『待って、貴方を愛してるの!』
昼下がり、おやつの時間を過ぎた辺りだろうか。突然休みになった恋人と、出勤調整の都合で休みになった自分は、一人どころか二人で住むには大きい家のリビングで借りてきた映画を観ていた。
休みが通告されたのがお互い昨日の夕刻で、仕事を終えて帰ってきた時間にようやくそんな話が出て来た。どこか出掛けようか。そんな彼の言葉に首を振ったことにはいくつか理由がある。
ひとつ、休みの翌日はお互いに仕事だということ。
ひとつ、特別出掛けたい場所がないこと。
ひとつ、最近二人でゆっくりとした時間を過ごしていないということ。
案外マメな彼は休みを調整しては色んなところに連れて行ってくれる。びっくりするくらいロマンティックな場所もあれば、本当に気軽に楽しめる場所と種類は様々だ。彼と行けばどんなところも楽しいけれど、翌日が仕事だということを考えるとそう遠くへは行けないだろう、そうなると気軽な場所でデートになる。ショッピングはこの間、友人と済ませたばかりだし、外食するというのも中々味気ない。たまにはいいかもしれないが、何せこの家には優秀な家政婦がいるから美味しいものには事欠かないのだ。それに、何より最近はお互いに忙しくて、どちらかが休みになってもどちらかが仕事という時間が多かった。まぁそれでも、一緒に暮らしているだけまだマシで、朝と夜に会えるから寂しさはそこまでなかったけれど、二人でのんびりとした時間を過ごせなかった。
だからそんな色々な意味を込めて、家でゆっくりしませんかと告げて、何もしないのもあれだし、映画でも観ませんかと提案して現在に至るわけなのだが。
『俺だって君を愛してる、だけど…』
中々どうして、映画にのめり込めなかった。
今観ている映画は中々の話題作で公開当時、休日の時間帯などは結構チケットが埋まっていたと聞いていたのだが、なんというか肌に合わなかったらしい。ラブストーリーは嫌いというわけではないけれど、この映画の前に観たアクション映画と比べるとどうしても迫力が落ちる。観る順番を間違えたかな、なんて思いながらちらりと横にいる彼に視線を向けてみると、彼は彼で特別飽きた様子ではなかった。内心ほっとしながら、画面に視線を戻す。せっかくの休みに退屈な気持ちにさせてしまっていたら、と考えるだけで申し訳ない。男性は特にラブストーリーは好まない人が多いから、余計にだ。
物語も佳境を迎えていることだし、このまま大人しく観ているとしよう、そう思った時に、ふとローテーブルに置いてあった携帯電話が震えた。何の気なしに手に取って確認をしてみると、友人からのメッセージが来ている。どうやら好意を寄せている相手からアプローチを受けているらしい、その喜びを誰かに伝えたくて仕方ないのだろう、興奮が抑えきれない内容だった。思わずくすりと笑みを零しながら返事を打つと、やっぱり想いが溢れているらしく次々にメッセージが送られてくる。気の置けない友人の楽しそうな様子を見ているのはすごく嬉しいし、それを真っ先に伝えてくれたことも嬉しかった。アプローチの詳細まで教えてくれる彼女に、いつの間にか映画よりすっかり夢中になっていたことは言うまでもないだろう。そう、だから気付かなかった。
ふと、気配を感じた。いや隣にはスティーブンが座っていたから、ずっと気配は感じていた。それが、少しばかり近くなった気がするのだ。それを確かめるべく視線を彼の方に向けようとした次の瞬間、少しの重みを肩に感じた。
「楽しい?」
いつもより近い声、多分抱き締められた時と同じくらいだ。そろりと視線を向けると、端正な顔がそこにはあって、顎先が自分の肩に乗っけられていた。重みからして、完全に力を抜いている訳ではない、だから実際痛くはないけれど心臓は痛いくらいドキドキしていた。いつまで経っても慣れない、一緒に暮らしているというくせになんなんだその体たらくはと思わなくもないけれど、好きな人にドキドキしない人はいないのではとも思うから始末におけない。
「ど、どうしました?」
動揺で声が上擦る。そりゃあそうだ、だって彼からのスキンシップは大抵抱き締めたり、肩を抱かれたり腰を抱かれたりと、所謂大人なものだったからだ。それが、こんな、まるで甘えたいような態度を取られるなんて露ほどにも思っていなかったから、ドキドキがいつもより増しているのも仕方ないんじゃないだろうか。
「いや、随分と夢中になっていたみたいだから」
