さらさらと髪を撫でられている。誰に、なんて野暮なことは聞かないで欲しい。体温が高いせいか、熱い掌は時折、頬を撫でてくるから、あんまりの心地よさにふと笑みが零れてしまう。
あれ、そういえば、なんで撫でられているんだろう。そう考えて、でもあんまり心地いいから何もかもがどうでも良くなって、そのまま深い眠りに落ちようとした、次の瞬間──不意に目が覚めた。
せっかくいい夢を見ていたのに。そう思いながらぱちぱちと何度かまばたきを繰り返して、見慣れない天井を見つめていた。見慣れないからと言って、知らない場所でもないここは恋人の部屋で、昨日は泊まりに来ていたことを思い出す。それと同時に先程までの感覚を思い出して、やけにリアルな夢だったなぁ、なんてぼんやり思いながら寝返りを打った。
隣にエースの姿がない、と一瞬思ったが、視線を彷徨わせると足元の方でベッドに腰掛けていた。彼も寝起きなのか、上半身は何もまとっていない。身体を重ねようが重ねまいが、彼は上半身裸のまま眠りにつく。真冬だろうが、真夏だろうが関係ない。寒かったりしないのだろうか、と一度心配したこともあるが、いつだって彼の身体は熱いから心配は無用だった。その熱さが、心地よくて既に癖になっているというのは、まだ彼に伝えていない。
どうやら彼は、こちらが起きていることに気付いていないらしい。引き締まった背中を丸めて、何かを見ているようだった。
珍しい、と思ったのが正直な感想で。弟のルフィもそうだが、エースは動物的感覚に優れているらしく、気配に敏感なのだ。寝ている時ならいざ知らず、すっかり目覚めている今ならば、こちらに気付いたっておかしくはない。それなのに、今は何かに夢中になっている。
何をそんなに見ているのだろうか。そう思うのと同時に、むくむくと悪戯心が芽生えて来る。今ならば、彼の後ろを取って驚かせることが出来るのではないか。いつだって驚かされるのはこちらばっかりだから、たまにはこういうのも悪くないだろう。そう思って、そろりそろりと音を立てないように起き上がり、剥き出しの背中に飛びついた。
「わっ」
「うォ!?」
予想外に驚いたらしい彼の間の抜けた声にくすくす笑っていると、仕返しとばかりにわしゃわしゃと頭を撫でられた。髪がぐしゃぐしゃになる、と抵抗しようとも思ったが、どうせ寝起きだし、何より撫でられて嬉しい気持ちの方が大きいから、大人しくされるがままになっておく。
「おはよう、エース」
「おう、おはよう」
肩越しに振り向いたエースに口付けをひとつして、挨拶をする。唇を離すと、満足そうに彼が微笑むから、なんだか照れくさくなってしまう。腕の中の体温は、相変わらず熱いくらいで。じんわりと服越しに伝わってくるそのぬくもりが、何よりも好きなことは秘密にしておこう。
「何見てたの?」
照れくささを誤魔化すように問い掛ける。視線を落とすと、彼の手中には携帯電話があったが、既に画面は暗くなってしまっているから何を見ていたかはわからない。
「見るか?」
後ろめたいことなど何もないと言わんばかりの輝かしい笑顔と共に、そんなお誘いの言葉が返ってくる。どうやら見られて困るものではないらしい、まぁ元々明け透けな性格だから何かを隠しているということはないだろうけど。
問い掛けに頷くと、よし来たと言わんばかりに携帯電話のロックを解除した。彼の肩に顎を乗っけながら、なんだろうと少しワクワクしながら画面を見て──愕然とした。
「よく撮れてるだろ?」
ニッと眩しいばかりの笑顔を浮かべたまま、誇らしげに見せられた画面の中に写っているのは、──つまり自分だった。それもただの写真ではない、シーツに包まってそれはそれは幸せそうに眠っている写真、要するに寝顔だった。
「いつの間に撮ったの!?」
「さっき」
悪びれもせず、寧ろ自慢したいようなそんな面持ちでさらっと答える姿に、もう言葉もない。
なんでよりにもよって寝顔なのか。いや、ただの写真だから良いという訳ではないのだけれど。
どうして許可もなく撮ったのか。いや、許可を求められたところで断固として断っていたけど。
言いたいことは山ほどあるのに何故か言葉はちっとも出てこなくて、わなわなと震える他に為す術がない。そんなこちらを知ってか知らずか、画面をスライドさせて何パターンか撮ったものを見せてくれた。その横顔はまるで大事な宝物を紹介してくれているようでいて、なんだか言い出しにくいのだけれど背に腹は変えられない。
「エース」
「うん?」
「消して」
先程の躊躇いはどこへやら、自分でも驚くくらい低い声が出た。これは寝起きだからではない、だからと言って怒っている訳でもない──恥ずかしいのだ。
だってそうだろう、あんな口を開けた間抜けな顔を写真に撮られている上に、恋人が満足そうに楽しそうに誇らしそうに自慢してくるというのは、結構胸に来るものだ。写真に撮られることにそこまでの抵抗はないが、恋人に撮られるっていうのは、なんというか、面映ゆいものがある。
