「スターフェイズさんって、そのクソガキのどこがいいんすか?」
夢現の中、不意にそんな声が落ちてきた。
声の主は誰だろうと思うが中々瞼が上がらない。どうやらまだ身体は睡眠を欲しているようだ。どこか ふわふわとした感触だ。恐らく自分は横になっているのだろうが、どうにもそうにも着地点がない気がする。浮遊感、というには重力を感じるから、きっとこれは頭がぐらついてるからなのだろう。そもそもどうして寝ていたのだっけ、そんなことをぼんやり考えていると、耳慣れた声がまた落ちてくる。
「…ザップ、なんだ急に」
あぁ、先程の声はザップだったのか。つまり、今話しているのはスターフェイズさん、自分の恋人であるスティーブンだ。耳慣れた声は低い割に甘くて、女性が好むものだろう。勿論自分も例によって彼の声が、ひどく好きだった。今は少し呆れているような声だ、それも中々どうして悪くない。
すっと、ひんやりとした指先の感触を覚える。どうやら髪を撫でられているらしい。その手付きは優しくて、心地よくて、また夢の中に誘われそうだった。その邪魔をするのは勿論ザップだ、いつもより舌ったらずなハスキーボイスが、うつらうつらとしていた自分の耳を強襲する。どうやら酔っているらしい、音量というものをまるで考えていない、耳障りな声だった。
「ずっと聞きたかったんすよぉ、こーんな色気のくそもねぇド素人のガキを、なんでアンタみたいな男が相手にするのかって!」
大きなお世話だ。と声を大にして言いたかったが、髪を撫でる手付きがあんまり気持ちよくて、精々唸り声をあげるのが精一杯だ。
しかしうるさい。人がせっかく心地よくて睡眠に入れそうだというのに何故邪魔をするのか、そもそもここは一体どこで、今は何時なのか。瞼が上がらない自分には知る由もないことだった。
「お前には関係ないよ、どうでもいいだろ」
「関係大有りっすよぉ!スターフェイズさんとデキてからこいつ付き合い悪くって、お陰でもう今月はすかんぴーん!」
テンションが有り余っている声は、確実に酔っぱらっていることを如実に表していた。キンキン耳に響く声はやっぱりうるさくて、思わず眉間に皺が寄る。
「今月まだ始まったばかりだぞ、もう全部スッたのか」
「つい十時間前っすかねぇ、馬がよぉ、これまたぜんっっっっっっっっっっぜん走んなくって!」
「あーそう、よかったなー」
清々しいくらいの棒読みだが、正しい反応だと心底思う。せっかくの微睡みが台無しだ、だんだんと頭まで覚醒してきたからザップの罪は重い。瞼こそまだ開かないものの、思考だけはもうばっちり目が覚めてしまった。
「んでぇ、スターフェイズさんはスカーフェイスさんなのに、どーしてこんなクソガキで遊んでるんですかねぇ?」
「ザップ、凍り付けになりたいのか?」
低く唸るような声、威圧感たっぷりのそれは確かに怒気を孕んでいた。ザップの無遠慮な言葉を一蹴しているようで、こっそりと安堵する。どうやら、遊ばれている訳ではないらしい。
こんなこと、それこそスティーブンには絶対言えないが、どうして彼が自分なんかを選んだのかは、付き合ってから数ヶ月経った今もさっぱりわからなかった。ザップの言うように、遊ばれているのではないか、とさえ思う始末だ。まぁ、遊ばれているとしても傍に置いて貰えるならいいか、と思っていた辺り相当やられていると言えるのだが。
「で、このクソガキのどこがいいんです?」
挑発するような、腹の立つ声。先程絶対零度の声を聞いたというのに、よくもまぁそんな声を出せるな、と少し感心していた。これも酔っぱらいだからこそ成せる技なのだろうか、恐ろしい。
しかしながら、まぁ、そんなザップを、心の奥ではこっそり応援はしている。何せ、自分では聞けないような類いの質問だ、そのままどうぞ不躾に根掘り葉掘り聞いてくれ、とさえ思った。だって本当に、彼がどうして自分なんかを傍に置いてくれるのか、その理由が全くわからないのだ。
