「──アンタ、最近妙よね」
夜も更けて宴もたけなわの頃、突如として投げ掛けられた言葉に目を丸くするのは、致し方ないことではないだろうか。
ライブラの一員が中々に揃った宴会、虚居とまでは行かなくとも人気店での宴会は盛況だった。ところ狭しと集まった面々が先程から飲んで食って騒いでまた飲んでを繰り返して早二時間、そろそろ適当に酔ってる連中の世話でするべきかと考えて─そういえば今日は幹事じゃなかった─スツールから腰を浮かせようとしたまさにその時、突然そんな言葉が降ってきたのだ。
瞬きをひとつしてから、いつの間にか隣に座っていたらしい彼女を恐る恐る振り返る。片方は眼帯に覆われているため、彼女の瞳はひとつしか見えない。そのオリオンブルーの瞳は迷うことなく、すうっと射抜くようにして、ただこちらを見つめていた。熱っぽい視線であれば、いくらでも交わすことが出来るのに、いつだって自分に向けられる彼女の眼光は鋭くて恐ろしい。
「け、K・K、君が僕の隣に座ってるなんて珍しいね…?」
「アタシがどこに座ろうとアタシの勝手でしょ」
仰る通りで。
ははは、と乾いた笑いで誤魔化すように相槌を返して、そっとグラスを手の内でくるくると回した。氷の中に僅かに入ったウィスキーが華麗に回る、そして自分の脳も同じく回す。一体、なんの目的で今彼女は俺の隣にいるのか──涌き出る疑問に対する返答は、ウィスキーよりもはやく回転している筈の脳が出してくれる筈はなかった。
「何その顔、鬱陶しいわね」
「えぇー…」
この顔を好きだと言う女性は山ほどいるが、残念ながら隣の彼女はお気に召さないらしい。いや、組織内で好かれても困るし、何よりも任務に支障を来すだろうからそれはそれで良いのだけれど。
へらりと笑みを浮かべてみると、チッ、なんて舌打ちまで聞こえてくる始末だ。えぇ、そんなに気に入らないなら他のところに座ったらいいのに。そう思うが口には出さない、言ったところで先程と全く同じ返答が来るかまた舌打ちされるだけなのだ。
やれやれ、心の中で小さく溜息を吐く。自分は何故か、彼女に敵意を向けられることが多い。いや、何故かはなんとなくわかっている、自分と彼女は根本的に考え方と価値観が違う──要するに気が合わないのだ。
普段であればそういう相手とは関わらない道を選ぶか、何かしら策を打って懐柔してしまうのだが、彼女に対してはそれを選ぶのがなんとなく憚れた。そんなK・Kのことを気に入ってる、というのが理由のひとつだろう、きっと彼女が聞いたらものすごい顔をするのだろうけれど。自分に真っ正面からぶつかってきてくれる相手というのは中々どうして少ない、そんな貴重な相手─手酷い相手とも言う─を逃すのは我が人生において、少し損失だろう。
「で、」
鋭く、短い言葉に顔をあげると、見つめてくるというよりは睨み付けてくるといった方が表現として正しいであろう視線が飛んできた。たらり、冷や汗が米神を伝うのを感じながらなるべく笑顔で続きを促す。
「なにかな?」
「アンタ、最近妙よね」
冒頭と全く同じ言葉が投げ付けられて、えぇ、とまた声が出た。妙、と言われても。
「至って、普通に過ごしてるだけなんだけど…」
「背後に花飛ばしてるくせによく言うわよねぇ」
「なんだいそれ、君が冗談言うなんて珍しいなぁ。明日は雨でも降るかもね」
「お望みとあれば、アンタにだけ雨降らしてやるわよ」
「遠慮しておくよ」
流石に銃弾の雨は受けたくない。いざとなれば凍らせば済むだろうが、彼女の腕前は正確無比だから本気になられたらこちらに勝ち目はあまりないだろう。下らない冗談から命の危機なんて笑えない、K・Kにだけは手を出さないザップの判断はとても正しい。
フン、とひとつ鼻を鳴らして、K・Kは持っていたジョッキを煽った。良い飲みっぷりだ、ごくごくと鳴る喉はとても健康的だった。
