「雰囲気変わったよね」
思いがけない言葉が、フォークに刺さっていた筈のパンケーキを落とした。それにかぶりつく予定だった口は間抜けにもぽかんと空いたまま、ただ見つめ返すことしか出来なかった。
「やだ、服についてない?」
「だ、大丈夫…」
幸いにも皿の上に落ちてくれた。メープルシロップがたっぷり掛かった生クリーム付きのパンケーキ、職場用であれば仕方ないと諦められるが、まだ下ろし立てのこの服に染みなど出来たら流石にショックを受けるだろう。
一安心ついでにグラスに注がれた水をぐいと一息。喉を潤す水のなんと心地よいことか、甘ったるい口の中をさっぱりさせてくれるこれはきっとレモンでも搾っているのだろう。
「で、」
「うん」
「雰囲気、変わったよね」
二度目ともなれば、早々驚くこともない。ただ変わったという意識は微塵もないので、首を傾げる他にすることもなく。久し振りに会う友人は、なんとも得難い感触に少し眉根を寄せていた。
「自覚なし?」
「うん…」
「嘘でしょ」
オーマイガー、そんな言葉を出させるほどの話題でもなかろうに。彼女は大仰に天を見据えて肩を竦めてみせる。ボディランゲージの激しさは昔からだが、今日は特別激しいようだ。そんな彼女を横目にぐい、とまたグラスを煽った
「男、出来たでしょ」
「ぶっ」
疑問符をつけることなく、断定した彼女は、鋭い眼光でこちらを見つめていた。睨んでいるとも取れるその目付きに、久々とはいえどうにも萎縮してしまう。その上、告げられた言葉にこれ以上ないくらい動揺させられた、水を含んでいない時で本当によかったと心底思う。
「な、なに、急に」
「図星?やだもう言ってよ水臭い!」
人の話を聞いてくれ。噎せた友人を無視して一人盛り上がってる彼女に待てとばかりに手を伸ばしたのは言うまでもないことだが、それでも止まらないのが彼女なのだから仕方ない。
「いつから?どんな人?どこで会ったの?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問に逐一答えられる筈もなく、こういう話題の大好きな彼女は瞳をらんらんに輝かせながらずいと身を乗り出していた。こちらとはいえば、げほごほとまだ噎せているのだが。
「…なんで、急に」
ようやくと落ち着いた頃に、そう一言尋ねると、あっけらからんとした答えが返ってくる。
「だって、前より可愛くなってるから」
「ぶっ」
今度は飲み物がないのに噎せた。その理由は言うまでもないだろう。連続して噎せるこちらに、流石の彼女も不憫に思ったのか、今度は矢継ぎ早の質問は飛んでこなかった。
「…、あの、どういうこと?」
「いやだって、前より断然可愛くなってんのよアンタ。もうこれは恋しかないなと思ったね」
「そこは一択しかないんだ…」
「仕事が楽しい感じじゃないもの、それならもっとくたびれてる」
お見それしました、と言いたくなるくらい正解のそれに言葉を飲むと、ふふんと勝ち気に笑った彼女はケーキを美味しそうに頬張った。
「で、男、出来たんでしょ?」
「いや、まぁ、うん」
「何よ煮え切らないわね、出来たんでしょ、もっと嬉しそうな顔しなさいよ」
「この歳でそんなに浮かれてどうするの」
「馬鹿、恋してる時に浮かれないでいつ浮かれんの」
おっしゃる通りで。びしっ、とフォークで指されてしまえば返す言葉もない。だがしかし、そこそこの年齢を重ねた自分が浮かれていたら、流石にどうなのだろう。
「女だろうが男だろうが、いくつになっても恋には浮かれるもんなの、だからアンタも浮かれなさい」
「えぇ…」
その考え方は素敵だと思うが、実際浮かれている様を想像すると、どうしようもなく恥ずかしい。しかも相手が彼だから余計に、分不相応な恋だという自覚はあるから。
恋人はまるでハリウッドの俳優みたいな人で、映画みたいな恋をしているという自覚はある。現実味のない感覚には未だに慣れない。確かにそこにある幸せに戸惑うのは、まだ付き合い始めてから記憶に新しいからだろうか。
「幸せ?」
問われた言葉には、躊躇いながらも頷いた。本当は飛び跳ねるくらいに浮かれたい、でも歳とか世間体が邪魔して出来ない。それは自分にとって精一杯だった。
「…夢みたいな恋、させて貰ってるよ」
「いいなぁ、幸せそうで」
憧れるような恋、夢にまで見たような恋をしている。それはまぎれもなく、相手が彼──スティーブン・A・スターフェイズだからだ。



