩みにも同意出来ただろうに。
彼らの現状を見るに、行かなくてよかったという思いはあるものの、やはり羨ましいものは羨ましい。だって、かの有名なモルツォグァッツァだ、自分の給金では逆立ちしたって行けやしない。あぁ、はやくまた来訪してくれないだろうか、今回会い損なった王子さま。
「なんで私、行けなかったんだろう…」
「恨むなら、接待上手な自分を恨め」
なんだそれ。
「しかし、意外と根に持つね、君」
「人間、美味しいものを食べることが何よりの幸せなんですよ」
「こないだ、二度寝こそ人類の至高とか言ってたのは誰だったっけ」
「至高の幸せと何よりの幸せは、また別種です」
屁理屈いうね、と笑われた。貴方にだけは言われたくない。
でも実際のところ、睡眠と食事はまた別だろう。どちらも人類にとって必要不可欠なもので、比べること自体どうかしている。眠っていなければ食事を味わうことも出来ないが、満足な食事がなければ満足な睡眠だって取れない。切って切り離せない間柄といってもいいだろう。人類の三大欲求の二つを占めるのだから、やはり重要だ。
「そういえば、知ってるかい?」
不意に、静かな、低めの甘い声が囁いた。耳障りのいい、優しい声だ。品のよいBGMや近くの客の歓談を邪魔するような大きな声ではないが、何故だか彼の声はするりと耳に届く。不思議なものだ。
言葉に合わせてちらりと視線をそちらに向けると、グラスを持ち上げた彼はワインの色を見ていた。この人を前にして何度だって思ったことだが、色男は何をしても色男のままだ。ワインの色などを見て何がわかるのか知らないが、こちらに視線を向けずに彼は続ける。
「食事の仕方は──セックスに似ているらしいよ」
へぇ、そうなんだ。さらりと、悪気もなければ恥ずかしげもなく言う彼はあまりにも自然で、思わずそんな風に流しそうになる。口に含んだものを出さなかったことを、誰か褒めて欲しい。
グラスを一口、上品に煽って彼はまた、何の気なしに自然に問いを重ねたのだから困り者だ。
「どうなんだろうね、実際」
「っ知りませんよ!!」
「急に大声出してどうかした?」
首を傾げる姿が憎らしい。まるで反応するこちらが悪いといわんばかりの態度だ。腹正しいことこの上ない。
「セクハラですよ、セクハラ!」
「前にも言ったけど、恋人同士の可愛い戯れじゃないか」
「どの口がそれを…」
にっこり笑って、彼はその楽しげな口許をとんとんと示す。あぁこの口ですか、はいはいかっこいいですね。いやそんなことを聞いてるんじゃないんです全くもう!
「君、すごくうまそうに食べる訳じゃないか」
「おいしいですから」
「つまりセックスもそれなりに楽しんでるってことなのかな、いやいや言う割に」
「スティーブンさん!!」
ひどいセクハラだ。だん、と思わずテーブルを叩くと彼はくすくす笑って、すうと口許に人差し指を当てる。その姿の、絵になること。
「──静かに、食事中だろ?」
誰のせいだ、誰の。
しかし、言葉通り食事中に騒ぐのはまずい。それは誰のせいかと聞かれると、間違いなく彼のせいなのだけど。押し黙ったこちらの様子が面白いのだろう、彼ははっはっはと笑った。この野郎。
「いやぁ、君は本当に可愛いねぇ」
「全然、全く、これっぽっちも、嬉しくないです」
「本心だよ」
「そんな話題で褒められて、喜ぶと思います?」
あぐ、とピザを口に運ぶと、せっかくのメインはすっかり冷めてしまっていた。美味しいことには変わりないが、どうせなら熱々の焼き立てを堪能したかった。だって、滅多に来れない美味しいお店のメインだ、最高のタイミングでじっくりと味わいたかった。
恨みがましく睨み付ける、八つ当たり?そんなもの知ったことか。
「つれないなぁ」
