いつものように仕事中、いつものように何かしらの事件に職場が巻き込まれ、いつもようにどこかしらが破壊されたので警察を呼んだ。手慣れたものだ、紐育が街の名を変えて以来、少ない時でも月に二度こういったことが起きるのだから当然だろう。
そして、いつものように事情聴取に来たダニエル警部補が呆れたような顔をしていたので、肩を竦めながら話を始めた。
ただ今日は、事情説明後に予想外なことが起きる。
「これやるよ」
「は?」
ひらり、揺れる茶封筒には見覚えがなかった。いつも差し出されるぐしゃぐしゃな被害届とは違い、皺ひとつない綺麗なものだ。それにしても色気の欠片もない渡し方だな、唐突に色気など出されても困るのだけれども。
「なんです?これ」
思わず受け取ったが、しげしげと見つめてみても中身がわかる筈もない。うろんげな瞳で見つめてみると片方だけ見える三白眼が細められた。
「お前な、受け取っといてその顔はなんだよ」
「いや、だって、つい」
差し出されたものは受け取らないと損だろう、だが中身もわからないものに対して警戒するなというのも愚かな話だ。だったらそもそも受け取らなければ良いなんて言われそうだが、それはそれ、これはこれである。
やれやれと溜息を吐くハードボイルドの警部補は、そんな思惑に気付いているのだろうか。先程よりも不機嫌そうな面持ちで、口がへの字に曲がっていた。
「で、なんです?これ」
「遊園地のペアチケット」
「…え、まさかデートの誘いですか?」
「んな訳ねぇだろ」
「ですよねぇ」
自分達の間柄にそんな色っぽいものはない、極めて乾いた関係だ。そもそも、片や被害者、片や警察と職務の一環で顔見知りになったのだから、そんな色っぽい関係に発展する筈もない。こう見えて、自分も彼も公私はきっちり分ける性質だった。けらけらと軽口を叩きながら笑い合う、そんな関係だ。
「あいつと行ってこいよ、こないだの詫びだ」
あいつ、とは自分の恋人のことだろう。スティーブンとダニエル、自分を含めた三人に妙な繋がりがあったことを知ったのは、つい先週のことだった。
「詫び、とは」
「せっかくのデート前に、邪魔しちまっただろう?」
そう、デート前にダニエルと鉢合わせをしたのだ。詫びも何も、こちらとしては彼が嫉妬までしてくれて、寧ろプレゼントを貰ったような感覚だったのだが。そもそもダニエルは邪魔したつもりなどないだろうに、渋っているとひらひらと手が振られてくる、どうやら気にするなと言いたいらしい。
「まぁ受け取ってくれ、大したもんじゃねぇが」
「いや、でも…」
「こないだ犯人から、見逃す代わりにって貰ったチケットだ、俺の懐は一切痛まねぇから気にすんな」
随分チャチな犯人だ。
というかそれを人に渡すというのは、倫理的にどうなのだろう。それに加えて裏取引に使われたものとあっては、中々どうして素直に喜ぶ訳にはいかない。
「そんな大層なもの、受け取れないんですが」
「安心しろ、結局とっ捕まえたからな」
益々受け取りにくい。
「まぁそんな訳でこっちとしても大手を振って使う訳にはいかねぇんだよ、そこで、お前だ」
「はぁ」
「たまたま犯人の懐から、たまたま警部補である俺の懐に移動したペアチケットが、たまたま訪れた事情聴取先で落ちたとしても、なんの不思議はねぇだろ?」
「…あぁ、そういうことですか」
つまり、証拠隠滅だ。にぃとシニカルな笑みを浮かべたダニエルに思わず口許がひくつく。なるほど、転んでもタダでは起きないと、寧ろ転んでいないと、そうさせろと言いたいのだろう。
こんなことをするのはなけなしの正義心が痛まなくもないのだが、いつもなんだかんだ一般市民の職場として守ってくれている借りがある。
「ありがたく使わせて頂きます。遊園地、好きですし」
「おぅ、チャチなもんで悪いが」
犯人からせしめたくせに、ひどい言いようだ。
茶封筒を掲げて一礼すると、ダニエルはけらけら笑う。満足そうな笑みだ、まるで一仕事終えたような顔をしている。いや、実際一仕事は終えているのだけれども。
「精々楽しんでこいよ、あの伊達男と」
「え?」
「あ?」
付け足された言葉に思わず声を上げたのは、あまりに予想外だったから。誰が、彼と行くと言ったのか。
「…スティーブンさんとは行きませんよ?」
「はぁ?」
素直に告げると、すっとんきょうな声が返ってきて思わず耳を塞いだ。じろりと睨み付けると、ごほんなんてわざとらしい咳払いが聞こえてくる。それもその筈、いくらなんでもここは自分の職場であり被害現場である。そして彼は、わざわざ事情聴取に来た警察なのだ。こんな無駄口を叩いているとあっては、流石に体裁が悪いのだろう。勿論、社内の人間はそんなこと気にするような性質ではないが、ダニエルがそんなことを知る由もない。
