その日はいつものように昼前に起きた。
最近の休日は大抵この時間になってしまう、もう少し規則正しい生活をしたいというのに悲しい話だ。それもこれも、洗面所で呑気に寝ぼけ顔を晒している恋人のせいである。
それというのも、この男がセックスをするのが三度の飯よりも好きというから始末におけない。生きてる実感を一番味わえて好き、というのがザップの持論らしいが、こちらとしてはたまったものではない。それでも、仕事前は控えてくれていたりするところは、彼なりの精一杯の気遣いなのだろう。
「腹減ったぁ、飯作ってくれよー」
歯を磨き終えた彼は、まだベッドから這い出てこれないこちらにお構いなしでそんなことを言うから腹が立つ。返事をしないでいると、後ろからがばりと抱き着いてくるからどうしようもない。
「なーぁ、ってばぁー」
ごろごろと、まるで猫が甘えるように擦り寄ってくる恋人を、邪魔だと一蹴したい気持ちはある。でもそれ以上に、仕方ないなぁ、という気持ちが強くて、甘えてくる愛しい恋人の頭をぽんぽんと撫でた。
「めーしー」
前言撤回、この野郎。叩き落としてやろうか。
しかし、成人男性、それも世界を守るために日々暗躍している男なのだ。自分が叶うはずもないのは百も承知だから、やれやれと溜息を吐いて遅すぎた朝食のメニューを考えるために冷蔵庫の中身を思い出す他に術はない。
「…あ」
思っていた以上に掠れた声が漏れたのは、全部のし掛かってる男のせいだ。しかし、まずい。思い出した冷蔵庫はすっかりからっぽだ。
「ごめん、食料品買ってない」
「はぁ!?」
きっと騒ぐだろうなぁ、とは思っていた。思ってはいたが、もう少し人を思いやった行動を出来ないのだろうか、耳許での大声に鼓膜がキーンと震えた。肩越しに振り返ると、ザップは信じられないとでも言いたげな顔でわなわなと震えながらこちらを見つめていた。悪いなぁ、とは思うが、これ以上謝るつもりはない。何故なら、
「だって昨日買おうと思ってたのに、ザップがそんなのどうでもいいって連れて帰るから」
そう、昨日はどこかで戦闘をしてきたらしい彼と街中で偶然鉢合わせした。丁度良いから荷物持ちになって貰おうとしたのに、この男は高揚感と性欲が直結してるらしく、強引に手を引っ張ってきたのだ。流されるがままに帰宅し、それまで我慢していたものを爆発させるかのように襲われた。途中からこちらも乗り気になっていたのは、ご愛敬ということにして頂こう。
つまり、責任問題は五分。ザップもそれはわかっているのだろう、ぐっと言葉を詰まらせていた。勝敗は痛み分け、中々良い塩梅だ。
「じゃあどうすんだよ、腹減ったんだよ俺は」
どうするも何も。
「食べに行くしかないでしょ」
他に選択肢ある?と聞いたら、彼は唇を尖らせながら、おう、と小さく頷いた。
痛む腰に鞭を打ちながらそそくさと着替えて街へ出ると、流石はヘルサレムズ・ロット、相変わらず騒がしい。異常が日常のこの街はいつだって新鮮味は薄れないし、事件や事故も絶えない。そんな中、五体満足で生きていられるというのは運が良いのだろう。そして、こうして手を繋いで歩いてくれる恋人がいるというのも、実に運が良い話だ。
ザップは、恋人になるまで至るところでスキンシップをとる癖が抜けていないのか、やたらと自分にべったりだった。どこか触っていないと落ち着かないらしい、そんな可愛い恋人の愛くるしい注文に応じない筈はなく、出掛ける時は専ら手を繋いでいた。腕を組むのも考えたが、頭が下半身に直結してるこの男にいつ発情されても困るのでこういう形になった。何せ発情されたが最後、キス程度ならば街中だろうが拒めない自分がいるから問題だ。惚れた弱味というのは、なんとも恐ろしい。
「どこで食べる?」
「んー…」
「なに食べたい?」
「あー…」
殴ってやろうか。
腹が減ったと喚くから、冷蔵庫がからっぽだから、腰が痛むのを我慢して、こうして出掛けてきたというのに。何が落ち着かないのか知らないが、彼は妙にそわそわしながら周囲に視線を配っている。一体この辺りに何があると言うのだ、遊び相手か借金取りにでも怯えているのだろうか。
ぐい、と繋いだ手を引っ張ると、バツが悪そうに頬をかいている。困ったようなそんな表情に、思わず溜息を吐いた。やれやれ、自分は大概ザップに弱い。
「もう、じゃあ私が決めるよ?」
「ん」
「この辺りだと…そうだな、ダイナーでいっか」
「げ!!!」
「え?」
「いや、なんでもねぇ…」
だらだらと冷や汗を流しながら視線を彷徨わせるのは、なんでもない証拠だろう。ここまで彼が狼狽えるのは、やはり何かに怯えているからに違いない。
「…大丈夫、別に今更浮気だとか騒がないし、借金の一部くらいなら代わりに返してあげる」
勿論、後から請求はするが。
ザップという下半身がぐずぐずの最低男に惚れてから、幾度となく修羅場にあった。女性関係、金銭関係、あげるのも馬鹿らしくなるくらいの数だった。それでも、自分とそういう間柄になってからは、一度たりとも女性を誘ったりはしていないし、借金はそこそこ減らしているらしい。誘われたり襲われたらそのまま頂いている、というのは実に気に食わないが、目の前で繰り広げられていない分は大目に見ることにしている。本音を言うと、物凄く、果てしない程に腹立たしいことなのだが、これも惚れた弱味だ。結局しょんぼりとして謝ってくるザップを、最後まで邪険に扱えないのだから、我ながら駄目な女である。
戸惑う彼を他所に、さっさとダイナーへと向かう。何せ職場の近くだ、ダイナーは毎日は行かないもののお気に入りの店だった。
歩き慣れた道をさくさく進む。ザップはまだ、ちょっと待てとか、他のもんでもとか、色々騒いでいたがそんなものは関係ない。こっちだって、夕飯も抜きのままベッドで散々運動させられて、空腹も限界なのだ。それに一度決めたしまったら、店を変える気にはならない。他に何か食べたいならばさっさと意見を出せばよかったのだ。
「いらっしゃーい!」
カランカラン、とドアに備え付けられたベルが鳴る。看板娘の声にひらりと空いた片手を振ろうとすると、何やら目を丸くさせてこちらをじっと見つめていた。なんだろう、何かついていただろうか。不思議に思って首を傾げていると、あぁーなんて落胆の声が後ろから聞こえてきた。それと同時に、
「なんでがそいつといんのさ!?」
という素っ頓狂な声が降ってきたから驚きである。



