今日という日を、盛大に祝おうじゃないか。
元紐育、現ヘルサレムズ・ロット。三年前のある日、異界への入り口が開いたこの街は、現在浮かれに浮かれまくっている。
理由は単純明快──今日が大晦日だからだ。
元々お祭り好きが芋洗いに来たようなこの街だから、そりゃあイベントごとにはうるさい。イースターにハロウィン、クリスマスにニューイヤーと何かあれば騒ぎ立てたくなるのが信条というもの。だから今日ばかりは、戦争も危ない取引も下らない暇潰しもなし。365日の中で、珍しくも平和なこの日を誰もが街中をあげて満喫していた。それは、世界の均衡を保つために日々暗躍しているこのライブラも例外ではない。
、飲んでる?」
「飲んでる飲んでる」
「ヤダこの子ったらまだ三杯目じゃないのよもーほらジャカジャカ行きなさいジャカジャカ!」
「飲んでますってば!」
誘いを適当にいなしながら、カウントダウンパーティーの会場である虚居を見渡す。だだっ広い筈の会場は、人がところ狭しとひしめき合って、大いに盛り上がっていた。
酒、酒、酒。カウントダウンなんかよりも重要なのはそっちだ、と言わんばかりに皆はじゃかすか酒を飲む。テーブルが足りないのか、床に座り込んで飲む人達だっている始末だ。日頃の鬱憤を晴らすかのような飲みっぷりに、少しばかり気が引けてしまうのは、その雰囲気に飲まれてしまったからか。
先程からチェインとK・Kは、隙あらば酒を進めようとしてくるから少しばかり戸惑ってしまう。いや普段から何かと気に掛けてくれている二人だ、有難い話なのだけれども、何分子供舌なもので酒はそう得意ではないのだ。
「せっかくのパーティーなんだから飲まなきゃダメじゃないのぉ」
「ぐいっと行こ、ぐいっと」
なんだこの状況は。両サイドにいる二人は、さぁさぁと酒を進めてくる。同性といえど美人の二人に囲まれるというのは悪くない気分だったが、今日は何分いつもより強く酒を進められるから困ってしまう。よくよく顔を見てみると、彼女達の顔はほんのり赤くなっていた。要するに、少しばかり酔いが回っているのだろう。K・Kはビールジョッキ、チェインはショットグラスを片手に、普段よりも陽気な様子で酒を煽っていた。
、せっかく会費払ってるんだから飲まないと損だよ」
「そーよそーよ、どうせ食べ物なんかじゃ元取れないんだから!」
「えぇ、でもこのアイス美味しいし…」
ぱくり、とまた一口スプーンを口に運ぶ。濃厚なバニラの味に思わず目元を弛めると、隣のK・Kに思いきり抱き寄せられ、チェインには頭を撫でられた。そんなにひもじそうに見えたのだろうか、単純に食べ物、ひいては甘いものに目がないだけで、普段から好んでいるものを食べているだけなのだが。
「おーやってるね、女性諸君」
「げっ」
「!」
「スティーブンさん」
ぴくり、とチェインの眉が動いたのは我らが副官殿のご登場故だろう。憧れの存在のその人は、ビール瓶を片手に、やはり出来上がっているのかふにゃりと弛んだ笑みを浮かべていた。いつもはきっちり締められているネクタイは緩められ、腕捲りまでされている。その姿もやはり絵になるから不思議だ、色男は何をしていても色男ということだろう。
「何、なんか用?」
「年の瀬も相変わらずだな、K・K。まだ怒ってるのか」
「当たり前でしょ!向こう一年はこの件で言わせて貰うから」
「はは…」
いつも通りの強い剣幕にスティーブンは乾いた笑いひとつしながら両手をあげる。降参、ということだろう。いや確かにK・Kの言うこともわかる、何せこないだのクリスマスは家族と約束していたのにも関わらず緊急出動が掛かってしまったのだ。帰った頃にはすっかり七面鳥は冷えていて、子供達も寝てしまっていたそうで。以来、K・Kのスティーブンに対する風当たりはいつもの倍以上だ。このカウントダウンパーティーだって本当なら家族を優先したかったろうに、クリスマスは一緒に過ごせるから、と無理を押して参加しているのだから尚更だろう。
「本当に帰らなくていいのかい?」
「しつこいわね。いいのよ、先約はこっちだし、会費払っちゃったし、どうせもうあの子達寝ちゃってるし」
「…って、旦那さんに言われた?」
ぶちん。
K・Kは、こちらから身体を離してムキー!と怒りを遠慮なくぶつけ始めた。酔っているからだろうか、いつもより容赦がない。スティーブンはそれらを逃げることなく受け止めているから、きっと彼なりに発散をさせてあげようと思ったのだろう。もう少し早い時間にやっていればその端正な顔に傷が増えることもないだろうに。
「不器用だなぁ」
「ね」
「でもそういうところも憧れなんだよねぇ」
「…うん」