ずい、と身を寄せられたと思ったらぼそぼそとした声が飛んできた。音量は小さくとも攻めるような言葉尻だ、彼と行かないことに対して、一体なんの問題があるというのだろう。
「じゃあ誰と行くんだよ」
「適当に友達と」
「出所の説明はどうする?」
「適当に懸賞で当たったと」
歪みひとつない返答に、はぁぁあと深い溜息を吐くダニエルは、一体どうしたというのだろう。思わず肩を竦めると、ガシガシと髪を掻いて睨み付けてきた。三白眼に睨まれるのは流石に少し身がすくむが、こちらとしても睨まれる謂われはないだろうと睨み返す。国家権力に、そう易々と屈服していたらこの街では生きていけないのだ。
「…なんで奴と行かない。遊園地だぞ、デートスポットだろ、普通どう考えても恋人と行くだろ」
「いやいや、私と、彼の年齢、知ってますよね?」
そう、いくら伊達男とはいえ彼は三十代だ。そして自分も、いくら東洋系の顔立ちで若く見られるとはいえ遊園地で恋人とはしゃぐような歳でもない。
「どう考えても、私たちの年齢のデートにしてはあまりにも子供っぽいでしょ」
「年齢は関係ねぇだろうが」
「じゃあ雰囲気、彼と私に遊園地が似合うと思います?」
「…」
押し黙るダニエルは正直者だった。自分だって重々理解している、我々に遊園地は似合わない。単体で、例えば十代そこそこの子を連れていればまた違うだろう。弟妹、もしくは子供にせがまれて付き添ってくれている保護者、という立場に見える。しかし、二人で遊園地となると流石にハードルが高い、どう考えてもミスマッチだ。そこそこ歳を重ねた恋人には夜のバーとかレストランとか、そういう落ち着いた場所こそ相応しい。そんなことくらい、自分が一番よくわかっていた。
「安心してください、きっちり友人と二人で楽しみますから」
ひらり、茶封筒を揺らして後押しする。そう、同性二人で行く分にはそんなのまるで関係のない話だ、年甲斐もなくはしゃいだって、誰に見咎められる訳でもない。
これで話はおしまいである、とばかりに言い切った自分の言葉に押し黙ったダニエルは、少し何か考えていた。どうやら別に真意があるとわかっているようだが、不躾にそれを聞くほど愚かでも親切でもない。ダニエルが仕方ないとばかりに溜息を吐いたことによって、自分の勝利が確定する。それでもまだ何か物言いたげな視線は、素知らぬ顔をしてスルーするのが得策だろう。
「さ、被害届書きますね」
こちらの言葉に、無言で出された被害届は、いつものようにやっぱりぐしゃぐしゃだった。



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「ペアチケット、貰ったんだって?」
「へ?」
仕事終わり、約束していたレストランで食事を取っていると、そんな言葉が突然振ってきた。
フォークで綺麗な巻き取った筈の麺が崩れたのは、予想外の言葉だったからだ。口を開けたままの間抜けな顔で見つめていると、くすりと笑った彼は優雅にワインを一口味わっていた。
「なんで、知ってるんですか?」
「今日たまたまダニエル・ロウ警部補と電話する機会があってね。その時に彼から聞いたよ」
なるほど。流石世界の均衡を保つために身を粉にして働いている彼らは、自分が思っている以上に繋がりが深いのかもしれない。確かに警察と彼らが組んだら色々と便利そうだ、前回鉢合わせした時は不穏な雰囲気だったが案外仲が良いのかもしれない。そんなことをぼんやり考えながら、今度こそ綺麗に巻き取ったペスカトーレを口の中に放り込もうとしたその時。
「──それで、
不意に、トーンが一音下がった声で名を呼ばれてしまい、また麺を崩してしまった。この歳にもなって綺麗に食事も出来ないのか、そう詰られてもおかしくはない愚行だったが、それにしてもこの声にこんな風に呼ばれたら誰だってそうなると思う。
恐る恐る、視線を皿から彼へ戻すと、にっこりと笑っている筈の彼から威圧感がビシバシと飛んできて、少しばかり怖かった。笑っているのに怖い、と思うのはどうしてだろうか、取引先がミスをした時に見る上司と全くおんなじ雰囲気をしていて、思わず姿勢を正した。
「どうして、俺と行かないなんて言い出したのかな?彼が言うには、どうも俺と行くのはおかしいって言ってたみたいだけど」
警部補さん、どうせ言うなら最初から最後まできちんと伝えてくれないだろうか。ここには居ない人物に小さく舌打ちをしたくなるのをなんとか堪えて、恐ろしい笑顔を向けてくる彼に挑む。
「いや、あの、スティーブンさんも忙しいだろうし…」
「明日は休みだって、一週間前から言ってたよな」
「つ、疲れてる中、遊園地っていうのも…」
「一応、肉体労働もしてる身でね、体力には自信がある。遊園地くらいなんてことはないよ」
「で、でもほら、せっかくの休みにわざわざ疲れに行かなくても」
