「今度夜会をするから君も来てくれたまえ!」
そんな大口のスポンサーの言葉を、拒絶出来るものならしたかった。
残念ながら我がライブラには活動資金が湯水のようにある訳ではない。破壊行動も多く、そもそも怪我人が山のように出るのだから、治療費だけでも経費が膨大だ。それ以外に諸々、色々と資金繰りが大変なのは火を見るより明らかで。
ここでもし断って、この大口スポンサーの機嫌を損ねて金額が1ドルでも減ったとしたら──執務室で待っている我がライブラの優秀な副官殿は一体どんな顔をするだろうか。少し見てみたい気持ちと、そんな恐ろしい真似はできないという気持ち。二つの気持ちの天秤は、呆気なく傾く。
いや、でも、夜会は少しハードルが高すぎる。上流階級の生まれでもなんでもない自分は、ある程度のマナーくらいしか知らないのだ。
「光栄ですけれど、私なんかが大丈夫でしょうか…」
「勿論さ!ドレスを着た君を見るのが楽しみだなぁハッハッハ!」
ドレスコードまであるらしい。
最悪だ、今すぐ断りたい。しかしながら、執務室で自分の帰りを待っている副官殿が恐ろしい、そして好き嫌いで仕事上の付き合いを断るのは憚れる、
諦める他、ないのだろう。やけくそとばかりににっこり笑ってやった。
「目一杯お洒落しますね!」
冗談じゃない、本当に冗談じゃない。



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夜会というのは、とどのつまりダンスパーティーのことらしい。
単なるパーティーだと思っていて安請け合いしてしまったが、よくよく招待状を見るとパートナー必須の文字があった。加えてダンスタイムなんて文字が踊るプログラムがついている辺り、今更踊れないなんて言えないだろう。
調べによると、どうやら招待客の大半は各国の重役に企業の重鎮、はたまたハリウッド映画に常連の俳優女優となり、まさに絢爛豪華なパーティーになりそうだと専らの噂だった。そんな著名人がこのヘルサレムズ・ロットに本当に集まるのか、と思わなくもないのだが、何せ主催は各界に影響力の大きいあのスポンサーだ。生半可な気持ちで行ったら、間違いなく大火傷するだろう。
さて、ここで一つ、大問題がある。
「君、ダンスなんて踊れたっけ?」
「踊れる訳ないじゃないですかぁ…」
「だよなぁ」
聞いたことないもんなぁ、なんて言いながら招待状を繁々と見つめている副官殿が憎らしい──そう、社交ダンスなんてものに、人生で一度たりとも触れて来なかったのだ。
そりゃあ大分昔、プロムに参加したことはある、でも実際踊ったか?と言えば大して踊ってないし、そもそも学生同士の気楽なダンスパーティーだ、気負う必要もなければ、ダンスがめちゃくちゃでも平気だった。楽しければ、それでよかったのだ。だが、今回に限ってはそうもいかない。何せ、こちらは正真正銘の社交界だ。指先ひとつ動かすことすら、無数の目で見られるのだろう。しかもそれを、ライブラの看板を背負ってだなんて──絶望的だ。
「よくよく人の話は、最後まで、きちんと、聞くものだな。良い勉強になったじゃないか、おめでとう」
今日の皮肉も絶好調だ。ええそうですね、良い勉強になりましたね、随分高くつきそうですけど!
