しゅるり。
ぎゅっ。
しゅるり。
ぎゅっぎゅっ。
二人きりの部屋、ソファーに腰掛け向かい合う男女。色っぽい事がいくらでも想像出来るシチュエーションだ。しかし、その表情に色っぽさなど微塵も感じない。感じてたまるか、とさえ思う。
「スティーブンさんって、案外子供っぽいですよね…」
「そうかな、年相応だと思うけど」
「どの口がそれをいうか…!」
怒りをそのままぶつけると、彼はケラケラと笑った。色男が無邪気に笑うと可愛いというか、なんかこうぐっと来る。うっかり怒りを沈めそうになるも、ニヤニヤとした顔を見ていると沸々と沸き上がってくる。この人絶対わかっててやっていると思う、本当にずるい人だ。
「大体、なんの目的があってこういうことするんですかね!」
「いや、目的も何もないけど?」
「はったおすぞ」
「怖い怖い、女の子がそういうこと言うもんじゃないぜ?」
誰のせいだと!出かかった言葉を飲み込んで睨み付ける。相変わらず楽しそうにニヤニヤとした笑みを浮かべる彼は、その手の中でリボンを弄んでいた。そのリボンが、スティーブン個人のものであればこちらとしても怒る事はないが、リボンの先に繋がるのは自分の襟元なのだ。つまり、先程から人がリボンを結ぶ度に、彼は意気揚々とほどいてくるのだ。これは腹をたてても仕方ないだろう、むしろ正当な怒りであると声を大に主張したい。
「スティーブンさん、これセクハラですよ、セクハラ」
「恋人同士の可愛い戯れだ、セクハラには値しないと思うなぁ」
ああ言えばこう言う!その上、屁理屈が上手いからたちが悪い。舌打ちを隠さずに、彼の手からリボンを奪う。全く、こんな服を着てくるんじゃなかったと後悔をしつつ、リボンを結び直す。今日何度こうしたことか、最早数えることが馬鹿馬鹿しくなるくらいである。
ぎゅっと結び直した出来栄えは、我ながら完璧だ。こう何度も何度もやっていたら当たり前か、と思いつつも満足げに頷いていると、横から手が伸びて来た。その体躯に見合った指は、長い。こういう時でもなければ手を取ってもいいのだが、今はそうもいかない。ぺちん、とその手を叩くと大袈裟な声が聞こえてきた。
「いてて、ひどいなぁ」
「何がいてて、ですか!大して痛くもないくせに」
「まぁね」
人を苛つかせる天才か、そりゃあK・Kが毛嫌いする訳である。腹の立つことにこの男、先程からずっと満面の笑みを浮かべているのだ。こちらが怒っているのに毛ほども感じていない。それどころか楽しそうにウキウキしてる素振りすら見える。腹正しいことこの上ない。
「スティーブンさん、そんなに気に入らないんですか?これ」
彼にとって、この服、というかリボンは駄目なんだろうか。もしもそうであれば、お気に入りのこの服を封印しなければならないかもしれない。リボンの端をひらひらと持ち上げつつ尋ねてみると、えぇ?とわざとらしいくらい楽しげな声が返ってくる。
「気に入らないなんて、とんでもない。寧ろ大いに気に入ってるよ」
「はぁ?」
「女の子がそういう顔するなよ、可愛い顔が台無しだ」
くしゃり、と髪を撫でられたと思ったら、指先に絡めて遊んでいるようで彼のぬくもりは消えなかった。時折この人はどうしようもなく自分を甘やかしたくなるらしく、そういう時は決まって髪を撫で付けてくるのだ。最早合図と認識してもよいそれに、普段であれば素直に受け入れて身を委ねるのだが。
「そういう事しても、誤魔化されませんよ」
「おや、まいったな」
そうやって、なし崩しに誤魔化そうとしていた事くらい、洞察力が足りていなくともわかるのだ。ふふん、と鼻を鳴らすと、君、賢くなったなぁなんていうからかいの言葉も飛んでくるが今は無視だ。後から噛みつけばいい。
「で、気に入ってるってなんですか、このリボンが、この洋服が気に入らないんじゃなかったんですか?」
そうでなければここまで子供じみた時間の無駄ともいえる行動を彼がする訳ない。もしや私をからかって遊びたかっただけなのだろうか、なんてひどい。ぎろりと睨み付けると、眉をハの時に下げつつ苦笑を滲ませるのだ。その顔が可愛いと思ってうっかりほだされかけたのは内緒である。