だから、とにかく消して欲しかったのだが、そんな願いはあっさりと、本当にあっさりと却下される。
「嫌だけど」
交渉は決裂した、もう強制的に削除するしかない。腕を伸ばして携帯電話を奪おうとしたが、するりと手の届かないところに移動させられてしまう。懸命に腕を伸ばすけれども、悲しいかな、身長の差は腕の長さにも比例する。それでも諦めきれずに何とか奪い取ろうとしたけれど、呆気なく画面をロックされてしまったのでもうどうしようもなかった。
「ひどい…」
あんまりだ。
抗議のつもりで呟くと、彼の眉間に皺が寄る。
「おれの宝物を消そうとするが悪い」
わぁ。なんて恥ずかしいことを言うんだろう、この人は。
人の寝顔を無断で撮っておいて、その上消さないなんてそこそこ傲慢なことをしてるくせに、時折びっくりするくらい甘いことを言うから困ってしまう。
宝物、今、宝物と言ったか。あんな間抜けで、油断しきった顔で寝ている顔の写真を、宝物だなんて。とち狂っているとしか思えない、べた惚れにも程がある。薄々感づいてはいたけれど、そんなに好きなのか、と時折聞きたくなるくらい甘やかされているし、愛されていると思う。
写真を残されるよりよっぽど恥ずかしいことを言われてしまい、すっかり狼狽してしまった。もしやこれが狙いなのか、と一瞬思ったが、真っ直ぐ過ぎる彼に駆け引きは似合わないからすぐにその可能性を捨てる。それでもなんとなく、そのまま引き下がるのだけはプライドが許さなくて、最後の悪あがきと言わんばかりに唇を開いた。
「…そんなののどこが宝物なの」
「決まってんだろ」
自信満々な彼が、身体ごと振り返ったかと思ったらひどく真剣な顔をしていたから反射的に、あ、これはまずいと感づいたのに、時は既に遅し。
「──惚れた女が隣でこんな幸せそうに寝てんだ、宝以外の何物でもないだろ」
ぐうの音も出ない。真顔で、こんな恥ずかしいことを言う人がいたなんて、人生の中で初めて知ったかもしれない。
なんて恥ずかしい──でも、どうしようもなく、嬉しい。
どんなに言葉を並べたところで、内心では喜んでいるからもうどうしようもなくて。結局のところ、べた惚れなのはこちらも同じなのだ。
すぅと指先が伸びて来て、熱い掌がすっかり熱を持った頬を撫でる。まだ素直にそれを受け入れることが出来なくて、じっと睨むように見つめるとふっと笑った彼が目に入った。まるで当たり前のように顔が近付いて来て、ちゅっと額に口付けられる。あやすような、宥めるようなそれに、あぁ、きっとあの写真は消されることはないんだろうなぁと思い知る。
全く、仕方ない人だ。笑顔で人懐っこいから忘れがちだが、ポートガス・D・エースという男は案外傲慢で頑固者なのだ。まぁ、でも。そういうところも好きなのだから、もうどうしようもないのだろう。
何も言わないこちらを見て、満足そうに微笑んだ彼の唇が今度は額ではなく唇に触れようとした瞬間──ガチャっと扉が開く。
「エース、。飯出来てるけど、起き──あ」
あ、じゃない。
前々から思っていたけど、なんでここの家の人はノックのひとつもしないのだろう。男所帯だし、良い意味で隠し事がないということなのかもしれないけれど。せめて恋人が来てる時くらいは、なんていうか、気を遣ってくれてもいいんじゃないだろうか。
頭の中は妙に冷静で、これまでの色々を反芻しては問題点を並べたりなんか出来るけど、勿論それを伝えることなんて叶うはずもなく。わなわなと震えるエースが目に入る。瞼を下しているのに眉間の皺は深く刻まれていて、怒っているなということがありありとわかる。対するこちらはいうと、さっきまでの赤面は嘘だったの?というくらい真っ赤になっているだろうし、扉にいるサボの顔を見れるはずもなく、俯いていた。
「…お邪魔しました」
バタン、と扉が閉まる。いやもう遅いからね?と心の底から言いたかったが、流石逃げ足が速い。エースの怒りが爆発する前に去るその機転の早さは、やっぱり付き合いの長さが比例しているのだろう。
取り残された我々はというと、当たり前だが先程の続きをするような気分には到底なれず、深々と溜息を吐く。熱い頬を誤魔化すように掌で仰いでいると、不意にエースがこんなことを言った。
「…今度は、起きてるとこ、撮らせてくれよな」
ノーだと言うのは簡単だったけれど、寝顔の件で少しは申し訳ないという気持ちがあるのか、罰が悪そうにいう姿に胸がきゅんと高鳴ってしまって。あぁ、もう。私も大概、エースに弱いなぁ、なんて思いながら、タダで撮らせるのは癪に触るので、
「……エースの写真も、撮らせてくれるなら」
そんな素直じゃないイエスを口にした。
それなのに、ぱぁっと顔を輝かせてニッと一番好きな笑顔を向けて来るから、やっぱりべた惚れなのはこちらのほうかもしれない。
眠り姫の憂鬱
17/12/13