恋人が甘い。
いや、誤解なきように言うならばこれは断じてのろけなどではなく、単純な事実なのだ。 甘いというのは具体的にどういうことなのか、上げればキリがないくらいで、それを思い出す度に真っ赤になったり、胸の鼓動がはやくなったり、まぁ要するに平静を保っていられないのだ。
そもそも、恋人であるスティーブンは完全無欠の伊達男である。そりゃあ多少、いやほんの少し抜けてたりもするけれど、それさえも魅力になるくらいのもので。
まず、顔が良いのは言うまでもないだろう。街を歩けば女の子達が色めき立つ、隣に誰がいようがいまいが関係なく。例えばカフェでお茶なんかしようものなら、女の子達の熱っぽい視線がそりゃもう矢のように飛んで来るのだ。おいおい、向かいにいる女のことも少しは視界に入れてくれよ、とも思うけれど、東洋の血が混ざった幼い外見ではどう贔屓目に見積もっても妹分的な扱いになってしまうのだろう。一応、それなりに年齢は重ねているのだが、悲しいかな、見た目にそれが反映されないからいつだって学生気分を味わえる──全く嬉しくない。
頬の傷跡は彼のミステリアスな雰囲気を更に増長させるのだろう。いつの時代も、女はちょっとした危険を魅力に感じるところがある。そのくせ柔和な笑みを浮かべているから、もうそのギャップに大抵の女はめろめろのはずだ。勿論、ご多分に漏れずめろめろになっているのは言うまでもない。
スタイルだっていい。すらりと伸びた長身は見上げるのに少し疲れることもあるけれど、話掛けると耳を澄ますように背中を丸めてくれる姿を愛しいと呼ばずに何が愛しいのか。隙のないくらいスタイリッシュにまとめられた体躯が身にまとうのは、これまた洗練された洋服達で。いくらするのか聞いたことはなかったけれど、高級そうなことくらいは触っただけでよくわかった。これ、絶対に汚せない、と真剣に思うこちらを嘲笑うかのようになんでもない普通のベンチに座る姿に、思わずお尻に敷く用にとハンカチを差し出しそうになったこともある。勿論、爆笑されながら丁重に断られたけれど。
職場でのことは知らないけれど、時折聞こえる電話の内容からして、仕事が出来ることは間違いないのだろう。普段の会話からだって、頭の回転がはやいことは容易にわかる。皮肉とちょっとしたジョークと、それからとんでもない甘さを孕んだ彼との会話は飽きるどころかもっと話したいと思わせるくらいだ。お付き合いというものを始めてから、もう結構経っているけれどいつまで経っても彼との会話はひどく楽しい。
見た目のことばかりを言ってきたが、勿論もっと素敵なところや愛しいところがたくさんある。けれど、そんなことを公にしてしまうと、皆が彼のことを好きになってしまいそうだから、敢えて割愛させていただこう。
そう、そんなスティーブンが、完全無欠の伊達男の恋人が、びっくりするくらい甘いのだ。
最初は、付き合い始めだからだと思った。恋は熱病のようなものだから、色男でもこんな風になるんだなぁ、なんてぼんやり思っていた。それからあれよあれよと言う間に時は過ぎ、もう付き合いたてと言えないくらいの期間になった頃に違和感に気付いた──あれ、甘さが変わらない。
そう、変わらない。付き合いたての頃のような、初めて口説かれた時のような甘さが、今も尚、変わらない。そりゃあ喧嘩したこともある、お互い忙しいから会えない時だってある、それなのに変わらない。
一緒に暮らすようになって、なくなるかと思った毎日の連絡は欠かさないし、デートの時だって、ベッドの上でだって、その甘さはなんら衰えることがないのだ。それが嬉しくない、と言ったら嘘になる。だから困るのだ。
「どう、です?」
今日は出掛けようか。そんな言葉に喜んで、クローゼットの中をひっくり返してめいっぱい可愛い服を選んだ。鏡の前でくるりと回って、今日のコーディネートに頷いてから、スティーブンに確認する。既に着替えを終えていたらしい彼は優雅に座りながら、にこっと大抵の女だったらくらりと来そうな微笑みを浮かべながらこんなことを言う。
「うん、可愛いよ」
