プルル、とベル音がどこからか聞こえる。
その音が切っ掛けとなり、自分を抱いていた温かな腕がそっと離れ、もぞもぞとシーツの中で動き出す。それが気になるのだろう、妙なところ気配だけに敏感な頭が回転を始めようとする。
まだ起きるにははやい、そして自分の携帯の音ではない。感覚と音からそう判断し、起きようとする脳を必死に誤魔化して二度寝に入ろうとした、筈なのに。
「──ウィ、スティーブン」
ぽつり、と落とされた声に、重たかった瞼はすぐに起き上がった。
耳馴染みの良い、響きのある低音。その声はこちらを気遣っているのか、いつもよりも小さく、そして色っぽかった。少し掠れた、起き抜けの声。その癖、今まで寝ていたなんて全くわからないくらい機敏なそれは、電話口の言葉に合わせて相槌を打っていた。
もぞもぞ、と寝起きで重い身体をなんとか動かし、声の主を探す。起き上がったまま電話を受けているその人は案外近くにいて、少し丸まった背中にいとおしさが沸き上がるのを確かに感じながら、ぼんやりと見つめた。
「はは、そりゃあそっちの店はてんやわんやだろうなぁ」
受話器を耳に当てたまま、軽快な笑い声をあげている恋人。弾んでいるらしい会話から予測するに、どうも物騒な電話ではないらしい。緊急性の薄いであろうことに安堵しつつ、するりと腕を伸ばしてそっと彼の腰周りに抱き付いた。
気配で察していたのだろう、彼は突然のことだというのに驚きも見せずに優しくこちらの髪をくしゃりと撫でてきた。なるほど、可愛いげのないことだ。それでも構われる事実はどうしようもなく嬉しくて、すりすりと頬擦りまでしてしまうのは、惚れた弱味ということにしておいて欲しい。
「うん、はは、わかってるって。それじゃあまた…ん?あぁ、だって──僕に構われたくて仕方ない子が起きてきちゃったんだよ」
ぐう。真意を見抜かれてしまったことに、思わず唇を引き締めた。そしてそれを呆気なく口にする彼に、妙な敗北感が沸き上がる。この人、本当に隠す気があるのか。
彼との間柄は公然の秘密であるからして、ライブラの構成員どころか彼の個人的な友人にも伝えられていない。どこから漏れるかわからないからこそ、この間柄を知っているのは本当に限られた人間だけだ。だからこそ、こんな朝早くにベッドを共にしているのは、ライブラのではなく、誰が言い出したか知らないが最近飼い出したスティーブンがめろめろになっているペットということになる。
「うん、そう、それじゃあまた。…、おはよう」
電話を切ると同時に、そんな言葉が落ちてきた。すぐさま瞼に落とされる柔らかな唇に目を瞑ってから、すぐ側で待っているのだろう頬に口付け返す。存外スキンシップが好きなこの人は、挨拶のキスをしないと拗ねるのだ。さらり、髪を撫でられて、心地よさに目を細めながら唇を開く。
「おはよーございます、わん」
「なんだいそれ」
とんちの効きすぎた言葉に、スティーブンは瞳を丸くしてから目尻一杯に皺を作って笑った。その可愛さにくらり、と朝から目眩が起こる。いやいや、これくらいじゃあ簡単に機嫌は直らないぞ。それに、こちらとしてはこれ以上ないタイミングでの発言だったのだ。
彼は問い掛けている癖に、妙に楽しそうな顔をしていた。言葉遊びの好きな彼のことだから、こういう戯れも時には良いのかもしれない。続きを促すような仕草に、ひとつ溜息を漏らしながら、唇を開いた。
「相変わらずの犬扱いなので」
「おいおい、僕は犬とは一言も口にしてないぜ。ただ皆が勘違いしてるだけで」
「狙い通りなくせに!」
「バレた?」
バレないと思ってたのか。
くすくすと楽しげに笑い出す彼に、むぅと唇を膨らませてみるものの、大した威力はないらしい。やれやれと思いながら起き上がろうとすると、ぽんぽん、と彼は膝を叩いたから仕方なくその膝の上に飛び乗る。鍛えられた身体は固く、決して心地よいとは言えないが、この感触が何とも癖になる。いや、本音を言えば、ただ彼に触れるだけでいつだって心が踊るのだ。
ぐるん、と身体を反転させて、その膝の感触を頭で受けることとする。それを予測していたのだろう彼は、収まるところに収まったこちらを見ては満足そうに頷いていた。するり、伸びてくる指先は頬に滑る。冷えた指のなんとも心地よいことか。瞳を細めると、彼もその蘇芳の瞳を細めて笑った。
「珍しく早起きだね」
「起きちゃったんですよ、珍しく」
「明日は雨かな」
「失礼な!」
「だって、君いつも朝はポンコツじゃないか」
ぐう、なんて言い種だ。言い返せないのが悔しいが、事実だから仕方がない。
確かに、いつもならばこんな時間帯に起きることはない。彼の言うように朝はポンコツだ、うつらうつらと船を漕ぎながら朝食を取るくらいのポンコツ具合だ。ぱっちりと目が覚めればそうでもないのだが、だって眠いものは眠いのだから仕方ないだろう。スティーブンは自分と違って、そんな体たらくを見せることがまずない。大抵こちらが起きる前にばっちり起きているから、寝起きの顔を見ることは少ないのだ。そりゃあ時折こんな風に早起き出来ることもあって、そのあどけない寝顔を見ることはあるが。