じろり、睨み付けると肩を竦める辺り、全く堪えていないようで腹が立つ。この男は時折人をからかうことを楽しんでいる節があるが、今まさにそうだ。しれっとしている横顔が憎らしい、その端正な顔をどう歪めたら一番ショックがでかいだろうか、なんて何度考えたことだろう。
しかし、怒っていても仕方ない。何せもう引き受けてしまったのだから、こんなことに構っているより、現状の打開策を見つけるべきだ。
「どうしよう…」
「どうしようもなにも、やるしかないだろ」
「わかってますけどぉ」
こういう時、仕事人間な彼はとても厳しい。いや、外交の分野を、一端とはいえ任されているのだから、仕方ないといえば仕方ないのだろう。しかし、夜会までもうあまり日がない。何せこちらは、このナンバーに相応しいダンスを、一から身体に叩き込まなければならないのだ。それに、イブニングドレスなんて洒落たものは持っていない、手元にあるのは精々アフタヌーンドレスくらいで。その他一式諸々も揃えなくてはならないだろう、普段のパーティーと同じもので、なんてそうはいかない。
「間に合うかなぁ…」
ぽつりと呟いた弱音を、彼はしれっと蹴飛ばした。
「間に合うよ」
どっから来るんですかその自信。と、言いたいのを目一杯堪える。実際やるのはこちらだというのに、どうして彼がそんな自信満々に言い切れるのだろう。ひいひい言いながら頑張るのはこちらなのだ。いつだって彼は、そんな自分を見てけらけらと笑っているのだから性質が悪い。
そんな考えを知ってか知らずか、彼は招待状を机に置くとその端正な唇で綺麗な弧を描く。自信満々だ、負ける気がしないと言わんばかりの笑みだった。いや、頑張るのはこっちなんですよ、と言おうとしたその時。
「──俺が教えるんだから、間違いないさ。完璧な社交界デビューをさせてあげるよ、
馬鹿も休み休み言ってくれと、口に出来たらどんなに楽だったろうか。どうしようもなく馬鹿な自分は、この人が言うんだからそうなんだろうなぁ、なんて雰囲気に気圧されて、小さく返事を返してしまったのだから、もうどうしようもない。満足げな彼の笑顔は可愛かったけれど、今思うとここでもう少し駄々を捏ねていたら違った結果になったのではないだろうか。今言ったところで、栓なき話なのだけれども。
──斯くして、この日から地獄のような日々が始まったのであった。



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「すてぃーぶん、さっ」
「ん?どうかした…?」
「ちょっ、待っ、て…っ」
「うーん、それは聞けないなぁ」
「も、だめっ」
「大丈夫、まだまだいけるって」
「やっ、だめ、っだから、無理ですってばぁ!!」
ぜえ、ぜえ。息も絶え絶えに、回されていた腕を無理矢理引き剥がす。汗で髪が張り付いて、気持ち悪い。じろりと睨み付けると、ふぅ、なんて溜息を吐くスティーブンの涼しさときたら腹が立つ。先程から、息一つ乱れていないのだ。
「五分、五分でいいんで、休憩させてください…」
「情けないなぁ、君、俺より若いだろ?」
「戦闘員の体力と同じにしないでもらえませんかねぇ!?」
「仕方ないなぁ、じゃあ五分休憩」
やれやれ、と肩を竦める姿が憎らしいことこの上ないのだが、文句を言ってせっかくもぎ取った休憩を減らされたりしたら堪ったもんじゃない。慌てて椅子に腰掛けて、先程から休みなしで動き続けた足を休ませることに専念する。次いでペットボトルの水を口に含んで、ようやく息が整い始めるのだから、つくづく自分は体力がない。
「君、本当に体力ないよなぁ」
「うるさいですよ、仕方ないじゃないですか」
「ベッドの上でも、すぐくたくたになるもんなぁ」
「せくはら!」
「たまには俺が満足するまで付き合えない?」
「スティーブンさん!!」
けらけら、と笑う彼は自分をからかいたいだけのようだった。いくら他に人がいないとは言え、あんまりな発言ではないだろうか。確かにベッドの上でも今のようにすぐ弱音を吐いてしまうが、それとこれとは話が別ではないのだろうか。というか、今言うことではないと心の底から思う。
「しかし、社交ダンスがこんなに体力勝負とは…」
そう、社交ダンスというのは、意外に疲れる。ラフなヒップホップやジャズダンスとはまた違った疲れがある。背筋は伸ばさなければいけないし、足の動きの量は半端ない。 そもそも、この高いヒールでこの運動量というのは割に合わないに程がある。