:::



「私、雰囲気変わりました?」
藪から棒に尋ねたのは、特に理由があった訳でもない。ソテーを食べていた彼は、もぐもぐと口を動かしながら、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。かっこいいのに可愛いとは何事だろう、自覚があるのかないのかわからないが、伊達男はこれだから恐ろしい。
「、なんだい急に」
飲み込んで一言、端的に尋ねてくる。フォークとナイフは置かれてしまったから、これは本格的に掘り下げられるのだろう。
「いや、今日、友人にそう言われまして」
だから素直に答える。隠したところで最終的に彼の知るところになるのだから、さっさと言った方が自分のためだろう。
「ふぅん?」
「で、変わりました?出会った時から」
ふむ、と頷いてから考え込む姿は絵になっていて。どれだけかっこよければ気が済むのだろうか、それともこれは惚れた弱味で、世界的に見たら自分が浮かれ切ってるだけでそうではないのだろうか。いや、そんなことはあるまい、だってほら、さっきから隣のテーブルの女性が熱っぽい視線を向けているじゃあないか。おいおい、向かい合ってる女がいるのだから少しは気を使って欲しい。血縁者だと思われているのか、同じブルネットとは言え残念ながら恋人同士なのに。
「そうだなぁ、ってどうかしたかい?」
「なんでもないです」
思わず眉間に皺を寄せていたから、気にかかったのだろう。面白くないのは隣の女のせいだから、さらっとその気持ちを流して続きを促す。そう?と首を傾げながらも彼は、頬杖をついて微笑んだ。
「変わったか、って話だけど…確かに少し変わったかもしれないね」
「…やっぱり、そうですか?」
「うん、前よりずっと可愛くなった」
「ぶっ」
吹き出したのはこちらだけだったが、面を食らったのは隣のテーブルの女も同じで、熱っぽかった視線は信じられないと言わんばかりのものになる。その様子に気付いてるのか、はたまたこちらの反応が楽しいのか、彼はけらけらと笑いながら、こてんと首を傾げた。
「大丈夫?」
「まぁ、なんとか」
「じゃあ続き。前から可愛かったけど、最近は何て言うか、ひどく魅力的だ」
甘い。言葉だけじゃない、視線もこちらを見つ表情も、どれひとつ取っても甘い。おまけに足がするりと絡んできて、ドキドキと先程から鼓動がうるさくて敵わない。
「常に、食べてしまおうかと思ってるよ。勿論、今も」
殺し文句までついてきたから、もう真っ赤になる他に術などない。隣のテーブルの女は、あんぐり口を開けていたが、そんなものはもうどうでもいい。目の前で楽しげに微笑む彼を見るのに忙しいのだ。そんなものに構ってなどいられない。
「私、が、その、魅力的になったのは」
「うん?」
「スティーブンさんのせいです」
そう、全部彼のせいだ。前よりもメイクの時間が長くなったのも、洋服選びに時間が掛かるようになったのも、全部全部彼のせいだ。ふとした瞬間に幸せを感じて微笑むのも、コロコロ表情が変わるのも、彼を思い出したから。
「俺のせい?」
嬉しそうに問い掛ける彼が、自分と同じようになっていればいいのに。そう思いながら頷くと、これ以上ないくらいに幸せそうに笑って。堪らなくなったから、ぎゅうと膝の上の手を握り締める。
「…そうです、全部スティーブンさんのせい」
「それは責任重大だ」
取り敢えず、そう一言呟いた彼の足が際どいところまで絡んで来た。驚いて目を見開いていると、熱の孕んだ瞳が鈍く輝いて。
「──今夜の予定は、俺のために空けてくれる?」
殺し文句だ、こんなのもうどうしようもないじゃあないか。
誘いに、頷く以外の道が残されている訳もなく。でもこのまま彼に翻弄されてばかりというのは癪に触ってしまうから、やたら長い足に自分の足を絡ませてやる。それに気付いた彼は、これ以上ないくらいに優しく微笑む。その笑顔にどうしようもないくらいに心が飛び跳ねる。
変化というのは、時に恐ろしいものだと思う。日常が変わるのは、中々慣れないし、何が起こるかわからないのも戸惑いを生むだろう。でも、彼と共にあるというのは、時に甘く、時にエキサイティングで。悪くないどころか、幸せだと思う。この幸せが、遠い未来まで、ずっと続きますように。今は、心からそう願う。


ぜんぶあなたのせい

16/7/25