黙り込んでいると、何が楽しいのかくすくすと彼は笑った。言い負かせたことが嬉しいのか、それともこんなじゃれあい染みたやり取りが楽しいのか、真実は彼にしかわからない。でも不思議と、そんな風に笑う彼を見ると、ポンコツと言われたことも、からかうような言葉も、何もかもどうでもよくなるのだ。惚れた弱味か、それとも愛か。どちらでもいい、結局彼にめろめろなのは代わりないのだから。
そうこうしていると、プルル、とまたベル音がする。彼を見やると、ぱちくりと瞬きをひとつしてから肩を竦めていた。
「やれやれ、今日は電話が多いな」
「牙狩りですか?」
「いや、家に掛けてきてるから友人だよ」
「、友人」
友人なんていたのかこの人。
「来週ホームパーティーなんだ。だから多分、その件」
「ははぁ、随分早起きな友人さん達ですこと」
「可愛い嫌味だね、マイペット」
「ご主人様、はやく出ないと切れますわん」
ぷ、と噴き出したのは同時であれば、けらけら笑い出すのも同時だった。諦めの悪い電話の主は根気強く待っていて、ひたすらベル音が鳴り響くなか二人で笑い合っている、という妙な構図が出来上がった。
はー、と息を付きながら、目尻の涙を拭った彼は、ようやく受話器に手を伸ばすから、ぱっと両手で口を塞ぐ。そうしないと今にも腹を抱えて笑い出しそうだったからだ。
「ウィ、スティーブン…やぁ、ケリーか。あぁ、うん、そうそう日頃の忙しさについつい嫌気が差してふて寝を決め込んでいたんだよ」
相変わらずの舌八丁だ。その白々しいまでの言葉選びに内心舌を巻いて見つめていると、何を勘違いしたのか彼の手が伸びてきて、そっと頬を撫でた。冷たい指先は、寝起きだからかいつもよりもあたたかい。頬を一撫でしたら、次に唇。つう、と縁をなぞり、ふにふにと突いて感触を楽しんでいる。その癖、受話器越しの相手には軽快な会話を続けていた。
「えぇ、ラッドが?相変わらずだなぁ。奴さん、その内刺されても可笑しくないぜ、ははっ」
余所行きの顔で笑いながら、でもその瞳だけは真っ直ぐにこちらを見つめている。そのことに、どくん、と心臓が一等強く高鳴って、その内見つめ返すだけでは足りなくなって。煽られたのかもしれない、と気付いた時には、唇の感触を楽しんでいるその指先をぱくりと食んでいた。
上唇を使って上手く中へと引き込む、いつもよりあたたかい指先は口の中と比べるとどうしても冷たい。そうしてたどり着いた短い爪にそっと舌を這わせたことに意味なんてない、全ては戯れだ、暇を持て余したが故のつまらない癇癪かもしれない。戯れついでにちゅう、と指先に吸い付くと、にぃ、と彼の唇が弧を描く。三日月みたいだ、なんて頭のどこか冷静な部分で考えているのは、どくんどくんと心臓がうるさいことに気づきたくないから。
「君って奴は──本当に可愛いね」
ぞくり、と腰が跳ねた。
そう思った次の瞬間、今までされるがままだった指先が、意思を持って動き出す。それは、こんな朝早くにするような動きではなく、文字通りその手管に昏倒してしまいそうなくらいだった。
「ん?あぁ、いや、可愛い子が構ってってうるさいんだよ。…羨ましい?ダメダメ、この子は見せてあげない、勿体ないだろう」
軽い口調、まるで先程と変わらない様子のそれとは違って、指先は夜を思わせる動きだ。最初は舌だった、それから上顎、次に舌の裏側と次々に彼は蹂躙していく。指先ひとつで器用なものだ、と頭では冷静に考えられるというのに、身体はそうもいかない。だって叩き込まれてしまっているのだ、彼によって。知らなかった快楽は、物覚えの良い身体がぐんぐんと吸収していった。口の中がこんなにも気持ちいいことなんて知らなかった、知りたくもなかった。でも、それによって彼が楽しそうにしているのは、どうしようもなく嬉しかった。
「あぁ、うん、じゃあこれから思う存分可愛がるよ、またな」
ぷつんと電話が切れて、ゆっくりと指先が引き抜かれる。唾液まみれのそれは糸を引いて離れていった。はぁ、はぁ、と荒い呼吸でぼんやりと見つめる。彼はそんなこちらに満足したように笑って、それから濡れた指先をぱくりと食んで、見せつけるようにぺろりと舐めた。
「…やらし」
「──どっちが」
どっちもだろう。落ちてくる唇を受け止めながら、そっと瞼を下ろす。指先と同じくらい自分の好きなところを知り尽くしている舌先が滑り込んでくるから、するりと腕を彼の首に回しておねだりをするように絡み付けてやった。そのことに、満足そうに瞳を細めた彼に釣られるように、自分も笑った。
プルル、とまたベル音が鳴る。残念ながら口付けに夢中になった二人の耳には、お互いの吐息しか聞こえない。


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16/1/16