すっと身を引いた彼は、いつもと変わらない顔と声でそんな風に言った。特別拗ねている訳ではない、ただの純粋な疑問だったらしい。よく考えなくても彼がこんな程度のことで拗ねることはないだろうし、そもそも拗ねてる姿を見ることはそんなに多くない。拗ねることもなければ甘えることもない、だからと言う訳ではないけれど、どうしてあんなことをしたのかはわからなかった。もう彼の顎はそこにないのに、肩はまだ少しの重みとぬくもりを覚えているようで消失感に胸がざわざわしていた。
「あ、えと、友達からメッセージが来て」
「へぇ」
穏やかに微笑んでいる姿はいつも通りで、先程の行動はまるで夢だったかのように錯覚する。いや、もしかしたら錯覚なんかじゃなくて本当に夢だったのではないだろうか。所謂、白昼夢というやつで、一瞬だけ願望を見ていたのかもしれない。そう考えた方がいっそ自然だと思うが、あんな風に甘えられたいと深層心理で考えていたのかと思うと恥ずかしくて死にそうだった。
「どんなメッセージだったんだい?遊びに行こうって?」
「あ、いえ、」
と、言いかけたところで気が付く。映画は、いいのだろうか。
ちらっとテレビ画面を観てみると、どうもまだ終わりそうもない。というか、大分ダイナミックなシーンになって来ていて、これはここを観ないと意味がわからなくなるのではないか、と思いながら彼に視線を戻すと身体の向きまでも聞く体勢に入っている。穏やかに微笑みながら、続きを促すような視線が飛んで来ているくらいで、思わず見つめると緩く首を傾げていた。
「うん?」
いや、あの。
「映画は…いいんですか?」
躊躇いながら口にした。そもそも、映画を観ている最中だというのに携帯電話に送られたメッセージという名の雑談をしていた自分が言えた義理ではないのだが、彼はそこそこ真剣に観ていたようだったし、それを他愛のない会話で遮るのは中々憚れる。そう言っている間にもどんどん映画は進んでいるし、耳から聞こえてくる情報から察するにどうやら主人公が恋敵に詰られているようだった。恋とは恐ろしい、確かこの恋敵は主人公の友人だったはずだが。
「あぁ、」
ちらり、と一度テレビ画面を興味なさそうに一瞥してからすぐにこちらに視線を戻したと思ったら、すぅと片手が伸びてくる。案外無骨な掌が、そっと頬を撫でた。指先でなぞるようなそれではない、ふわりと頬の感触を楽しむような甘い手つきだった。
「映画より、楽しそうなの方が気になるかな」
甘い声、穏やかな微笑みでこんなことを言われて、ときめくなという方が無理がある。先程同様にドキドキとうるさい心臓の鼓動を感じながら思わず目を伏せると、くすっと彼は笑った。それはからかってるとか、馬鹿にしてるとかそういう類のものじゃなくて。そろそろと視線を向けてみると、見てるこっちが恥ずかしくなるくらいの甘い笑み。まるで、愛しくて仕方ないと言わんばかりのそれがあんまり嬉しくて、恥ずかしくて。
「映画、つまらなかったですか?」
やっぱり、ラブストーリーは退屈だったのだろうか。気を抜くと都合のいいようにしか考えない自分の頭をなんとか現実に引き戻しながら、誤魔化すようにそんなことを聞くと親指の腹で頬を優しく撫でられる。
「うーん、つまらないわけではないけど、ラブストーリーはわかりやすいからね。展開が読みやすい」
それに。
「他人の恋愛より──俺は、との恋愛で忙しいし」
だから、聞かせてくれない?君の楽しそうな顔のわけを。
あぁ、もう。あんまり嬉しくて、にやけそうだ。いや、きっともう多分にやけてる。ぶさいくなことこの上ないだろうに、彼はそんなこちらを見て嬉しそうに笑みを深めるから、更に嬉しくなって笑った。
本当は、二人でしたいことは映画じゃなくて、別にあったのだ。ただこうやって、話したり、スキンシップを取ったり、お互いのことをもっともっと知りたかった。もう出会ってから随分と経つけれど、まだまだきっとお互いに知らないことはあるだろうし、好きな人のことだったらなんでも知りたい。何が楽しいのか、何が嬉しいのか、何が悲しいのか、何が腹正しいのか。同じ日なんて絶対に来ない、だからきっと一日ごとに新しい貴方になるのだろう、それを余すことなく知りたいから、取り敢えず今は頬を撫でる手に擦り寄りながら、まずは先程の質問に答えることから始めよう。


フィクションなんかどうでもいい

18/1/31