どっかーん。
まるで漫画のような擬音だ、と笑う人も多いだろう。ふう、と思わず溜息が漏れた。この街が名前をヘルサレムズ・ロットに変えてから、そういう音が日常と化してしまったので、高々この程度の轟音ごときで驚くこともない。精々耳元で蝿がうるさいなぁ、というくらいだろう。蝿が聞いたら怒りそうな思考だが、それくらい日常と密接にあるのだから仕方がない。
漏れた溜息に、くすりと同僚が笑う。ちらりと上司がこちらに視線を落とすものだから、カタカタとリズミカルに音を立てていたキーボードからそっと指先を離した。やれやれ、一体次はどんなものがぶつかってきたのやら。
この轟音に大して驚かない理由は二つある。一つは前述した通り、この程度はヘルサレムズ・ロットでは珍しくないということ。そしてもう一つは──この職場が限りなく、ぶつかりやすいということだ。
ガラッと引き出しを開けて、用意してある画板にぺらりと紙を貼り付ける。それを小脇に抱えて、机の上にあるペンを片手に席を立ち、カツコツとヒールを鳴らしながら、デスクからは程遠い窓際に向かう。途中、瓦礫と成り果てた"職場の壁、窓だったもの"をぴょんっと飛び越えて避けた。ちなみにこれは、午前中のものだ。お陰で下ろし立ての靴には傷がついた、もう二度と職場に新品なんて履いて来るものかと心に誓ったのは記憶に新しい。そんな、この場に相応しくないだろうことをぼんやり考えながら、砂埃を立てている中心へと向かった。
「えっと、あのー、どなたか居ますかー」
間の抜けた声だ、という自覚はある。しかし、人間とは慣れる生き物だ。この職場に勤めて三年、この程度は取り立てて驚くことでも怯えることでもない。
そう、この職場はぶつかりやすい。例えば、空から落ちてきた隕石に運悪く当たって進行方向を大きく変えざるを得なかったトカゲに似た飛来生物だったり、例えばどこぞの抗争か何かの影響でぶっ飛んだビルの瓦礫だったり、例えば、何かしらの事件に巻き込まれたらしく吹っ飛ばされた生物だったり、エトセトラ。これら全ては、漏れなくこの三年間自分が見てきた飛来物だ。
だからといって、この職場は別段おかしな恨みを買ってる訳でもない。極めてクリーンな、普通の、どこにでもある職場だ。怪しい商売や取引をしてる訳でもない、勤めているのは自分を含めて一般的なヒューマーが多い一般企業なのだ──ただ、立地が極めて悪いだけの。
上役の誰かが呪われているんじゃないか、そう囁かれる我が社は、ニューヨーク時代よりも遥かに名を馳せたのだろう。嬉しくはないが、お陰で社の業績は上がったらしい。怪我の功名とはこのことだ。
だが、余りにも多い飛来物に、新入社員からは引っ越しを提案される。その気持ちは多いにわかる、わかるのだが、しかし、人間は慣れる生き物だからして。社長を筆頭に、引っ越しをしたところで変わらなかったらそれはなんかもうしんどいしこのままで良いんじゃない?修理費はその都度給付されるし片付けも業者任せにすれば楽だし、という考えなのだ──救えない、そう救えない。
大抵の新入社員は、クリーンでホワイトな職場だけに三ヶ月くらいは我慢を重ねて頑張るのだが、その内にぷつりと糸が切れて辞めてしまうのだ。そりゃあデスクを一番ぶつかりやすい窓際に配置されたら、命の危機を感じて辞めるだろう。自分だって流石に辞める、これはもしかして新入社員を切り捨てるテストか何かなのだろうか、そう社内で嘯かれているのは公然の秘密だ。
そうして、ぶつかってきたものに対応する"飛来物係"のお鉢が、一番若い自分に回ってくるのだ。あぁ、はやく次の新入社員来ないかな、そうなれば自分の業務に集中できるのになー。
「もしもーし、誰かいますかー生きてますかー死んでますかー」