:::



「まさか、最近出来た恋人がこいつとはねぇ…」
「ちょっとビビアンちゃん!」
「あ、あはは…」
笑うしかなかった。
どうもこの店はザップの行き付けらしい。元々は後輩が常連で、その子に付き合っている内にいつの間にか、ということだった。なるほど、だから避けたかったのか。
彼は、自分との間柄を他人に詮索されるのを嫌っていた。それがどんなに気を許した相手でも、だ。そのよくわからない美学めいた考えは、そういった間柄になって間もない頃に聞いていたから特に驚きもせずにコーヒーを啜る。自分もそんなに吹聴するような性格ではないので、聞かれたら答える、というスタンスを取っていたのだが。
「まさかこんなところで繋がるとは…」
いやはや、縁とは異なもので、世間とは自分が思っている以上に狭いものだ。
「しっかし、も趣味悪いなぁ、こんなののどこが良いってんだ」
「ビビアンちゃん、俺に対して冷たすぎ!!」
「客の女の子がアンタのせいで帰ったこと、忘れちゃいないよ」
「ちょ!」
慌てて看板娘のビビアンの口を閉ざそうとするザップの姿に、笑いこそしても怒ることはない。そもそも、遊び人のザップにナンパするなというのが無理な話なのだ。面白くないのは勿論だが、それでわざわざ怒るのも馬鹿らしい。可愛い焼きもちなんて歳はとっくのとうに過ぎたし、目の前でされない限りはスルーを決め込むことにしている。そうじゃないと、やっていけないのだ、色々と。
コーヒーをもう一度啜ると、ビビアンからの視線を痛いほどに感じる。
「…なに?ビビアン」
「いや、だから、それのどこがいいのさ」
「ビビアンちゃん、俺一応客なんだけど」
「アンタが金払ってるとこ、一度も見たことないなぁ」
つまり客として認めないということだろう、ざまぁみろだ。
すっかり不貞腐れて唇を尖らせるザップを他所に、ビビアンからの視線は逸れることはない。これは、どうやらつまり、例えば、突然何かしらの事件があってこの店が吹っ飛ばされない限り、答えるまでこのままということなのだろう。
「…そういうの、興味ないのかと」
「純粋な好奇心だよ。事実、恋人出来てからアンタの顔付きが変わったから気になるのさ。親父もそう言ってる」
親父さん、話せるのか。
思わずビビアンの父であるマスターを振り返ると、同じタイミングで逸らされた。今度話し掛けてみようかな、とぼんやり考えているとすっかり聞く気満々の彼女に急かされる。やれやれ、困ったものだ。
本日何度目かの溜息を吐いてから、ぽつりと呟く。
「ザップは、そう、かっこいいんだよね」
「は?」
「かっこいいの、この人」
「えぇー…」
なんだその反応は。せっかく答えてあげたというのに。
「それってどういうことなんさ、つまり、顔?」
「いやいやまさか。好みじゃないし」
「おい!」
はっきり言うと、横からどすの聞いた声が飛んで来る。だが、事実そうなのだから仕方ない。肩を竦めていなすと、チッ、なんて大きな舌打ちが聞こえる。どうやら機嫌を損ねたようで、心なしか先程より態度が悪くなっていた。仕方ない、簡単に済ませようと思ったが、このままだと今夜の自分が心配なので正直に話すことにする。
「なんていうか、ザップの生き方、っていうのかな、そういうところがかっこいいなぁって」
「はぁ」
「確かに賭博好きだし女好きだし、駄目男の最たる、って感じなんだけどね」
いつだって、迷いなく助けてくれる。
「懐に入れた人はすごく大事にしてたり、意外と几帳面だったり、自分なりの美学みたいなのがあったり」
そういう、些細なところが気になって、ずっと見ていたら眩しいくらいに輝いていることに気が付いた。