「…お前飲み過ぎだぞ」
「なにいってんすかぁ、まだ俺五時間しか飲んでないっすよぉ!」
五時間も飲めば充分だろう、彼の吐いた溜息に深く同意をする。斯く言うスティーブンも同じくらい飲んでいる筈なのだが、彼の舌は明瞭で紡ぐ言葉に一片の曇りもない。
そう、今日はパーティーだった。もうなんの名目だったかは覚えてないが、とにかくライブラの構成員のみで始まったどんちゃん騒ぎだ。ザップもスティーブンも、開始時刻から居たので今は丁度五時間くらい経っているのだろう。ザップの酩酊具合からして納得の時間だ。自分の記憶があるのは三時間に到達したくらいの頃までなので、それからずっと眠っていたのだと思う──恐らく、スティーブンの膝の上で。ザップの耳障りな声のせいでしっかり覚醒をしてしまった頭が、今自分が転がっている場所がソファーであること、スティーブンとザップの会話が頭上で行われていることを教えてくれている。頬に当たる、ほんのり硬い暖かな感触は、恐らく彼の太腿だ。実は肩だったりしないかなぁ、なんて思ってはいるが、先程から髪を撫でる手が右手だったり左手だったりするから恐らく太腿で間違いはないのだろう。
一体どうしてこんな状況になっているのか、全く覚えがないところがまた怖い。大方酔っ払ってそのまま寝落ちしてしまったのだろうけど、自分は確かレオナルドの隣にいた筈なのだが。まぁ覚えていないことをぐだぐだ考えていても仕方ない、緊張はするがせっかくの彼の膝を思いきり堪能しておこう。何せこんな機会、素面では滅多に巡ってこないのだから。
「んで、なんでっすか?スカーフェイスさんくらいだったら、それこそ女なんて星の数じゃないっすかぁ」
「…酔っぱらってるくせにしつこいなぁ」
いや、酔っぱらってるからなのか?とぶつぶつ呟く彼に心底同情する。あまり飲む機会が多くないスティーブンは知らないかもしれないが、酔ったザップはそりゃあもうしつこい、その上妙に甘えてくるから鬱陶しくて仕方がない。そして質問をし始めたが最後、ザップが納得しない限り延々とその質問が続くのだ、今時なぜなに坊やだってここまでしつこくないだろう。
はぁぁあ、と一つ深い溜息を吐いた彼は、どうやら観念したらしい。撫でる手をぴたりと止めて、実に面倒くさそうに呟いた。
「知ったところで、お前にはわからないと思うけどね」
「えぇ、わかるように教えてくださいよぉ」
「嫌だよ」
即答だった。ちぇ、なんて呟いているザップは流石に酔っていてもこの人に逆らってはいけないということはよくよくわかっているらしい。
「そうだなぁ──しいて言うなら、俺を好きなところが好きかな」
「はぁ?」
なに言ってんだろうこの人。ザップの間抜けな声に押されるようにして、そんなことを思った。
うっかり眉間に皺を寄せそうになってしまったので、慌てて唸り声をあげながらごろんと寝返りを打つ、わざとらしくなかっただろうかと考えながら。広いソファーでは、自分の小さな身体はいかようにもなるのでこういう時に便利だ。彼の腹の方だろうか、取り敢えず顔が見えないようにとなるべく身を寄せた。
「えええ、そんな理由だったらそれこそ山ほど女釣れるじゃないっすかぁ、誤魔化さないでくださいよ!」
そうだそうだ、頑張れザップ。不貞腐れたような、つまらねぇと言いたげな声の奴を心底応援した。これではあんまりな理由だろう、どう考えても誤魔化そうとしているに違いない。
「誤魔化してないよ。他にもあるが、まぁこれが一番の理由だね」
