それは、一瞬の内に起こった。
まず光が先行する、次に泣き声が轟いて、気付いた時には異常が部屋を包んでいた。事態を把握するより先に、ぷつん、とアナログなテレビ画面が切り替わる。これが誰の仕業か、そんなものは火を見るより明らかだった。
「やぁやぁ人類諸君!相変わらず死んだように生きているのかい?僕はねぇ、つい最近子供というものは実に面倒で奇怪で本能剥き出しの恐ろしいモンスターだと実感したよ!そんな訳で先程ばらまいた薬はランダムに幼児へと逆行する薬なんだが、気に入って貰えたかな?え?戻る方法?そんなものあったところで教えたりなんかしないよ、決まってるじゃあないか下らない質問をするんじゃないよ全くもう。それじゃあ幼児ばかりのこの世界でどれだけ人類諸君が真っ当に過ごせるか、楽しみにしているよ!」
という、実にふざけた放送が掛かったのがつい先程のことで、身体より何回りも大きい洋服にくるまれてぎゃんぎゃん泣き喚いている赤子が四人いて。現実から逃れたいのか、硬直している我々はどうすることも出来ずにそれをぼんやりと見ていた。
「なんてこった…!」
そんな中でもいち早く回復したのは、伊達男ことスティーブンだった。流石、ライブラの副官として幾つもの死線を潜ってきた男は違う。ただ、赤子を抱き上げることなく頭を抱えた辺り、彼が子供慣れしていないのは明白だった。
「クラウス、ザップ、レオナルド…それにK・K、か?」
しゃがみこんで、ソファの上でおぎゃあおぎゃあと泣き喚いている彼らの名を呼ぶと、スティーブンは困惑しきった様子でこちらを見上げて、
「なんてこった…」
情けなくも、そう呟いたのだった。