最初の頃は、そりゃあびっくりもしたし怯えもした、何度も辞めようと考えた。しかし、大崩落が起き、ぶつかりやすくなってから三ヶ月が経った時、自分はこう思ったのだ──落とし物係、そう思えば少しは気が楽だ、と。そもそもぶつかるのはビルの一部で人的被害はそうそう起きてないし、一応バリケード的なものを設置してくれているし、大体この街に住んでる時点でいつ死ぬかもわかるないんだから。ちなみにこの考えを伝えたら、友人は信じられないようなものを見るような目になったが、同僚や先輩、上司に家族は大笑いしていた。類は友を呼ばなかったが、職場環境と家族は呼んだようだ。
画板でパタパタと砂埃を扇ぎながら、飛来物のチェックをする。慣れたものだ、視界はまだ晴れないことを考えると結構な被害だったらしい。なるほど、確かに今日一番の轟音だったなぁ三度目の正直とかいう奴だろうか。
「もしもーし、いますかーいませんかー、死んでるなら死んでるって言ってくださいねー警察呼ぶんでー」
そんな物騒な声かけをしている内に、だんだんと視界が晴れてくる。ぴちゃ、と靴裏から濡れた音が響いて、目を凝らした先には──血まみれの人がいた。
「っ」
慣れている、とはいったものの流石にヒューマーの死体を見るのは始めてだった。息を飲んで、思わず画板を強く握るとぐしゃっと"飛来物報告書"が歪む。
死体は、銀糸のような髪を赤く染め、褐色の肌を通り、白いジャケットと白いズボン、そして恐らくは黒いインナーすらも汚していた。
これは、流石にまずい。ぐっと胃からお昼に食べたものがせり上がってくるから、思わず口を両手で覆う。小脇に抱えていた画板はカラン、と音を立てて落ちたがそんなものは気にしていられない。
まずい、吐く──そう思った直後、血にまみれた指先がぴくりと動いた。
「…ってー、まっじーなこれ、死んでんじゃねぇのかってくらいイテー。まだアンジェリカたんのメアドすら聞いてねぇのにマジかよ有り得ねぇっつーの」
あ、これ、確実に生きてるわ。
ハスキーボイスが盛大に呑気なことをのたまわっている、そう認識すると、物わかりの良い身体は直ぐに吐く体勢からそのままずるずると重力に逆らうことなく沈んだ。瓦礫とか彼の血とかでスカートが汚れたかもしれない、まぁ黒だしクリーニングに出せば平気だろう。ふにゃりと気が抜けたようにその場に座り込むと、血まみれの彼が訝しげにこちらを見た。アイスブルーの瞳は、まるで棘のように鋭い。
「……あ?んだテメー、見せもんじゃねぇぞ、吐くなら余所で吐けガキ」
あぁうん、大丈夫。一瞬でも自分が吐きそうになったことを後悔する勢いで、正直な身体は吐き気を何処かへ飛ばしたようだった。
落とした画板とペンを広い、膝を抱えて彼を見る。気だるげなのは血を流しているからか、いつも通りなのか定かではないが、これは結構骨の折れそうな"落とし物"だ。
「…ご存命のようで何より。さて、当社へは何かしらご用がおありですか?」
「んな訳ねぇだろ、不幸な事故で飛ばされたんだよくそったれ」
まるでチンピラだ。そう思うがはやいが、飛来物名には"チンピラ"とペンを走らせてしまった。根が素直な分うっかりしていた。これ、ちゃんと決裁通るかな、でも間違ってないしなぁ。
「つーか、ここ何処だよ、トウシャって事は会社かなんかか?」
「えぇまぁ」
「ふーん」
自分から聞いておいて興味がないようだ。ぽりぽりと頬を掻いている辺り、居心地の悪さは感じているらしい。
「えー、不幸な事故での来訪とのことですけど、誰かしらに吹っ飛ばされたということでお間違いないでしょうか」
「…まぁな」
不服そうだ。どうやら何かしらの不注意、もしくは不覚を取ったのだろう。吹っ飛ばした相手、原因を聞きたいところだがやめておこう。聞いたところで答えてくれる筈もない。