「言わなきゃ駄目かい?」
「駄目ですね」
「じゃあ怒らないで聞いてくれ。何、話は簡単だよ。単純に、完璧なものは崩したくなる、強固であればあるほど隙をつきたくなる。そういう話さ」
「……スティーブンさん、煙に巻こうとしてますよね」
全くどうしてこの人はこうややこしい言い方しか出来ないのだろう、思わずふくれてしまうのも仕方がない。頭の出来は悪くないと自負しているものの、回転は早くないのだ、単純明快に教えて欲しい。そういう意味を込めて刺のある言葉を返す。
スティーブンは困ったように笑って、髪の感触を楽しんでいた指を、また首もとへと向けた。
あ、と思った時にはもう遅い。端を持って、しゅるり。
手慣れたものだ。時間が時間なら、それこそもっと色っぽい雰囲気になっていてもおかしくはない。それくらい無駄がない動きだった、一体何人の襟元をこうして緩めて来たのだろうか。勝手な想像から腹の奥がむかむかしたが、今はそれについて触れない事とする。そんな下らない過去への嫉妬より、今はこの人の真意が知りたいのだ。
「君があんまり綺麗に結んでくるから、ついうっかり脱がせたくなるって話だよ」
「ばっ」
なんてことをいうんだこのひとは。耳に届いた言葉はあまりに予想外で、頬が熱くなったのが自分でもわかる。この男はそうなるであろう事がわかっていて、わざわざその端正な顔を近付けて、そういう事をのたまってくるのだ。ずるい、ずるいにも程がある。こちらの反応を楽しんでいる節がある、というか実際楽しんでいるに違いない。腹正しい。
この反応は、やはり彼にとって予想通りなのであろう、リボンから赤面した頬へとその指先を移動させてするりと撫で付けてくる。甘やかすような動作ではない、それこそ色っぽい動作だった。ドキリ、と鼓動がはやくなったことが気付かれていないといい。
「どうかした?真っ赤だけど」
わかってるくせに、わざわざこういう指摘をしてくるからこの男は本当にずるい。何も言えなくなった私はただ睨み付けるだけだ。そんな鋭い眼差しも、彼の前では何処吹く風と言わんばかりに、実に楽しそうな笑顔を浮かべている。腹正しい。先程とはまた違った意味で腹正しい。
「あぁそうか、君にも体験させたらわかって貰えるかな、俺のこの気持ち」
なんと白々しい声音だ。人の神経を逆撫でするような白々しさだ。それでも腹芸男か。
「ほら、」
そういわれて、気付くといつの間にやら手を取られていたことに気づく。長い指先が、優しく誘導する。行き着いた先は、楽しげな彼の首もと。ネクタイの結び目だ。
「緩めていいよ?」
いやいやいやいやいやいや。心のなかでは大分うるさいが、言葉にはまるでならないから不思議だ。いや、原因は彼の行動に他ならないのだが。ぶんぶん首を振る事しか出来ない自分に対し、彼の笑みは深くなる一方だ。楽しそうだなちくしょうめ。
ぐっと、取られている手に力が籠る。半ば強引に自らの手によって、スティーブンの襟元はほんの少しだけ緩められた。
「あー駄目だよ、ちゃんと引っ張らないと、ほら、両手使って?君のリボンと違って僕のネクタイはしっかり締まってるんだから」
なんだそのまるで私の結び方が緩いみたいな言い方は。確かにネクタイと違ってそこまで強固には出来てないが、そもそも結び方の違いとかあるじゃないか等と言う不満は全て、声にならない。少しだけ待って欲しい旨を伝えたくて、ぐっと操られている両手をなんとか留める。そんなささやか過ぎる抵抗にスティーブンの笑みは益々深くなるばかりで。
端正な顔が近付いてくる。耳元にそっと寄せられる唇にもう陥落するしかないかもしれない。
「──、」
熱い息と共に、名を呼ばれて身悶えしてしまう。ずるい、とにかくずるいのだこの人は。己の魅力をわかっていて、そしてその使いどころを必ず間違えない。