それでも、初心者に程等しい自分がここまで踊れるようになったのは、ひとえに彼のお陰だ。とにかくエスコートが上手い彼にリードされると、ステップでいっぱいいっぱいな自分も"それなり"に見えるように感じた。他の男性にも練習相手になってもらったが、彼ほど踊りやすくリードしてはくれなかった。全く、何においても完璧なのだから腹が立つ。
「でも、中々踊れるようになったじゃないか。夜会の日が楽しみだな」
「ほんとですか?」
「あぁ、たまに足を踏むのは勘弁してほしいけどね」
ぐう。それを言われてしまうと、謝る他ない。いくらリードが上手い彼相手とは言え、時折ステップを間違えて足を踏んでしまうことがなくなる訳ではない。駄目な生徒で申し訳ない、と反省していると、くつくつと喉を震わせて笑われるから、素直な心は何処かへ飛んでいってしまう。この人は、本当に意地悪なのだ。あげておいて落とした挙げ句、それを笑うとは何事なのだろうか。
反論するのも馬鹿馬鹿しくなって、また一口水を飲む。暑い、圧倒的に水分が足りていない。運動量や練習量もさることながら、イブニングドレスと同じくらいの長さの練習着はひどく蒸れる。ふくらはぎを覆い隠すスカートは、ひらひら揺れてはいるもののやはり熱が籠るからじわじわ汗が垂れてくる。それまた気持ち悪くて仕方ない。
恥も外聞もなくスカートをたくしあげると、外気がむき出しの足をほんの少し冷やしてくれるようで気持ちが良い。はぁ、と溜息を漏らすと、呆れ果てたような顔をした彼が目に入った。
「…なんです、その顔」
「いや、君、もう少し恥じらったりとかしないのか?」
「今更でしょ」
「だからって、君、いくらなんでもそれはないだろう」
言いたいことはわかる、はしたないと自分でも思う。しかしながら、暑いものは暑いのだ。先程から垂れてくる汗は留まることを知らないし、そもそも汗だくな女なんて嫌だろう。それを少しでも軽減しようと試みているのだから、これくらい見逃してくれたって罰は当たらない。
しかし、彼はそう思ってくれないようで。先程まで楽しげだった顔は、思いきり歪められていた。えぇ、そんな顔しなくても良いじゃないですか。唇を尖らせると、また盛大な溜息が落ちてくるからやはり気に入らないようだった。
「…そんなに駄目ですか」
「あぁ駄目だね、気に入らない」
そんなはっきり言わなくとも。自分でもみっともない行為だとわかっている分、落ち込みそうになる。ちぇ、とぼやきながらたくしあげた裾を弄っていると、憮然とした表情のままそっと耳元に唇を寄せられる。汗臭いのは重々承知しているので、あんまり近付かないで欲しいのだが、彼はそんなの知ったことではないそうだ。
「──誘われてるのかって、思うじゃないか」
低くて甘い声に加えて、首元からほんのり香る汗の匂いに胸が高鳴らない人がいるなら会ってみたい。ぼっと赤くなると、彼の方は少し不貞腐れたような顔をしていた。
「男は、いつだってこういう事考えてるんだよ。少しは気を遣ってくれ」
「それは、あの、なんというか…すみま、せん」
ふん、と鼻を鳴らされてしまうと、それこそ謝る他にない。慌てて裾を下ろすと、ようやく彼は身体を引いた。そのせいか、首筋につぅ、と汗が流れる。その色気と来たら、自分なんかでは到底敵わない。気まずい沈黙が部屋を支配する。考えていることは、多分二人とも同じだ。
「…練習、しようか」
「……ハイ」
立ち上がったものの、中々ホールドは組めなかった。ドキドキと、彼の発言からずっと鼓動がうるさいからだ。
あぁもう、集中出来ない。自分が原因の一端を担っているので文句は言えないのだけれども、それでもやっぱり彼の言葉と、流れる汗の匂いにどうしようもなく"そういう気分"になってしまって。チラリ、彼に視線を送ると、なんとも言えない表情をしていた。どうやら彼も、同じ気持ちのようだ。
不意に腰を抱かれ、すぅ、と吸い寄せられるように首の裏に腕を回した。近い距離、汗の匂いにうるさい鼓動。今日はもう、3時間も練習した。お陰で上達は著しい、らしい。だから、少しくらいこの後の予定を変えても良いのではないのだろうか。そんな言い訳染みたことを考えていたら、すうと影が落ちてきて。情欲にまみれた瞳とかち合ってしまったら、あとはもう全部がどうでもよくなってしまう。
唇を重ねて、ぐっとホールドのそれより身を寄せあって、お互いに舌を絡めると濡れた音が部屋に響く。
パーティーまで、まだ少し日はあるから、今日くらい練習が短くても構わないだろう。というか、どうにかしてみせるから、取り敢えず今は欲望のままに貪りあっていても良いだろうか。駄目、なんて言われても、今更もう我慢なんて出来ないのだけれども。

欲望とワルツと

15/06/24