、」
びくり、思わず身体が震えるくらいには、鋭い声だった。顔が強張るのも仕方ない、ごくりと生唾を飲みながら言葉の続きを待つ他に為す術などなかった。
「理由はなに?俺の仕事が関係しているとしたら、君が気にするような話ではない」
これは、ダニエルに話したような内容では納得などしてくれないだろう。諦めてフォークを置いて、ワインを一口。酒でも入れないとこんな本音は話せるようなものじゃない。
「……昔、十代の頃、恋人と遊園地でデートした時にそこで振られて、それが割とトラウマでして」
それ以来、恋人が出来ても絶対に行かないと決めていたのだ。我ながら下らない、下らな過ぎてこんなことはそれこそ友人にも話せない。
ダニエルに話した理由は、間違いではない。自分と彼が遊園地ではしゃいでる、なんて違和感があるだろう。それでもそんな違和感や、奇異の視線なんて気にしないくらいには彼を愛している。世間体や周囲の視線なんてどうだっていい。
「本当は行きたいですよ、恋人と遊園地デートとか、憧れありますし…でも、やっぱり悪い思い出が先行しちゃって」
当時の恋人とは入る前に振られたものだから、正確に言うと結局一度も遊園地デートはしたことがない。そりゃあ遊園地と来たらファミリースポットでもあるが、勿論デートスポットとしても有名だし、ダニエルの言う通り恋人と行くのが普通なのだろう。それでも、やはり気落ちするのは目に見えていて。そんな気分でスティーブンとデートしたくなかった、彼といる時はいつだって穏やかに過ごしていたかったのだ。
「だから、あの、明日は映画とかどうですかね、私観たい映画があって…」
「──いや、明日はやっぱり、遊園地に行こう」
ピシャリと言い切られて、驚きの余り目を見開いた。この人、急に何を言い出すのだろう。
「…あの、スティーブンさん、私の話聞いてました?」
「うん、聞いてた。だから遊園地に行こう」
文脈が明らかにおかしい。思わず首を傾げると、先程までの威圧感はどこへやら、彼は柔らかい笑みを浮かべていた。その優しい瞳に、くらりとなる理由はいやというほど自覚している。普段ならばその笑顔と共に言われたことはなんでも受け入れてしまうが、今回ばかりはそれでも譲れない。
「だから、悪い思い出があるから嫌なんですって」
「うん、大丈夫大丈夫」
なにが大丈夫なものか、こちらの都合をまるで無視しているじゃないか。顔をしかめながら反論しようと唇を開くと、
「──君の悪い思い出は、俺が全部良い思い出に変えるから、大丈夫だよ」
にっこりと、完全無欠の笑みと共に送られた言葉のせいで二の句は出てこなくなってしまった。
なんという口説き文句だ、まるでプロポーズみたいな口振りだ。どこからその自信はくるんだと反論したいが、彼が言うとそうなるんだろうなとついつい納得してしまうのは惚れた弱みだろうか。頬が熱いのを誤魔化すようにワインを煽ると、くすくす笑い声が振ってくるから腹が立つ。それでも先程の言葉を反芻してドキドキと胸を高鳴らせているから、我ながらなんというかベタ惚れだし、単純にも程がある。
「いや、あの、理由になってませんし」
「うん、楽しみだね」
「…ほんとにほんとに結構なトラウマでして」
「絶叫系とか平気だよな、でもせっかくだしゆっくり園内を回るのも悪くないか」
「……あの、スティーブンさん、」
「出発は8時とかで良いよな、車出すよ」
「………」
強い言葉が出てこないのは、彼の話す提案を強く制すことが出来ないのは、真意が別にあるからだ。それも全て折り込み済みの彼は、そんなこちらに気付いているらしく、綺麗な笑みを浮かべてこう囁いてくるから性質が悪い。
「──トラウマなんて俺が幾らでも吹き飛ばしてあげるから、いい加減素直にならない?」
優しくて、甘い声。いつだってこの声に自分は敵わないのだ。
本当はいつか行きたいなぁ、なんて幼い憧れがあった。それでも口に出せなかったのは、やっぱりどうしようもなく怖かったからだ。もし振られたら、彼に嫌がられてしまったら、悪い考えはそんな風に波紋を広げていって、いつしか言葉にすることを諦めていた。
「…観覧車、」
「ん?」
「一緒に、観覧車乗りたいです」
ぽつり、呟いた本音に、彼は満足そうに笑って頷いてくれた。それがどれだけ、救いになったことだろう、心に染みたことだろう。
ダニエルには感謝しなければならないだろう。チケットをくれたことも勿論、彼にこの話をしてくれたことも。随分と大きい貸しが出来てしまった気がするが、それは何かしらお土産を買うことでチャラにしてもらえないだろうか、なんてぼんやりと考えながら、皿の上で鎮座したままだったパスタをようやく口にする。広がる味の美味しさと、明日への楽しみでふにゃりと口許が弛んだ。

さぁ、お手をどうぞ

15/07/07