原因の項目に"不明"と記述したところで、視線を感じて顔を上げる。刺々しい視線、ではなく、純粋に探っているようなものだった。
「なにか?」
「…いやに手馴れてんな、びびんねぇし、さっきは吐きかけてたけど」
「あぁ、まぁ慣れてるもんで。一応、会社に勤める"大人"ですから」
ガキと出会い頭に言われたことを根に持っている、訳ではないが、意趣返しのようなものだ。にっこりと営業スマイルを浮かべて立ち上がる。
「必要事項は書きましたので、あとはどうぞご自由に…っと、救急車呼びます?」
「当たり前だろ、怪我人だぞ!」
それだけ威勢の良い口を叩ければ、充分元気だと思うが。
しかし、怪我をしているのは事実だろう。嫌味のような言葉に噛みつくような素振りを見せても、実際はその場から動くことはない。それどころか、叫んだせいで痛みの強いであろう部分に響いたらしく、蹲ってやり過ごしているくらいだ。
ふぅ、と漏れた溜息は少しの気後れからかもしれない。ポケットから携帯を取り出し、リダイアルの一番上を呼び出した。
「急患です」
開口一番にその一言を告げると、あぁ、お疲れ様、と返されただけですぐに切られた。お互い慣れたものである、社名すら言わなくても済むなんて。症状も聞かれないところを見ると、職務怠慢ではないかと非難されそうだが、救急隊員直通の電話番号にこの番号で掛ければもう勝手知ったるなんとやらだ。乾いた笑いが思わず漏れそうになるが、ぐっと堪えて彼を見る。
「1分もしない内に救急車来るけど、どこかへ連絡取る必要ある?」
「あー…んじゃ、その内、陰毛みたいな頭した糸目のチビが来っから、そいつに病院名だけ伝えといてくれ」
「了解」
頷きながら、ポケットに携帯を戻すついでにハンカチを取り出す。かつん、と瓦礫の石ころを蹴りながら彼に一歩、二歩、三歩と近付いた。
「……なにするつもりだ」
屈んで手を伸ばすと、ピリッとした声が飛んで来る。凄んだ顔のおまけ付きだ、おお怖い。"ガキ"相手になんという殺気だろう。この街がヘルサレムズ・ロットじゃなかったら、今すぐ逃げ出してるぞ。
「顔の血、拭くだけ。良い男が台無しでしょ?」
本音はというと、流れ出る血が痛々しかったからだ。礼の欠いたチンピラだろうが何だろうが、人であり、目の前で倒れているのであれば、流石に手を貸すのが人情だ。これが道端であったならば知らぬ存ぜぬを通せるが、職場で、しかもがっつり会話した後だ。応急手当、という訳ではないが、まぁそれでも幾らかマシなのではないだろうか。
「汚れるぜ、良いのかよ。そんなたっかそーなもんで拭いて」
「ハンカチなんてものは、未来永劫汚れる為にあるのよ。それに、汚れたら洗えば良いだけ」
彼は、こちらの言い分に目を丸くして、不思議そうに瞬きをひとつふたつしてから、ふはっと笑って
「色男の顔に触んだから、丁寧にやれよ」
そう可愛さの欠片もないことを宣った。その笑顔に、少しだけ胸が跳ねたことは無視して、釣られるように笑いながら伸ばしたハンカチを褐色の肌へと滑らせた。



:::



あの日から数日が経つが、特別日常に変化はない。いつも通り出勤し、いつも通り"落とし物"が降ってきて、いつも通り対処した。名前も知らないチンピラとは、あの日限りの出会いだった。
あの後、すぐ近くを彷徨いていたらしい救急隊員が駆け付けて有名な病院へと搬送されたらしい。彼を追って、一時間もしない内に来た糸目の少年は「迷惑かけてほんとすいませんでした!!!」と頭を下げていたが、その少し前に彼を吹っ飛ばしたらしい犯人を知り合いの警部補が連れて来てくれていたので、被害者である彼はお咎めなしという処分になった。こちらとしても加害者側からきちんとした賠償も貰えたところだし、特別連絡先を聞くことはしなかった。