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「えー、方針は決まった」
ざっくりとにもほどがある方針だった。
無事だったのは、ギルベルト、スティーブン、チェイン、ツェッド、それに自分だけで。被害が半数を越えなかったのは不幸中の幸いだと言えるだろう。なんとか情報収集と街の散策、そして本部での待機という陣形が組めた。ギルベルトは牙狩り本部との調整、チェインは情報収集、ツェッドは街の散策に出た。そうして残されたのは、おんぶ紐をつけた二人で、その両腕にはそれぞれ赤子が包まれていた。スティーブンはザップとクラウスを、こちらはレオナルドとK・Kとおぼしき幼児の面倒を見つつ、待機することとなっていた。
つい先程まで体力のあり余る限り泣いていた彼らは、すよすよと寝息を立てている。抱き上げられたことに安心しているのか、それとも単に満腹感でいっぱいだからか、真相のほどはわからない。ただ、二人してソファにゆっくり腰かけることも出来ないことは確かだった。立ってゆらゆらと揺らし続けていない限り、天使のような寝顔は拝めることはない。誰かが必ず泣き喚くからだ、そしてそれは必ず連鎖するという悲惨さで。二人して妙な体勢の中、健やかな寝息を立てている赤子をあやし続ける他に術はなかった。
「どうしてこうなった…」
疲れきった顔で、スティーブンが呟く。慣れないながらも懸命に赤子の世話を見ている彼は、いっそ自分も赤子になっていた方が幸せだったのだろう。
「堕落王め、何がモンスターだ。モンスターの方が可愛いくらいだぞ、くそ、厄介なことしやがって」愚痴混じりの言葉には同意をする他に術はない。そりゃあそうだろう、戦闘員の彼からしてみればさっさと凍らせてしまえば済むモンスターと違って、赤子は繊細で横暴だった。腹が減れば泣く、便意を催せば泣く、機嫌が悪ければ泣く。泣くのが仕事とはいえ、あんまりじゃあないだろうか。それでも、寝顔や笑顔はそんな苦労が泡と消えていくばかりに可愛らしいのだから始末におけない。
「でも、可愛いじゃないですか」
「そうだけど…」
「ねぇ、K・K?」
「だぁ!」
「あぁザップ、そんな反り返るな!」
幼児と言えど、無鉄砲なのは変わらない。レオナルドやクラウス、K・Kは健やかに寝息を立てていたが、ザップばかりは先程から妙な動きを繰り返している。恐らく寝相なのだろう、その破天荒極まりない様子に、最初はおんぶしていたスティーブンも心配になったのか慌ててクラウスとの位置を入れ替たくらいだった。
ずるずると下がってくるザップの身体をよいしょ、と抱き直して、ふぅ、と溜息をひとつ。
「K・Kと入れ替えます?」
「いや、彼女が戻ったらそれこそ目も当てられないからそのままで」
「なるほど」
確かにそうだった。レオナルドとの交換も考えたが、背負ってる彼は下ろすと途端にぐずついてしまうから困ったもので。結局はこのままが一番なのだろう。ゆらゆら、執務室の中、二人で身体を揺らしながらぼんやりと考える。
「母親って、偉大ですね」
「なんだい急に」
「だって、文句ひとつ言わずにこうやって面倒見てくれるんですよ、それが偉大でなくてなんだと思います?」
「…まぁ、確かにそれはそうだろう」
「スティーブンさんもこうやってあやされてたのかー」
「僕だって人間だからね」
そりゃあそうだ。
舌を出すと、ふぅ、とまたひとつ溜息を吐く。どうもご機嫌は宜しくないらしい。それでも、とんとん、とザップの背中を優しく叩いてあやしている姿は、妙に様になっていて。父性というものとは無縁だと勝手に思っていたのだが、それは大いなる勘違いだったらしい。
ふと、妙な気持ちが沸き上がってくる。おもばゆい感覚だ、自然と口許が緩む。ちらり、見つめる先のその人は慣れないながらも懸命で、ドキリと胸が弾む。
「…なんだい、ニヤニヤして」
こっそりと見つめているつもりだったが、どうやらバレていたらしい。少しばかり居心地が悪そうな彼は、こほん、と咳払いをひとつした。
「どうせ、似合わないと思ってるんだろ」
拗ねたような言葉に、少し尖った唇。どうも彼は勘違いしているらしい。思ったことは全くの真逆だというのに、これだから妙に鋭い男は。
勝手な想像をして、勝手に不貞腐れている彼は、全く仕方がない人だと思う。同時に、愛しいとも思った。
「違いますよ」
「いいよ、慰めなんか」
「拗ねないでくださいよ」
「誰が拗ねてるって?」
「そりゃあ、スティーブンさんが」
火を見るより明らかな事実だろう。
素直な言葉が気に入らないのか、スティーブンはむっとしかめっ面をして見せて、ぷいとそっぽを向いてしまう。ほら、どこからどう見ても拗ねているじゃあないか。
「ほんとに、違うんですよ」
くすくす、漏れ出た笑いは堪えきれなかったが、それ以上意地悪をするのは流石に堪えるだろうと思って、一歩、二歩と側に寄る。赤子をおぶって抱いているために不格好な仁王立ちになっている彼は、逃げることなくその場に立ち尽くしていた。
「スティーブンさんが、父親になったらこんな感じかなぁって」
しがない妄想だ。
「その時、隣にいて一緒にあたふたしたいなぁって」
夢見がちなことを言っているだろうと自覚はしている。
「そう、思っちゃったんです」
でも、そうなったらいいなと、思ってしまったから。
素直な言葉に驚いたのだろう、彼は面食らってぱちぱちと男性の割には長く見える瞼を上下させて、それから口許を掌で隠した。しどろもどろになる視線から、照れているのだろうことはわかりきっていて。からかうような言葉のひとつでも投げ掛けてやろうか、そう思える余裕はあるものの、気恥ずかしいのはこちらも同じで。
すぴすぴと健やかな寝息と、妙な沈黙。でも不思議と嫌じゃない、少しくすぐったいけど嬉しさが込み上げてくる。
ちらり、視線を彼に向けてみると、偶然なのかそれともずっと見られていたのか彼もこちらを見つめていた。絡まる視線は不思議と足を動かして、普段より重たい身体を一歩、また一歩と進ませる。
すう、とどちらともなく伸ばした掌が重なり、指先が絡まる。少しかさついた掌は愛しくて、思っていたよりも武骨な指先がこんなにも胸を高鳴らせてくれる。
赤子達が目を覚ますまでの間、繋いだその手は離れなかった。まるで遠い未来も一緒だよと、言われたかのような気がしてしまうのは、少し浮かれすぎだろうか。
ところで余談だが、薬の効果は数日程度だったらしく、4人はやむ無く元に戻ることとなる。それまで手を焼きながらも、沸き上がる感情が嬉しさという言葉に当てはまると気付いたのはまだ先の話。


I love baby!

16/6/3