ダン、と比較的大きな音を立ててビールジョッキが机の上に鎮座した。ジロリ、鋭い眼差しが自分を捕らえて離さないから、これはきちんと返答せねばならないのだろう。しかし、だからと言って、彼女の喜ぶ言葉などわからない。何せ喜ぶだろうと思って告げた言葉は、自分が口にしたという事実ひとつで一気に彼女の地雷になるのだ。
それに、
「妙、と言われても、ねぇ」
本当に心当たりがないのだから、返答の仕様もない。一体彼女はどういった会話を求めているのだろうか、ぼんやり考えているとグラスの中でからんと氷がかち鳴った。
「君がわざわざ指摘してくるくらいだから、よっほど妙なんだろうけど、残念ながら覚えはないなぁ」
「はぁ?」
ほら見ろ。K・Kは心底胡散臭そうに片眉をあげる、事実なのに心外だ。信じられないものを見るような訝しげな視線に苦笑いしていると、はぁぁぁぁと深い溜息が降ってくる。なんなんだ、本当になんなんだ、そのアンタほんっと気付いてないのマジ頭可笑しいわーというような雰囲気は。
「アンタ、本っっっっっっっっ当に気付いてないの?」
「…面目ないね」
「あったま悪い男!」
バッサリと切り捨てられてしまっては返す言葉もない。想像よりも現実はずっともっとあっさりしていたが、心に負うダメージはずっともっときつかった。回りくどく言葉を尽くされるよりも、事実を鋭角に突き付けられる方が人間物悲しいらしい、今度ザップ辺りで試すか。
「腹黒男らしい手口だと思ってたけど、自覚ないんじゃタチ悪いわね。はーなんで皆こんな男がいいのかしらアタシなら絶対やだもーん」
「…K・K、何の話だ?」
「なんでもないわよこのピュア腹黒男」
「それどっちなんだい結局」
オーマイゴット、そう言いそうなくらいがくんとカウンターに項垂れた彼女は自分の言葉にだけひどく鋭利だった、これはいつものことなので別段ショックを受けるほどのものではない、これくらいで堪えているようじゃライブラの上役は務まらない。
ちらり、カウンターに突っ伏したK・KKがそのオリオンブルーの瞳をこちらに向けてきた。珍しいなぁ、と思ったのは幾分かその瞳が穏やかだったからだ。酔っぱらっていつもより気が大きくなっているからかな、ぼんやりそんなことを思いながらくるりとグラスを揺らしてから口許に運んだその時。
「アンタ、恋人出来たでしょ」
「ぶっ」
予想外の言葉に、喉を潤す筈だったウィスキーが気管の方に入りかけた。吹き出さなかったことを誰か褒めて欲しい、なんとか飲み干して、げほごほと涌き出る咳をそのままにちらりと彼女に視線を戻した。ほんのり視界が歪んでいるから、もしかしたら涙目になっているかもしれない。しかし、そんな悪い視界の中でもK・Kのドン引きしたような顔だけははっきりと見えた。
「…きったないわねぇ」
妙齢の女性からの侮蔑を含んだ言葉と表情というのは、時に向けられるだけで大きく心を刺してくるということを彼女はもっと知るべきだと思う。なんとか咳を落ち着けて、へらりと苦味を抑えてなんとか笑ってみると、フンと鼻を鳴らしたK・Kは身体を起こして頬杖をつく。つまらなそうな顔だ、だったらわざわざ声を掛けなきゃいいのに。
「別にアタシはアンタみたいなどーーーーーーしようもない腹黒男と恋話したい訳じゃないわよ」
「まぁ、お互いもう良い歳だからな、今更そういう話題もなにもあったもんじゃない」
「でも──アンタ最近、イイ顔してんのよね」
「…は?」
イイ顔、とは。予想だにしない言葉に思わずグラスを持つ手が緩んで、慌てて握り直す。
突然、どうしたのだろうか。彼女が自分を褒めることはまず少ない、身を呈して彼女を褒めるとタイミング良すぎて気持ち悪いと言われたり、家族サービスしたいだろうと休暇を与えれば何か妙なこと考えてるんでしょアンタいい加減にしなさいよこの腹黒男と詰られた。彼女に罵られたことなど数えきれない、それの全てが言われもない罪という訳ではないから、彼女の鋭さには時々舌を巻く。
