隣で眠る体温に、こんなにも安心するなんて思いもしなかった。
夜も更けた頃、すぅすぅと心地よさそうに寝息を立てているを見て、そんなまるで童貞みたいなことを思う。今までだって、数々の女と同じベッドで眠って来た。なんたって女の方が放っておかないし、こう見えても結構惚れた女には尽くすタイプだから、まぁベッドインは当然とも言える。たまに、極々稀に、いや本当に少ない確率で振られることもなきにしもあらずだったが、そういうこともあるよな、うん。
それなのに、そんな百戦錬磨のこのザップ・レンフロが、今までにないくらいの安心感を得ているのは、一体何故だろう。
別に何の変哲もない、ただの女。よわっちいし、見た目はガキくさいし、どこにでもいそうな普通の女だ。実際、普通に会社員してるらしい、このヘルサレムズ・ロットでだぜ?アホかよ。レオナルドに負けないくらいの普通さ、いやあいつは神々の義眼とかいうチートなものを持ってるから、もしかしたらそれ以上かもしれない。
別に普通の女を抱かない訳じゃない、いい女だと思えば口説くし、乗り気だなと思ったら抱く、当然だろ。だが、こいつとはそういう目的で会っていた訳じゃなかった。
出会いは戦闘中に吹っ飛ばされたのが原因で、痛みに苛まれながら見たらこの女は顔面蒼白で今にも吐きそうになっていた。この街にいてそんな反応も珍しいというか、今まで付き合ってきた女は気が強いっつーか我が強いっつーか、まぁそういう反応をするような連中じゃなかった訳だな。どこかの陰毛頭を思い出させるようなその反応に思わず眼くれて話していると、いつの間にかすっかり顔色は普通になっていた。見た目の割に大人びた口調と表情で話す様は、なんだかひどく新鮮で。だから、まぁいつもだったら好みじゃない女のことなんかすこーんと忘れるのに、なんだか妙に頭に残ったのかもしれない。このザップ様がハンカチ一枚を手ずから洗って、持ち歩いてたんだぜ?それがどういうことか、この時はまだわかってなかったけどな。
それからあれよあれよという間に、の部屋を訪れるようになった。色気があんまり感じられないが不用心にも程があったので、親切にも釘を刺すついでに襲ってやろうかと思ったら"いい人"だなんて評してくるから毒気が抜かれた。そんなこと言われると、流石に悪さが出来ないというか、良心が痛むというか、まぁつまりやる気が削がれてしまった訳だ。元々好みじゃないし、まぁかと言って抱けない訳でもなかったが、自慢のインフィニットマグナムもぴくりとしないから、そういう付き合いは一切なかった。そのくせ、なんでもない時にふと、"あ、今日あいつの家行こ"と思うから不思議なもので。妙に居心地が良くて、眠る訳でもヤる訳でもなく、ただ食事するために通っていた。
「ザップさんでも、甘えることってあるんですね」
ある時、レオナルドにそんなことを言われた。甘えるってなんだよ、ただ飯食いに行ってるだけだっつーの、タダ飯だけに。
「いや、だって、愛人さんじゃなくて、普通の知り合いなんでしょ?それなのに通ってるとか、どう考えても甘えてるでしょ、もうそれ我が家みたいなもんじゃん」
不覚にも虚を突かれた。この生意気な後輩の口を塞ごうと思えば出来るのにしなかったのは、多分それが事実だったからだ。
「まぁ、お金も払わないで毎回タダ飯とかどうかと思いますけどね。お礼くらいしたらどうですか?」
何にも返せないでいると、調子に乗ったレオナルドはそんなことを言い出した。お礼ってなんだよ、この俺がわざわざ家に出向いてるのに礼なんか必要ねぇだろーが。と言いかけてやめたのは、なんでかわからないし、知りたいとも思わなかった。
今に思えばそんな些細な一言に動かされたっていうのは癪だが、たまたま行きがけに花屋があって、なんとなく眺めてたらあいつの顔が思い浮かんだ。
「いってらっしゃい」
不意に昨日出掛けに言われた言葉を思い出す。普通だ、なんの変哲もないただの送り出しの言葉。だが、妙に胸に残ったのは確かで。
まぁたまにはいいだろうと思って、適当に選んで買ってみた。別に特別な意味なんて何もない、プレゼントにしたっていつも女を口説く時に比べたら段違いに安いものだったし、たまたまスロットが良い目を出してくれて浮かれていたというのもある。精々驚いた顔でも堪能してやろうと、そして恩を売ってもっと良いものを食わせてもらおうと、そんな気持ちで奴の家に向かったら、なんと家主は不在だった。時間はいつもとそう大差ない、いるはずなのにいないとはどういうことだ。とっとと帰って来いよと思って携帯電話を開いたが、連絡先なんて知らなかったから舌打ちしてポケットに押し込んだ。帰るか、そう思うくせに足はちっとも動こうとしなくて。おまけに扉の前で座り込み始めるから性質が悪い。おいおいどうしたよ、こんな花くらい別に今日渡せなくてもいいだろうが、勿体ないと思うなら別の女に渡しゃあいい話だろ。そう思うのに、帰ろうとする度にの顔がちらついて、他の女に渡そうとも思えなくて、結局そのまま座り込んでいた。
どれくらい時間が経ったろうか、いい加減待ち飽きてきた頃に、コツコツとヒールが床を鳴らす音が響いた。聞きなれた耳障りの良い声が名を呼んだから顔を上げると、まだ花を渡した訳でもないのに驚いた顔が目に入った。おっせーよ、どれだけ待たせる気だよ、いい加減待ちくたびれたわ。