ちらり、横目に見るとチェインの顔は先程よりも赤くなっていて、あぁ可愛いなぁなんてぼんやり思った。チェインはスティーブンに憧れている。恋なのか、以前そう聞いた時にはっきりと恋ではない、と言われた。憧れている、役に立ちたいと思う、でもそれは恋なんて甘酸っぱいものではなく、ただ力になりたいだけなのだ、と彼女は語った。確かに、彼を見つめるチェインの瞳には、好意はあれども独占したいという欲は微塵も感じられなかった。だから気にしなくていいよ、と交際を告げた直後にあっさりと言われたのは記憶に新しい。言葉少ない彼女は、いつだって嘘をつかない、だから多分真実なのだろう。憧れの存在、近いようで遠い場所、それでいいのだと彼女は笑った。
『さぁ、今年も残すところあと僅か、今年の最後から来年の最初を彩るのは、人気のこのナンバー!』
BGMの替わり、と掛けられていたラジオからそんな言葉が降ってきた。時計を見ると、早くも年明け3分前。DJの声の次に届くのは小粋なエレキギターの音。そしてリズミカルなドラム、ベースと続いていく。聞き覚えのある曲だ、確か最近人気を博しているバンドの新譜だろう。
その小気味良い音楽は、酔った頭によく響いて──一人、また一人と、踊り出す。
甘いハイトーンボイスのボーカルが歌い出す頃にはフロア全体が踊っていた。先程まで掴みかかっていた筈のK・Kは綺麗なターンを決めていて、掴み掛かられていたスティーブンは指を鳴らしながらリズムに身を任せていた。隣に座っていた筈のチェインはステップを刻み、酔っ払って床を転げ回っていた筈のザップは妙な躍りをしていた。レオナルドはクラウスと手を合わせ、ツェッドはまるで泳ぐように踊っている。誰も彼も、楽しげだった。
一人、ぽつんと置いてけぼりを食らってしまって、ぼんやりと見つめるだけになっているのは、多分そんなに酒が進んでいなかったからだろう。でも、楽しげな皆を見ていると、なんだか不思議とこちらも楽しくなってしまって。躍りなんてプロム以来だ、そもそもほとんど素面に近いから少しばかり恥ずかしい。でも、そんなのは大したことじゃあない。
立ち上がる、一歩前に進む。そんな単純な動作をひとつしただけで、いつだって自分を見てくれる人は颯爽と手を取ってくる。
「やっと来たの?」
遅いよ、と言いたいのだろう。いつだって一歩どころか何歩も前を歩いているような人だから、こちらの心情を全て把握した上でそう囁いてくるのだ。意地が悪い、でもそんなところも堪らなく好きだ。
腰を支えてくる彼の首に手を回すと、彼はにぃと唇を弛めながらエスコートを始める。リズムを合わせながら、うろ覚えのステップを踏もうとしてやめる。どうせ周りは酔っ払いだ、ならばお綺麗なダンスを踊ってやる義理なんてない。形なんかどうだって良い、ただ音楽に身を任せて、好き勝手にステップを踏んだ。
「おっと!」
予想だにしてなかったのだろう、驚いた彼は一瞬戸惑う。でもすぐに、こちらに合わせてくるから流石だ。1、2、1、2。テンポの早い曲に合わせてくるくるフロアを行ったり来たり。時々彼の手に合わせてターンをしてみたり、背中を反らしてみたり。基本なんてまるでない、ただ楽しむだけの好き勝手なダンス。酒なんて無くたって、この空気に身を任せればどうにだってなる。最高に楽しくて、型破りなダンス。
「ジェットコースター、みたい」
「え、なんだって?」
「最高って言ったんです!」
答えると彼は笑った。楽しげに、子供みたいに破顔した。その顔が、あんまりいとおしいから。足を止める、ん?とこちらを伺う彼の顔が目に入る。でもそれに応じることはない。ぐい、と首の裏に回した手に力を込めて、爪先に力を込めて背伸びをする。
「3、2、1…Happy new year!」
クラッカーが鳴り響く、一瞬の間、確かに二人は唇を合わせたのだ。
リズミカルな曲が流れる一方で、すぐさまガチャンとグラス同士がかち鳴って、ばか騒ぎは更に大きくなる。そのお陰か、はっと我に返り、すぐさま辺りを見渡すと皆こちらなど目にも留めず、ニューイヤーに夢中な様子で酒を片手に躍り狂っていた。
「あ、あぶない…」
「だな」
「…ほんとに思ってます?」
「こういうのも悪くない、と思ってる」
この人は。
自分からした手前、何も言えずに押し黙っていると、彼はにっこりと笑顔のままステップを踏み出すからこちらも踊り出す他に術などない。エレキギターがフロアの熱気を高めて、ベースの低音が腹に響き、ドラムの小気味良いリズムが狂わせる。一年に一度のニューイヤー、お祭り好きのばか騒ぎ。なら少しばかり浮かれたって、ばちは当たらないだろう。愛しい人との最高のダンスは、最高の年明けになる。


さぁステップを1、2、3!

15/12/31