K・Kは持ってるのはジョッキをまた一度煽って、それから不用意にこちらへと踏み込んでくる。その不用意さに拒絶することも出来ず、ただ狼狽えるばかりだった。
「なんかさー、大事なもの、出来たんでしょ?」
「け、K・K…?」
「アタシはアンタのことこれっっっっっっっっっぼっちも興味ないけど、」
ふわり、珍しく口許が緩められていた。穏やかな、母の笑みだ。自分が彼女のこんな表情を見る日が来るなんて、本当に思いもしていなかった。
「──死にたがりのアンタが、生きたいと思える理由見つけたのは、良いことだと思うわ」
からん、と手の内にあるグラスの中で氷がかち鳴る。思わず、息をすることさえも忘れていた。
「……まいったね」
「ん?」
「君は、本当に鋭いなぁ、K・K」
「母の勘舐めんじゃないわよ、アンタ達子供の隠し事なんてぜーんぶお見通しよ」
「ごめんよマンマ」
「殺されたいの?」
酔っているとは言え、組織最高峰の腕を持つ彼女の銃口に狙われたらそれこそ額に穴が空いてしまう。彼女の言うイイ顔が台無しになることはまず間違いない。慌ててグラスを置いて両手をあげると、チッと大きな舌打ちをしてからK・Kまた一口ジョッキを煽る。君、少し飲みすぎじゃない?
「…少し、聞いてもらってもいいかな」
「惚気以外お断りよ」
なんだそれは。普通は逆だろう、と思うがこれはきっと彼女なりの優しさで、彼女らしいとさえ思う。ははっと小さな笑いが漏れて、ついでとばかりに口許が弛んでいった。
「彼女は、一般市民だよ。何の力もない、非力でか弱い女性だ」
そう、愛しい恋人は、戦闘能力をひとつも持っていないただの人間だった。加えて、後ろ暗いことなんて何ひとつ知らない、ただの一般市民だ。職場が多少不遇な位置にあるから時折命の危機に晒されたりもするらしいが、それでもまぁ一般的な生活を送っている、表街道をひたすら歩くような人である。
「普通なら、手を引くべきなんだろうね。…俺と繋がりがあるとわかった時点で、どんな拷問に掛けられるかわかったもんじゃない」
「ま、アンタは色んなとこから恨まれてるから、そうなるのも無理はないでしょうねぇ」
鋭い指摘だ、否定なんて出来る筈もなく思わず肩を竦めた。
そう、自分は多方面から恨みを買っている。それこそ友人と思っていた人物に狙われることだってある、この間なんてホームパーティーが危うく血の海で終わるところだった。あの時は、笑える命令のお陰で調度品に傷ひとつ付かずに済んだが、今度はそうとは限らない。何が起こってもおかしくない世界だ、明日、いや次の瞬間死んでたって文句は言えない世界だ。そんな危うい道を歩いている自分が、愛しい人を巻き込むなんてあんまりだろう。今時、三文小説だってそんな悲劇は起こさない、だから向こうずっと自分に"大切なもの"なんて作らないと決めていた。それなのに、
「──欲しい、と思っちゃったんだよなぁ」
「…」
「彼女が死のうが泣こうがどうでもいい、今すぐ手中に収めてその目を塞いで、俺以外見なければいい──そんな風に、思っちゃったんだよ。年甲斐もなく」
歳は関係ないだろう、と揶揄が飛んできそうな言葉だったが、こんな風に情熱的に誰かを思うことなんてもう忘れていた。最後に燃え上がるような恋をしたのはいつの頃だったろうか、どうせなら今回で終わりにして欲しい、こんなことを続けていたらきっといつの日か燃え尽きてしまうだろうから。
彼女の安全を第一に考えるなら、多分この手を離すべきなのだろう、そんなことは嫌と言うほどに知っていた。彼女の隣に恋人として立つということは、自分のせいで彼女が傷付くかも知れない未来が必ず付きまとうということで。それは恋仲でなくとも、知り合ってしまった時点で必ず発生してしまうのだけれども、ほんの僅かでもリスクは下げられるだろう。
いつか、彼女が目の前で死ぬ時が来るかもしれない。彼女を抱くようになってから、時折血塗れで倒れている彼女の前で呆然と立ち尽くすという悪夢に魘されるようになった。もしかしたら、目の前で殺されるかもしれない。きっと沢山怖い思いをさせることになるだろう、気丈な彼女でも泣くようなことがあるだろう。でも、それでも──自分の腕の中に閉じ込めておきたい、そんな馬鹿なことを思ってしまった。