爪先で、つん、と脛をつつかれる。靴で人の足を触るとは何事だろうか。だがその表情は楽しそうで、うっかり可愛いと思ってしまうのだから、惚れた弱味というのは恐ろしい。
こちらが避けないのことに気を良くしたのか、調子に乗った彼の狙いはふくらはぎに移る。つぅ、と靴先でなぞられてしまえば、妙な感触に肩が跳ねるのは仕方がないだろう。
「なんですか、もう」
「えぇ?なんのことかな」
なんと、白々しいのだろう。しかも、こちらの意見に対して足の動きは止まらない、それどころか更にいやらしくなっている気がするのは気のせいだろうか。足先ひとつで器用なものだ。しかし、彼の目的はなんなのだろう。人をからかう為だけ、というのは考えにくい。何せ彼の武器は、今まさに自分に触れているその長い足なのだ。
不意に、楽しげだった彼の表情が少し変わったような気がする。いや、正確には、まとった雰囲気だろう。すう、と細められた目に、ドキリとする。それは、こういう明るい店内でなく、ほの暗い寝室でよく見る目だった。
まさか、そういうことなのか。わざわざその為にあの話題を選んで、今こういう悪戯をしているのか。わかりにくい上に、回りくどい。しかも、いつまで経っても直接的な言葉が来ないということは、つまりこちらに言わせたいのだろう。面倒くさい、というか女性にそういうことをいわせるのはどうなのだろう。一応抗議の視線を送ってみるのだが、彼は素知らぬ顔をするから性質が悪い。絶対この人気付いてるよなぁ、でも譲らないんだよなぁ。
大きく、わざとらしく溜息を吐いてみるが、彼の笑顔はひとつも崩れない。はいはい、言えばいいんでしょう言えば。
「…あの、スティーブンさん」
「…うん?」
「もしかして、誘ってるんですか」
「直接的だなぁ、ムードとか考えたりしないの、君」
やかましい。待ってたくせになんだその態度は。喉まで出かかった文句はワインで流しこんでやった。
呆れたようにいう割に上機嫌な彼は、すっと足を引いたかと思えば冷めきったピザを口に運んだ。唇を開いたことにより、舌先がちらりと見える。こぼれそうなチーズをすくうようにしてかぶりつく。ピザに向けられていた視線が、おまけとばかりにちらり、こちらに向けられる。射抜くような視線に、心臓が跳ねたのは気付かれていないと良い。あぁもう、これだから自分の魅力をわかっている人は嫌なんだ。
食事の仕方はセックスに似ている──彼が口にしたその言葉を思い出させるように、丁寧に、いやらしく、上品に、たった一切れのピザを食べる姿にくらりとする。ひどい誘い方だ、何がムードだ、直接的なのはどっちの方だ。
「…スティーブンさんの、食べ方」
「ん?」
「やらしい」
負けっぱなしなのは悔しくて、思う通りになってやりたくはなくて。思わず口にした素直な言葉に、それはそれは楽しげに笑って、口許についたソースを親指で拭う。その姿は、いやに様になっていて。ちくしょう、かっこいい。
「──好きだろ?」
答えなんてとっくのとうに見透かしたくせに、敢えて聞いてくるのだから本当に性質が悪い。素直に頷くのも、答えを返すのも悔しいので、いつもより背伸びしたパンプスの爪先でつん、と彼の脛をつつく。満足そうに笑う彼は、この捻くれた答えがお気に召したようだ。あぁもう、さっさとピザを食べきってしまおう。申し訳ないが、メインだった筈のピザは前菜の延長に格下げだ。メインはこの店では食べられない、彼の部屋か自分の部屋か、はたまたどこかのホテルか、とにかくベッドのあるところがいい。メインが互いの身体だなんて、一体どこの三文小説だ、今時官能小説でもそんな発想出て来ない。でも、それはそれで悪くないと思ってしまっているのだから、もう結構手遅れな気がする。

メインディッシュはベッドの上で

15/06/04