「ザップ、悪いが"お遣い"を頼む」
「…………へーい」
スティーブンの声に、点けたばかりの葉巻の火をねじ切って、かったるさを全面に立ち上がる。面倒くさいにも程があるのだが、スティーブンが"お遣い"と口にした時点で、自分以外ではこの雑務がほとんど用を為さないということは嫌というほどわかっていた。
ひらり、机上から視線を外さないままに差し出されたその手紙をひったくるようにして受け取る。しち面倒くせぇ、という本音は口にしないものの、この部屋にいる誰もが感じ取ったことだろう。
ただひとつ、例外があるとすれば、最近入った新入りくらいだった。嫌がっているにも関わらず、大した抵抗も文句も言わずにその雑務を受け入れている様が珍しいのだろう。ジロジロ見てんじゃねーぞ、この魚類。
そう、吐き捨てようとしたその瞬間に、予想外の言葉が耳を襲撃する。
「あぁ、今日は二人で行ってこい」
「…この陰毛っすか」
誰が陰毛だ、というほんの小さな苦言を聞き流していると、予想外過ぎる人物がその長い指先によって指名される。この状況をただ一人理解していない新入りだ。
「──僕、ですか?」
「はぁぁぁああ!?この魚類と!!??」
冗談じゃない。ただでさえしち面倒くさい相手にしち面倒くさい用を足しに行かなければならないというのに、よりにもよって、こいつと一緒に?馬鹿も休み休み言ってくれ、だったら既に数回面通しさせたレオナルドが連れていけばいい。
「ザップ、」
反論しようと口を開いたその瞬間、今まで書類相手に向けられていた熱い熱い鋭い視線は自分を貫く。女性を喜ばせるには最適なのであろう低音が、いつも以上に威圧感たっぷりで思わず口をつぐんだ。
「はやく行け、あの子はお前じゃなきゃ駄目なんだから」
「だったらコイツ連れていかなくたって!」
「ザーップ」
「…」
「いつもお前がいてくれたらそりゃ良いんだけどね、その軽すぎる下半身のせいでお前は一体何度長期入院した?」
最早数えきれない。
「お気に召すかはわからんが、面通しだけでも済ませとかないといけないのは、いくらお前でもわかるよな?」
「…でもよぉ」
「わ か る よ な」
確定事項のそれに、抵抗は無駄らしく。チッと舌打ちを隠すことなく響かせて、ドタドタとわざとらしく音を立てて扉へ向かう。よくよく理解していないらしいツェッドは、スティーブンと自分とを交互に見つめていた。
「とろとろしてんじゃねぇよ、さっさと来いタコ!」
一喝をすると、その態度が気に入らないのだろう、不満げなな雰囲気でのそのそ後ろをついてくる。そうしたいのはこっちの方だというのに、何も知らないというのはこれだから。
チッとまたひとつ舌打ちをして、外へと向かう。背中に投げ掛けられた声は、敢えて無視をした。
「──お気に召して貰えるといいなぁ、ザップ」



:::



イライラする。そのイライラを隠すことなく、慣れた道をスタスタ歩く。通常行動を共にすることが多いレオナルドであれば、置いてかないでくださいよぉと泣き言をいうくらいのスピードだ。腹が立つことに、後ろをついて歩く男は全く堪えていないようでまたイライラが募る。
しち面倒くさい、大体この外見からして臆病なあいつには無理だろうことがわかっているだろうに、わざわざ連れていかなければならないなんて。新入りを連れて行く度に、びくびく怯えて口数の少なくなる訪問先を宥めすかすのは誰だと思っているのか。全てをこちらに押し付けてくるのだから、あの番頭は性質が悪い。
「どこまで行くんですか?」
「どこでもいいだろボケ」
説明するのも面倒くさい。どうせ一度きりだ、もう二度と連れてこないでくれと懇願されるのはわかりきっている。やれやれ、と言わんばかりに後方から溜息が飛んできて、溜息を吐きたいのはこっちの方だと心底怒鳴り散らしてやりたかった。
歩くこと数十分、42番街の中心地である堅牢な住処に辿り着く。その扉の分厚さと数の多さと来たら。全く面倒くさい、いつか絶対ぶち抜いてやろうと思っている。大体こんなに何重にしたところで、堕落王辺りが暴れたら一溜まりもないのだから無意味に程がある。まぁ、見た目通りの守りを重視している訳ではなく、訪れる対象を疲れさせ、早々とご帰宅願うというのが目的らしいからある意味正しいのだろう。しかし、面倒くさいことこの上ない。