文句もそこそこに、目的の花束を渡したら困惑したような顔をするから内心イラっとする。そういう顔を見たくて持ってきた訳じゃない、もっと見せるべき顔があるだろうが。
渡した理由を答えると、不意に何がそんなに嬉しいのか、びっくりするくらいに顔を綻ばせるから驚いた。ただの花束だ、アクセサリーなんかじゃない、枯れたらそこで終わりの安価なものなのに。そんなに喜ぶことか?と思う。そう思うのに──そう、その顔が見たかったんだ。むくむくと胸の内に湧きあがる感情は一体なんだと言うのか。いや、本当は知っている。覚えのある感覚、いやもしかしたら覚えている以上に止め処ないかもしれない。
「…ありがとう、ザップ」
カチン、とどこかで合点がいった。あぁわかった、わかったっつーの。愛人でもないのに、なんでわざわざこいつの家に通ってたのか。なんでこいつの家がこんなに居心地が良いのか。なんで今日、わざわざプレゼントしようと思ったのか。考えればすぐに答えが出ることで、まぁつまり──俺はこの女に惚れちまってるってことだ。
無意識に好きになってたから、どうやって口説いたらいいのか考えあぐねていたのかもしれない。馬鹿馬鹿しい、こんなのちっともザップ・レンフロらしくない。でも気付いたからには全力で行く、切っ掛けがあの陰毛頭だと思うと中々どうして腹が立つが、あいつはなんでもお見通しのチート武器を持ってるからしょうがないのだ。
そういうことで、やっとの思いで自覚した恋を勿論しまい込むつもりはなかった。毎日押しかけて、毎日花を渡す。押して駄目ならもうひと押し、これが恋愛のセオリーだ。それなのに、渡す度にどんどん反応は薄くなっていく。お前、花好きなんじゃんねぇのかよ、だからあんなに喜んだんじゃねぇのかよ。
それでも部屋には数えきれないくらいの花が飾られているから、嬉しくない訳でもないのだろう。かと言って進展はない、いつもだったら出て来る口説き台詞を言おうと思うと電話が入ったり、鍋が鳴ったりと、まぁとにかく邪魔が入った。かといって邪魔が入らなきゃ言えてたのか、と聞かれると答えはノーで。大体女を口説く時は第一印象から本能がそう囁くから、今更他の女と同じ様に口説くのはなんだか違う気がして二の足を踏めずにいたのだ。
切っ掛け、そう切っ掛けさえあればなんとかなる。考えに考えて、頭に思い浮かんだのは酒だった。酒の力を借りるなんて童貞くさいことこの上なかったが、背に腹は代えられない。そうだ、ついでに給料日だから何かアクセサリーでも買って行こう。鈍いあいつも、流石にアクセサリーまでプレゼントされたら意識もするだろう。大体女はアクセサリーが好きだって相場が決まってんだよ、今までのデータが役に立ったぜ。
そう思って、噎せかえりそうになるくらい花の匂いで充満してるの家に向かった。酒は、あればあるだけ良いだろうと思って無駄に買い込んだ。一応礼儀として呼び鈴は押したが待ってる時間が惜しいし、そもそも荷物が重いしで、無遠慮に扉を開ける。もう、仕方ないなぁと言わんばかりに苦笑したその唇を今すぐ塞いだら、一体どんな顔をするだろう。まぁ、そんなことしたらせっかくの計画が台無しだからしねぇけどよ。
景気づけに2、3本空けたらすぐに口説こう、そう思っていた。なのに、自分でも思っていた以上にハイペースで飲んでしまっていて。緊張?まさか、この俺が?馬鹿なこと言うなよ、見てろ、今からばっちし決めてやっから。
そう思って、ガサゴソと上着のポケットを漁る。店で見た時、ピンと来たものだ。間違いなく似合うだろう、つーか似合わない訳がない。
ずい、と差し出すと、不思議そうな顔をしたが目に入る。いいからとっとと受け取れよ、なんでそういうところ控え目なんだよ、襲うぞコラ。口説くと言ったはずなのに、口をついて出そうになるのはそんな言葉ばっかりで。自然と押し黙ったままになったが、なんとか受け取ったので良しとする。
「似合う?」
その言葉に振り返ると、花束を渡した時と同じ、いやそれ以上に嬉しそうに、幸せそうに微笑んでいた。
ずどん、とまるで銃で撃たれたような衝撃。そこから先は、もう本能のまま。唇を奪って、押し倒して、ねだって甘えて。
そうしたら、困惑したままだったが、自分から口付けてきた。カチン、と合点がいく。短い付き合いだが、こいつは酒に酔ってたからと言って流されるような女ではない。つまり、少なからずこちらを思っているということで。もう待ってなんか聞きやしない、今更止められるものか──求めたのは、お前自身なんだから。
そして、冒頭に戻る。
散々愛してやったから、疲れ果てたは夢の中だった。頬を撫でると、寝ているはずなのに心地よさそうにするから堪らなくなる。いつも女を抱いた後とは違う、この穏やかな気持ちはなんだろうか。やっと手に入ったという満足感と達成感、それとは別のむず痒さは一体なんだろう。
顔を寄せて、柔らかな唇に口付ける。勿論反応はない、だけどそれだけでも十分満たされていた。
「──好きだぜ、
不意にそんな言葉が飛び出してくる。あぁそうか、これが愛って奴なのかもしれないな。そんな陳腐でありきたりなことを思いながら、明日起きたらどんな顔をしているか楽しみで仕方がなかった。


つまりは愛ってことなのさ

18/2/22