「そしたら、ザップ・レンフロっていう一人の男が、かっこいいなぁって思っちゃったの。全然好みじゃなかったのにね」
ふふ、と笑いが溢れる。
自分でも不思議だった、何故この人に惹かれるのか。でも考えてみれば答えは簡単で。いつだってザップは自分に対して正直に生きている。奔放に、無邪気な程にまっすぐに。まるで太陽に焦がれる草木のように。いつの間にか好きになっていた、かっこいいなぁと思っていた。この人の側に居れたら、どんなに人生が楽しくて輝くものになるだろうと、そんな風に思ってしまったのだ。
「はーなるほどねぇ…で、そこのかっこいい人」
「…」
「女にここまで言わせといて、黙ってちゃあ駄目だぜ?」
「……あーもう!」
不意に、身体が傾く。ザップに肩を引き寄せられたからだ。どうしたのだろうと顔をあげると、褐色の肌を仄かに朱に染め上げた彼の顔が目に入って、動けなくなった。
アイスブルーの瞳が、熱っぽくこちらを見つめていたからだ。どくん、と心臓が一際跳ね上がったのがわかる。あぁ、好きだ。この人が好きだ。
「──今夜覚えとけ、ばぁか」
掠れた、甘い声。囁くような、低いトーン。喧騒と店内のBGMより、もっとダイレクトにこちらに降りかかってくる。ぞくり、腰が跳ねて、頬が熱くなった。そのまま引き寄せられるように唇をゆっくりと寄せられる。ここがお店だとか、今が真っ昼間だとか、そんなのは関係ない。言ったではないか、求められたら拒めないのだと。その熱っぽさに瞼を下ろした、次の瞬間。
「…あーお二人さん?」
ビビアンの声が飛んで来て、びくりと肩が跳ねる。慌ててザップを押し退けて振り返ると、なんとも言いがたい顔でこちらを見つめていた。
「ごめんねー、タイミング良ーく出来上がっちゃったもんで」
どん、とカウンターに置かれたのは、先程注文した料理で。出来上がったばかりのそれは、ほかほかと湯気を立てながらそこに鎮座していた。
ぶわっと一気に頬が熱くなるのを感じた。今、自分は、なんてことを。隣を見ると、彼も居たたまれなさそうにふいと顔を逸らしている。
「いやーあっついあっつい!」
快活なビビアンの声が、今日もダイナーの店内に響き渡る。いつもと同じメニュー、いつもと同じ席。ただひとつ違うのは、隣に愛しい恋人がいるということだけで。止めてくれた彼女には、大いに感謝したい。もしもあのまましていたら、きっと我に返った時今以上の恥ずかしさに耐え兼ねて、しばらくこの店には来れなかっただろうから。
誤魔化すように手を合わせて、いただきますと呟く。隣の彼も、同じように手を合わせていた。
「いやぁ、仲良いのは良いんだけどさぁ、店では勘弁してくれよ?」
返す言葉もない。恥ずかしさを紛らわすようにして、ほかほかのハンバーガーにかぶり付いた。



ある昼下がりの告白

15/12/04
リクエスト企画【素直なヒロインに純粋にかっこいいと言われて照れるザップ】
以下、リクエスト主様へ私信



まずはじめに、リクエスト誠にありがとうございました!!
あまりザップが照れていないという結果に終わってしまって申し訳ないのですが、ヒロインは惚気ているつもりは一切なく、なんで急に盛って来たんだろうと不思議に思いながらバーガー食べてます。
個人的にらぶらぶな二人が書けて楽しかったのですが、ご満足いただけたでしょうか?
苦情などなど受け付けております。ほんの少しでも楽しんで頂ければ幸いです。これからも、よかったら当サイトにいらして下さると嬉しいです。
それでは、繰り返しになりますが、リクエスト頂き、誠にありがとうございました!