そろりと視線を向けると、先程まで人の行動を楽しんでいた底意地の悪い笑みではなく、優しい笑みを浮かべていた。本当にずるい。そんな顔をされてしまったら、こちらとしては、もう意地なんか張れない。
無理矢理留めていた手の力を弛める。優しい笑みは、更に深くなる。もう駄目だ、完敗だ。ぐいと引き寄せられて、少し乗り上げる形で彼に密着してしまう。膝が、彼の足の間に入ってしまって、少し恥ずかしいが今更か。こつん、と額を合わせられて思わず目を伏せると、取られたままの手をぎゅっと握られる。視線を逸らすのは許さないということらしい。我儘め。
「どう?気持ちわかった?」
「スティーブンさんがやらしいってことなら」
「減らず口だね」
負けっぱなしのままはあんまりにも悔しいので、最後の最後に悪あがき。しかしそんな可愛くない意地も、彼はさらりと流してしまうのだ。もう良い、このままなだれ込むのも悪くない、というかもう後はなし崩しだ。諦めて瞼を下ろすと、くすりと笑い声が聞こえてくる。ハイハイ、今日も貴方の完全勝利ですよ。
唇がだんだんと近付いてくるのを感じる。もう何も考えない。彼のお気に召すままだ。
「スカーフェイスさんすんませーん!この陰毛頭が忘れ物しやがってぇ…」
「誰が陰毛頭だ!いやーついうっかりカメラ忘れちゃって…」
少しお互いに夢中になり過ぎていたのかもしれない。そうでなければ、この二人の騒がしさに気付かない訳がない。そもそも、いくら夜が更けて、皆が帰路へ着いたとはいえ、気を弛めたのが問題だったのだろう。流石に最後までする気はなかった、というのは言い訳にもならないだろう。
頭の中はこんなに冷静に考えられるのに、言葉は全然出て来ない。それどころか動くことすら出来やしない。どうしよう、いやどうしようもない。不用意に入室してしまったザップとレオナルドも流石に硬直している。普段の軽快さはどこに行ったのか。
永遠に続くかもと思わせた沈黙を破ったのは、やはり彼だった。
「──ザップ、レオナルド」
名を呼ばれた二人はびくっと身体を震わせ、まるで軍人かのように整列した。そうなる気持ちもわかる気がする。それくらい低く、刺すような声だった。
「今お前らは何も見なかった、忘れ物にも気付かなかった、此処に来なかった──いいな?」
それは問いかけと言う名の断定だ。二人はコクコクと人形のように頷いてから、脱兎のごとく走り抜ける。この後、不機嫌マックスな彼の相手をするのは誰だと思っているんだろう、明日覚えてろよとその背中に八つ当たりを投げつける。
「…」
「…」
二人が去ったからと言ってそれまでの雰囲気に戻る訳もなく、そっと寄せた身をお互いに離す。気恥ずかしさと、居たたまれなさに包まれて、この後どうしたらいいのか全く見当もつかない。
「……悪かった、飯でも食いに行こうか」
こういう時、仕切り直してくれるのはやっぱり彼で。スマートに事が進まなかった現状に大して後悔とか恥ずかしさで一杯なのは同じだろうに。
こくりと頷いて、ぎゅっと、リボンを結び直す。ちらりと視線を向けると、彼もネクタイを締め直していた。折角完敗を認めたのになんて結末だ、このままで終わるのは何となく不服である。だってこっちは完敗を認めたのだ。
立ち上がった彼の、上着の裾を掴む。どうした?と少しかがんでくれる彼の優しさに背中を押されるようにして立ち上がる。
結び目に手をかけて、ぐいと引っ張る。
「…ご飯食べたら、これ外させてくれます、か?」
珍しく目を丸くした表情に、勇気を振り絞った甲斐があったというものだ。
恥ずかしさで一杯になりながら、出した手の引っ込めどころがわからなくて、どうしようと思っていると手を取られてしまう。
「──じゃあ、俺も君のリボンを解くけど良いよね?」
答えなんてわかってるくせに。そんな可愛くない言葉が出せる程の余裕もなく、小さな頷きを持ってして、今夜の完全敗北は今度こそ確定したのであった。
解けた敗北
ザップとレオナルドの完全敗北は決定事項である。
15/05/25