はぁ?と声を漏らさなかったことを、誰か褒めて欲しい。なんだそれ、と思うのは自分だけではないだろう、現にザップだってブーイングしている。というか、もしこれが事実だとしたら、この人は好いてくれる人間なら誰でもいいことになる。そんな尻軽だったのか、と今すぐ胸ぐらを掴んでやりたいくらいだ。まるで浮気された男性のようだ、と思わなくもないが、つまりそれくらいの気持ちだということで。
「そんじゃあ、それこそこいつじゃなくたっていいじゃないっすかースカーフェイスさんマジ女の敵っすね!」
お前にだけは言われたくないだろう。
「…まぁ、なんとでも言ってくれ」
そこは反論しないのか。というか色々と否定してくれないと、流石にちょっと悲しいのだけれども。じんわりと、閉じた目が熱くなっていくのを感じる。
いや、確かに彼が自分を好きになる要素はあんまりないし、そもそもこちらの押して駄目なら押しまくれというガッツに溢れた作戦に白旗を挙げた彼だから、そこまで決定的な理由はないのかもしれないと思ってはいた。思ってはいたが、これは、ちょっと、あんまりじゃあないだろうか。それともあれだろうか、狸寝入りなんかして彼の気持ちを聞こうとした天罰なのだろうか。神様って奴は、案外サディスティックなんだなぁ。
「ザップっちぃ、こーんな陰険腹黒男と飲んでないでアタシと飲み比べしましょうよぉ」
「げっ姐さん!」
「ザップっちが買ったら明日の昼ご飯奢ってあげてもいいわよー!」
「マジすか!!乗ったー!!!!」
もう少し言及してくれるか、と期待していたが、こちらも酩酊状況のK・Kに挑まれて、あっさりと奴は去っていった。ふわりと香る葉巻の匂いが憎らしい、ちくしょう、これだからザップは。
残されたのは、やれやれと嘆息したスティーブンと、彼の膝を間借りしている自分だけだ。実に気まずい、こんな話を聞いたあとでは起きるに起きられない。というか、じんわりとこぼれ落ちてきそうな涙をどうにかしなければ無理だ。どうしよう、と頭を抱えていると、不意に輪郭の辺りをするりと撫でられる。指先はそのまま頬を伝い、ぐにっと鼻を摘まんだ。なんだなんだと思っていると、頬に何か当たって、
「──そろそろ、狸寝入りはいいんじゃないかな、
そんな声が、熱い吐息と共に耳に滑り込んできた。びくり、と肩を震わせると同時に、ばっと目を開いた。重かった瞼が嘘のように、すっと視界が開ける。案の定彼の腹辺りが目に入る。恐る恐る、ゆっくりと顔を動かすと、満面の笑みを浮かべたスティーブンが自分の顔を覗き込んでいた。
「おはよう、枕の具合はどうだい?」
ぱっと鼻を解放しながらそんなことを聞いてくる彼は、怒ってはいないようだ。しかし油断はならない、ここからは言葉ひとつで彼の機嫌を損ねかねないのだから。
「えぇと、ですね…」
「狸寝入りするくらいだから、あんまりだったか」
嫌味だ、なんという嫌味だろう。口端をひくつかせていると、やれやれと言わんばかりの溜息が落ちてくるが溜息を吐きたいのはこちらの方だ、この狐め。
「いつから気付いたんですかね…」
「君が唸り声をあげたくらいかな、あぁ、勿論一回目の」
「ほぼ最初からじゃないですか!」
「まぁね」
何故気付かれていたのか。というかそんなにはやくから気付いていたのならば、先程の会話はわざとということになる。なんたることだ、人を傷付けて楽しんでいるとしか思えない。それでも好きな気持ちは薄れるどころか深まっていくから不思議だ、被虐趣味はなかったと思うがいつの間にこんなことに。それもこれも全部彼のせいだ、我ながらひどい男に引っ掛かっていると思う。
ぐぬぬと唇を噛んでいると、するりと下唇の輪郭を指先がなぞる。どうやらやめろと言いたいらしい、ちくしょう、誰のせいでこんなことしてると思っているのだ。
「君は爪が甘いんだよ、本当に寝た振りするならきちんと研究しないと。俺が、どれだけ寝ている君を見てると思ってるんだい?普段ベッドでは静かに寝息を立てている君が、今日に限って寝ながらあんなわざとらしい唸り声をあげるなんて、そんな偶然があるとでも?」