呼び鈴も鳴らさず、すっかり覚え切ってしまった順番とキーコードを入力して次々に扉を開放していく。全くもって面倒くさい、ちなみに後ろをついて歩くツェッドに教えるつもりなどは毛ほどもない。どうせもう二度と来ないのだから関係ないだろう。
最後の最後、馬鹿でもわかるだろう下らないクイズに大きく舌打ちを溢して答えを入力すると、ようやくすべての扉が開場した。ライブラ以上の厳重性だ。というかこんだけ扉作ったのは自分のくせに、ラストで飽きてんじゃねぇよ。
「おい引きこもり、居んだろ!」
遠慮もくそもへったくれもなく、ずかずかと部屋に侵入する。びくりと肩を震わせてゆっくりと部屋の主は振り返った。びびってんじゃねーよ、いつものことだろ。
「…なんだ、ザップさんか」
「なんだじゃねぇよ、盛大に出迎えろ」
「えぇ、なにいってんのこの人…」
扉という扉にスペースを奪われてしまったこの家は、最後の扉さえ開けてしまえばすぐ居住スペースという有り様で、金と空間の無駄遣いというのはまさにこの事かと自分でさえ思うのだから、絶対に無駄遣いだと思う。
一人用のソファに体育座りでテレビに夢中だった家主は、気だるげに立ち上がった。一応出迎えようという心意気がある辺り、頭自体はまともなのだろう。その対人恐怖症にも程近い、人見知りさえなければ。
「またザップさんがお遣いなの?暇なの?」
「てめぇがスターフェイズさんじゃ嫌だとか言うからこうなるんだろうがよぉ」
「だって、あの人よくわかんなくて怖いし」
あの色男が聞いたら、それこそ笑顔のひきつりそうな言葉だ。少しざまぁみろと思ったのはここだけのオフレコにしておくことにする。
扉の近くまで来て、ようやくもう一人の来訪者に気付いたのだろう。それまで緩みきっていた奴の表情がピシッと固まった。だから言ったんだ。
「──あの、初めまして」
「は、じめ、まして…」
「やべーその顔くそほど笑えるな」
「ザップさんうるさい」
そういう割に、人の服の裾を掴んでいるのだから死ぬほど面白い。
「あの、えっと、うぅ…ザップさん、」
「自己ショーカイくらいてめぇでやれ」
「薄情者!」
唇を噛み締める小さな頭を乱暴に撫でつけて、ぐいとツェッドの前につきだそうとすると、ぐぐぐとその場に留まり続けようとするのだから驚きだ。一体その貧相な身体のどこにそんな力があるというのだろうか。
「…ええと、なんなんですか、これ」
「黙れ魚類」
「えっと、その…です……」
「あ、はい、どうも、ツェッド・オブライエンと申します」
「宜しくしなくていいので…」
「は、はぁ」
戸惑いの色がありありと見える様は愉快だ。しかし、やはりこうなのだから連れてくる必要性はなかったのではないのだろうかと思わずにはいられない。まぁ、思っていたよりも怖がっていないというのは少し意外だった。もっとぎゃあぎゃあ騒ぐものとばかり思っていたが、案外すんなり名乗っていたし。
「あの、そろそろ説明してくれませんか?この方は一体…」
「ライブラの大事な大事なくそめんどくせぇ顧客だよ顧客。すんげぇ人見知りで、すんげぇ引きこもりで、すんげぇ貧乳…っいってぇな!」
「最後のは頂けない」
「前半は良いのかよ!」
文句も拳も飛んでこない辺り、問題がないらしい。意外に自分というものをわかっている上で、直す気はないというのだから、こいつはややこしい。
そう、という女は、ライブラにとって大事な大事な顧客である。人見知りが酷すぎるが故に、限られた相手としかまともに会話が出来ないくそVIP様なのだ。
「で、こいつは新入りの魚類」
「本当に失敬だな、君」
「魚…」
「魚じゃないです、人でもないですけど」
「おぉう…」
頭の上にクエスチョンマークをいくつも飛ばしながら、それでもあまり怯えていない様は結構意外だった。それどころか、興味深そうにじっとツェッドを見つめているのだから珍しい、勿論人様の背中に隠れたままなのだけれども。
「そういえば、渡さなくて良いんですか?手紙」