「勿論、全力で守るよ。GPSで常に異常がないかを確認したり、朝と夜は必ず連絡を取って安否を確認したりしている。でも、まさかって言うのはあるだろう?いつか俺が死ぬかもしれないし、いつか彼女が死ぬかもしれない」
「……まぁ、人間、いつかは死ぬ時が来るでしょうね」
「うん、だから俺は──そのいつかまでの間、彼女の傍で笑う道を選んだんだ」
それで、彼女の寿命を縮めることになったとしても。それで、彼女が苦しむことになったとしても。
「…アンタって、ほんっとさぁ」
「うん?」
「馬鹿な男!」
「…そう?」
「そうよ」
ピシャリと言い返されてしまえば、もう何も言えないだろう。本日何度目になるかわからない、えぇ、という嘆きはフンと鼻を鳴らしたK・Kの耳にはきっと届いていないだろう。
「気付いてないみたいだから言っておいてあげるけどね、アンタほんっと最近イイ顔してんのよ、もう幸せ絶好調ボクなんも怖いものないなーなんて言いそうなくらい馬鹿そうな面下げてんのよ!」
「け、K.K…?」
「もうお陰でサブイボ立ちっぱなしよ、ほんといい加減にして欲しいわ、アンタが幸せオーラ全開で執務室にいるお陰でクラっちはニコニコしてるしザップっちは脅えるしレオっちは穏やかに笑ってんのよ」
「へ、へぇ…?」
「だからもう、そういういつか死ぬとか、泣かせるとか、どーーーーーでもいい話してるんじゃなくって、アンタはただ幸せだなぁって笑ってりゃあいいのよ!いい加減、幸せから目背けて逃げてんじゃないわよこのタコ!!」
言い切ると同時にダンッとカウンターに轟音を響かせたK・Kは不機嫌そうな顔を隠すこともせずに、チッと一際大きく舌打ちとしてから、ふいっと盛り上がっている机に向かって行った。どうやら、もう話は終わりなのだろう。なんだったんだ、勢いに気圧されたこちらは、文字通り言いたいことだけ言ってとっとと去っていった彼女の背中を呆然を見送るしか術はなく。からん、とグラスの氷がまたかち鳴った。
背広の内ポケットの中から端末を取り出す。慣れた指先はいちいち画面を見なくとも彼女へと繋がる道をいつだってスタスタと歩いている。呼び出し音が二つほど鳴ったくらいで、プツリと回線が繋がった。随分と出るのがはやい、もしかしたら待っていてくれたのかもしれない。
『──もしもし、スティーブンさん?』
明るい、いつもの声だ。じんわりと胸に広がる温かみ。これは、きっとずっと自分が避け続けてきたものなのだろう。
「ハロー、。今大丈夫?」
『大丈夫ですよ、今日飲み会とか言ってませんでしたっけ』
「うん、そう、飲み会。でもなんだか君の声が聞きたくなって」
『…やだなぁ、もう。酔っぱらってるんですか?』
「うーん、そうだな、少し酔ってるかもしれない。君に」
『……うん、確実に酔っぱらってますね』
「ひどいな、本心なのに」
『ハイハイ。それで、本題は?』
「…うん?」
『いや、だから、電話してきた本題ですって。何かあったんですよね、飲み会でいじめられました?少ししょぼくれた声してる。慰めにおうちまで行きましょうか』
「……うん、そうして貰おうかな」
『それじゃあ、帰りの時間わかったらメールでもしてください。合わせて出るんで』
「いや、俺が君の家に行くよ。待ってて」
『え?』
「笑わないで聞いてくれよ、実はさっきまで君の話をしててね、そうしたら君に会いたくなったんだ。君を抱き締めて、君の髪にキスして、君の香りに包まれたくなった」
『はぁ、お好きにどうぞ』
「うん、好きにする。…あとさ、俺──今ものすごく、幸せだよ」
『それはそれは』
「うん、だからはやく、君に会いたいな、
『………やっぱり迎えに行きます?』

目を背けるくらいなら、笑え

15/07/26