結局あのハンカチは、紛失したことになる。何せ救急隊員に止血用として使われて、挙げ句押さえたまま救急ヘリで搬送されたのだ。ハンカチの一枚や二枚くらいどうってことはないが、彼が無事退院したかどうかくらい、顔馴染みの救急隊員か警部補辺りに聞けばよかったかもしれない。
そうして、いつも通り残業している先輩上司に声を掛けて、職場を後にした次の瞬間。どっかーん、とまるで漫画のような轟音がすぐ後ろで響いた。
音に肩を竦ませながら、立ち込める煙の中心を呆然と見る。一日の終わりだというのになんだ、また面倒ごとなのか、そう思いながらさっさと逃げることが出来ないのは一般市民として仕方ない。いざとなったら職場に逃げ帰るべきか、そんな打算的なことを考えていると晴れていく煙から声が聞こえた。
「…ったく!あっぶねーな、俺じゃなかったら死んでんぞ!!」
聞き覚えのある、少し掠れたようなざらついた低音。
「──あ?おぉ、また会ったな。今度は吐いてなさそーだな」
こちらに対する配慮や礼節の欠けたような物言い。
「そういや、アンタに渡すものあったんだわ。ほらよ」
差し出されたそれは、うっすらと色の残る、見慣れたハンカチだった。驚いて顔を見上げると、もう二度と会うこともないだろうと思っていたアイスブルーの瞳がすうっと細められていた。
「汚れたから、洗っといてやったぜ」
ニィ、と歯を見せて笑う姿はまるで少年のようで。得意気な言い方は、もしかしたらずっと考えていたのかもしれない。
「ぷっ」
思わず漏れた笑いは、決して彼を馬鹿にしたものではなかった。余りにも奇妙で、出来すぎた偶然に対してだったのだが、次に出た言葉から誤解をさせてしまったようだ。
「あなた、また私のハンカチを汚しに来たの?」
「は?」
たらり、こめかみの辺りから流れ出る血は、まるであの日のようだった。なっ、と声を漏らしたかと思えば悔しそうに恨めしそうにこちらを見つめてくる彼は、中々どうして罰が悪そうだった。そんな彼の表情に、くすりと思わず声が漏れて、差し出されたハンカチを強引に奪う。
「別にいいよ、ハンカチは未来永劫、汚れる為にたるからね」
「…ケッ」
そう、ハンカチは未来永劫汚れる為にある。ずっと綺麗なハンカチなど存在しない。だからいくら洗濯しても多少跡が残るかもしれない。この奇妙な縁が、未来永劫続くかもしれないように、きっとこのハンカチは永遠に真っ白になることはないだろう。
「そういえば、貴方、名前は?」
「ナンパかぁ?ガキにしちゃあ随分ませてんなー」
「こう見えても、そんな風に呼ばれる歳は遥か昔に過ぎてるわよチンピラさん」
「誰がチンピラだ誰が」
「だって名前知らないし」
「…ザップ」
「ザップね、私は。宜しくね、チンピラさん」
「だぁからチンピラじゃねぇっつーの!」



汚れてるくらいが丁度良い

15/11/12
リクエスト企画【ザップ ※一般人設定】
以下、リクエスト主様へ私信



まずはじめに、リクエスト誠にありがとうございました!!
一般人設定のヒロインの職場は、エイブラムスさんクラスの方が社長、という裏設定があります。
書いててあまり夢要素がなくて申し訳ないのですが、非常に楽しく書かせて頂きました。この続きもいずれまた書きたいなーとぼんやり考えているので、またちょいちょい書こうと思います!そちらも見て頂けたら幸いです。
苦情などなど受け付けております。ほんの少しでも楽しんで頂ければ幸いです。これからも、よかったら当サイトにいらして下さいませ!
それでは、繰り返しになりますが、リクエスト頂き、誠にありがとうございました!