「おぉ、忘れてた。おら、スターフェイズさんからのあつーいラブレターだ、受け取れ引きこもり」
「なにそれ」
ラブレター、という言葉が気に食わなかったのだろう。思いきり顔をしかめて、差し出した手紙は無事に奴の手に収まった。お前それあの人が見たらなんて目に合わされるかわかったもんじゃねぇぞ。
封蝋をべりっと剥がして、中を確認すると、奴の眉間の皺が更に深くなった。
「どした、ブスが更にブスになってんぞ」
「ブス言うな。…今度、なんかの会合があるから参加しろってさ──やだなぁ、行きたくないなぁ、この日都合よく堕落王辺りが暴れてくれないかなぁ」
「街の安全よりてめぇの都合かよ、マジ狂ってんな」
「貴方が言えた義理ではないと思いますよ」
「うっせ!」
どうやら手紙の中身は、奴にとってくそほども有り難くない招待状だったらしい。人見知りを拗らせまくっている人間に不特定多数の人間が蔓延る会合に参加しろというスティーブンは本当に鬼のようだなと思う。というか、鬼だ。
「……ザップさん」
すがるように見上げられるのは、中々に気分が良い。言外に頼まなくとも、自分がその場にいることは既にスティーブンの中では折り込み済みだろうにそこまで頭が回らないらしい。しかし、それを教えてやるほど、自分は親切な男ではなかった。
「わぁってるよ、昼飯1ヶ月分な」
どうせならば、これくらいの旨味を味わってもいいだろう。会合ということは、それなりに窮屈な格好でそれなりに窮屈な思いを強いられることは、まず間違いない。そりゃあ美人なねーちゃんがいて上手い料理を好きなだけ食べれるなら良いが、こいつがいる時点でお守り確定だ、楽しみなんてあったもんでもない。これくらい安いもんだろう、寧ろ優しいくらいだ、と踏んでいたが、どうも本人は不満らしく、唇を尖らせていた。
「長い、一週間」
「おう、二週間な」
「…」
「俺ぁ別に行かなくてもいいんだぜー」
「………二週間ね」
交渉成立だ。悔しそうな顔を見ていると自然に口角があがってくる、いいねぇその顔、最高だ。人の、特にこいつのそういう顔を見ていると気分が良い。
「人の弱味につけこむとは…本当に下劣だな」
「聞こえてんぞ、くそ魚類」
「聞こえるように言ったんです。…さん、いいんですか?」
「え、あ、う、まぁ二週間くらいなら…ザップさん、いつもなんだかん助けてくれるし……」
「困ってる方を助けないのは、人としてどうかしてますよ」
「ギブアンドテイクだろ」
言い切ると、はぁと溜息を吐かれる。先程までのいい気分が台無しだ、思わず顔を歪めると、そんなの知ったことかとばかりにツェッドは続けた。
「貴方さえよければ、僕がお付き合いしますよ」
「へ?」
「はぁ?」
「勿論お礼はいりません。僕もそういった場には不慣れですが、そこの品性下劣な男よりはまだマシかと」
何を勝手に話を進めているのか。そもそもこいつは人見知りだ、何度か顔を合わせていてそこそこ慣れてきたレオナルドならまだしも、今日初めて会ったツェッドと二人で会合なんて行く訳がない。
「え、うん、あの、でも」
ほらみろ、どもっていやがる。
「僕が、怖いですか?」
「いや、それは、平気ですけど」
「はぁ?」
「え、なにザップさん」
平気、今はこいつは平気と言っただろうか。あの心底普通のレオナルドでさえ、初めて会った時に糸目怖いと宣ったこいつが、この明らかに普通じゃないツェッドを見て、平気だと口にした。あり得ない、天変地異の前触れか。明日辺りまた堕落王が暇潰しでも始めるのだろうか、はたまたツェッドを颯爽と置いていった師匠が何かの偶然で戻ってくるのだろうか。もしも戻ってくるのであれば、速効この魚類を持って帰って貰いたい。
信じられないような発言をした奴を見下ろすと、居心地悪そうに身を竦めている。困惑した面持ちだ、滅多に外に出ないために生っ白い顔が更に白くなっている気がする。やっぱり二週間は短いかもしれない、後で三週間に伸ばそう。無理矢理外出させなければ、日光も浴びないこいつの身体は不健康そうで見ていて苛立つ。いや、大目的は自分の昼飯がタダになることなのだが。
「えっと、あの…お魚さん」
「ツェッドです」