ぐうの音も出ない、仰る通りだ。しかし、自分の寝姿を観察している彼もどうかと思う、それだけベッドを共にしたのかと振り返ると恥ずかしさやらも加わってもう何も言えないのだけれど。
「で、どう?俺が君を好きな理由を聞いた感想は」
やっぱり、わざとだったのか。わかっていて敢えてああいうことをするなんてひどい、その上感想まで求めてくるのだから性質が悪いにも程がある。
唇をなぞる悪戯な指はそのまま、感触を楽しもうとふにふに押したりしてくる。この野郎、噛んでやろうか。
「…スティーブンさんは、とんだ尻軽なんだなぁって思いました」
「なんだそれ」
一瞬丸くした目を細めてけらけら笑う姿は、いつもであれば可愛いなぁと素直に思えるのに。これまでの非道な発言や行動を鑑みると、小さく舌打ちが漏れるのは当然だ。
苛々しているこちらを見て、スティーブンは実に面白そうに興味津々な視線を向けてくる。続けろと言いたいのだろう、促してくる蘇芳の瞳にまたひとつ舌打ちを溢してから唇を開いた。
「愛してくれるなら、誰でも良いんですね」
「うーん、まぁそうなるかな」
否定しないのか。
じんわり瞳の奥が熱くなって、視界がぼやける。涙がまた滲んできているのだ、この人の前で泣くなんて、それこそ彼の思う壺だとわかっているのに。
彼はくすりと笑って、先程から唇で遊んでいた指を目尻へと移動させる。拭うようになぞられて、堪えていた涙がぽろりと零れた。ちくしょう、ちくしょうちくしょうちくしょう。ものすごく悔しいのに、あんまりだよと怒りが溢れているのに。そんな自分を見る彼の顔が、あんまり嬉しそうで、あんまり楽しそうだから、もうこれでも良いかな、と薄ぼんやり考えてしまっている辺り、もう駄目だのだろう。結局いつだって、彼の思うがままなのだ。きっと彼にとって、ここで自分が泣くことさえ折り込み済みなのだ。
「でもね、」
するり、と目尻から移動した指先がぱらぱらと前髪を払って額を露にさせる。にんまりと笑った彼は、相変わらず楽しそうだ。
「こんなどうしようもない俺を愛し続けてくれるのって──君くらいだと思うんだよなぁ」
そう、言いながら。顔を近づけてきて、ちゅっとひとつ音を立てて優しい口付けを落としてくるこの男は、ずるい。ぶわっと目元が赤くなったのは、まだ抜けていない酒のせいではないと彼は気付いている。気付いてこんなことを言うのだから、本当にずるい男だ。どうしようもないと、自覚しながら改める気配は全くないし。その上、どんどんそのどうしようもなさで人をさんざっぱら傷付けて楽しんでるし。本当に、本当にどうしようもない、我ながらなんて最低な男を好きになってしまったのかとさえ思う──それでも。
逃れようと、嫌いになろうと、思えないのだから自分だって大概なのだ。もう逃れられない、そんな道は自分で捨ててきてしまった。彼の居ない人生を歩むならば、彼に傷つけられる人生の方がよっぽどマシだとさえ思うのだ。
「…スティーブンさん、」
「ん?」
「すき」
「うん」
「あいしてます」
「うん」
「だからもっと、わたしをすきになって」
「…馬鹿な子だなぁ」
そう言って、くしゃりと顔を歪めた彼を、滲む視界の中でぼんやり見つめていた。嬉しそうだなぁ、幸せそうだなぁ。満足そうなその表情は、いくら見ても飽きなかった。
また彼が顔を近づけてきたと思ったら、
「──だから俺は、君が好きなんだ」
そんなことを言うもんだから、また目の奥が熱くなる。歪む視界の中で、彼が笑って顔を寄せてくるのが見える。そんな子供みたいな顔、誰にも見せないでくださいね、なんて考えながらそっと瞼を伏せると、またひとつ涙が零れた。

ぼくがきみを好きな理由

15/07/04