ぐう。似合うよ、とか、いいね、とかじゃなくて、可愛いよと言うその声は、言葉以上に甘い。そうそう、言うのを忘れていたが完全無欠の伊達男は声だって良いのだ、こんな声に囁かれたらそれこそ落ちない人がいないくらいだと思う。
どぎまぎしながら礼を言うと、不意に立ち上がった彼が近付いてきて、ふわっと嗅ぎ慣れた匂いが鼻腔をくすぐったら、優しい両腕が背中に回って来た。
「こんなに可愛いと、外出する気が失せるな。独り占めしたくなる」
ぐう。本日二度目の甘さが襲ってくる。
いやいや、貴方と違って、周囲の視線を奪えるような魅力はありませんよ?と心の底から思うけれど、反論しようにも頭のてっぺんにちゅっと口付けを落とされている間はどうにも出来そうもない。甘いのは言葉だけだと思ったでしょう?それこそ甘い、この人は行動ひとつ取っても甘々なのだ。
「スティーブン、さん」
「うん?なに」
せっかく名を読んでも、今は愛でることに忙しいのか気のない返事だった。ちゅっちゅっちゅ、と頭への口付けは止まないし、腰に回った指先はそろりそろりと撫でるように動き出したから、もしかしたら本格的に外出する気がなくなっているのかもしれない。
うっかりそのまま流されそうになるけれど、なんとか堪えて見上げる。きょとんとした顔は案の定可愛らしかったけれど、今はそういう場合じゃない。
「あの、甘くないですか?」
「甘い?」
「私への、あれこれというか、なんというか」
ぱちくり、まばたきをひとつする。それから数秒考え込むように視線を彷徨わせたかと思ったら、すぐに蘇芳の瞳はこちらに戻ってきて。
「別に、いいんじゃない?」
困ることもないし、なんてあっさり言ってのけた。
いやいやいや、いやいや、ちょっと待って欲しい。いいんじゃない、って貴方、それはちょっとあんまりじゃないだろうか。というか自覚あったのか、そりゃそうか、だって本当にびっくりするくらい甘いものな。もしかして他の人にもこうなのかな、なんて思って少し落ち込んだりもしたけれど、そんなことを吹っ飛ばすように彼は続ける。
「だって、初めてなんだよ──こんなに好きになったの」
ぽかん、と間抜けにも口を開けたことを誰も責めないで欲しい。少し恥ずかしそうに目元を赤らめながら、それでも嬉しそうに誇らしそうに笑う彼に驚くなという方が無理だろう。腰に回っていた片手がするりと髪を撫でて、そのまま輪郭をなぞり出す。
「どれくらいが丁度良いか、わからなくなってね」
一応、考えてはいたんですか。
「それならまぁ、余すことなく出して行こうかな、なんて思って」
引かれるとか、考えてもしなかったんだろう。
「こんな俺は──嫌い?」
ずるい。
こんなのずる過ぎる。答えなんて、言わなくてもわかるくせに、知ってるくせに敢えて言わせたいのだ。安心したいから?まさか、聞きたいだけに決まってる。
ここで言わないのは簡単だったけれど、そんなにあまのじゃくでもなければ、ベタ惚れなのはこちらも同じだったから。
「すき」
と、短く答えると存外柔らかな唇が降ってくる。触れるだけのそれは、やっぱり甘くて、ああもう、くらくらしそう。
「…こんなに甘やかされたら、馬鹿になりそう」
「なっていいよ」
簡単に言ってくれる。もうティーンじゃないんだ、成人もとうに過ぎた大人だから、恋に溺れるなんて冗談じゃない。それなのに。
「──もっと、俺のことを好きになって」
甘えるように囁きが落ちてくる。
これ以上好きになって、溺れて、窒息したらどうしてくれるんだろう。でもそれも悪くないかもしれない、なんて思うくらいには彼のことがどうしようもなく好きで。勘違いじゃなければ、彼もそうなのかもしれない。そうだったら、どんなに嬉しいか。
恋人が甘い。もう果てのないくらい甘い。きっと彼はぐずぐずになるまで甘やかして、世界の中心を彼にしたいのだろう。そんな女、重たくて嫌だろうに、それを求めてる。なんてずるい人だろう、お願いだからちゃんと責任を取って欲しい。そうでなくとも、もう彼なしの人生は考えられなくなりそうなのに。


あまいのはお好き?

17/11/30