相変わらず人の名前を覚えない奴だった。レオナルドも5回会って、やっと糸目くんと呼ばれなくなったくらいだ。魚類魚類と連呼していた自分が悪いのかもしれないが、固有名詞で呼ばれなかったツェッドには流石に同情してしまう。
相変わらず困った顔をしている奴は、ぎゅっと人の服の裾を掴む。てめぇ皺になったらどうすんだよ、と文句を言おうとしてやめた。どうも、伝えたいことがあるらしい。
「ツェッド、さん。…ええと、今回は、ザップさんでいいんです」
「本当に良いんですか?この人のことだ、後々上乗せとかしてくる恐れだってありますよ」
その通りだった、否定はしない。
「んーと、でも…意外に優しいんです、この人。それくらいなら、慣れてるし」
だから、ザップさんがいい。そう告げた奴は、珍しく怯えた顔でなければ困った顔でもなく、はにかんでいた。
素直な言葉は慣れない、むず痒さを感じてガシガシと頭を掻くと、えへへ、と笑いながらこちらを見上げてくる奴が目に入る。あぁもう、本当にしち面倒くせぇ女だな。
「貴方が良いなら、僕は構いませんが…」
「あ、でも、あの、ツェッドさん、」
「はい」
「よかったら、またウチに来てください、ね」
「え?」
「は?」
「ザップさんも、暇じゃないらしいから」
予想外の言葉に奴を見下ろすと、ひらり、その白くて小さい手から揺れる手紙の一文が、ちらりと目に入る。そこには見慣れた番頭の字で、こんな事が書いてあった。
【ザップも中々どうして、色々と忙しいものですから、ついつい貴方への用が溜まってしまいます。つきまして、今後の用向きの半分は、僕か本日ザップがお供に連れているツェッドのどちらかでお届けに上がりたいと思います。貴方の宜しい方をお選びください】
「改めて、よろしくお願いします」
ぺこり、頭を下げる奴は本当に珍しい。滅多に宜しくなどしないのだ、それこそ自分と初めて会った時以来ではないだろうか。
思いがけず、舌打ちが漏れる。何故だかは、わからないしわかりたくもない。そう、万々歳じゃないか、お鉢が回ってくる度にくそ面倒だと思っていたものが今より半々になるというのだから。これで今までこいつに拘束されていた分、ギャンブルや女に回せるというもので。よしこのままベッドインだと思った時に、番頭からの電話で何度も邪魔されたことか。これからはそんな電話は一切合切無視したら良い、この魚類が馬鹿丁寧に届けて、この人見知りの引きこもりがなんだかんだ受け入れて──面白くねぇ。また、思いがけず舌打ちが漏れた。一体なんだと言うのか、我ながら面倒くせぇが面白くないものは面白くないのだから仕方ない。
「あ、でも、ザップさんもちゃんと来てね」
「はぁ?なんでだよ、魚類で良いんだろ」
「ゲーム、欲しい素材あるから、付き合って」
「……わぁったよ」
どんどん急降下していた機嫌は、ぐいと服を引っ張られたことでなんとか留まった。別に嬉しくなどない、寧ろ面倒だ。でも、人をからかうようにケラケラと笑っている奴の顔を見ていると、腹の下の奥の方から出てきていたどす黒いものは、どこかへ消えていく。何故消えたかなんて、わからないしわかりたくもない。
でもまぁ、敢えて理由をつけるのならば、やっぱりこうやって懐かれるというのは、悪くない気分だということだろう。小さな頭をわしゃわしゃと撫でると、奴はへらりと笑った──これを独占したいなんて、そんなのそれこそ天変地異の前触れだ。



:::



「さて、お気に召したかな」
「どうですかね、僕は無理だと思いますよ。さん、ほんとにすんげー人見知りですからね。僕、10回会ってやっと顔見れましたもん」
「俺は最近声も聞けてないよ」
「…」
「黙るな少年。でもまぁ、俺は案外平気だと思うよ」
「なんでっすか?」
「あの子、動物系は好きらしいんだよ。特に犬とか、海の生き物とか。異界側の取引先も、動物系の見た目のやつらがほとんどって噂だ」
「…あぁ、そういえばソニックに対する懐き様はすごかったっすね、一発K.O.」
「もしかしたらザップより気に入るかもなぁ。…賭けるか?」
「……その賭け、成立します?」
「それは──あいつら次第だろ」

君のお気に入りを教えて

15/06/18