それは、特別意味もない、好奇心に近いものだった。
ベッドの上で、珍しくスティーブンが新聞を読んでいる。普段であれば寝室にまで持ち込まないのだが、読む暇がなかったのだろう。寝間着のゆるっとした姿のまま、背中を枕に預けて腰掛けて、文字列を追っていた。
構って貰いたかった、といえばそうだ。せっかく二人でゆっくりと過ごせるというのに、新聞なんかに負けたのかと思うと悔しさが募るのは仕方ないだろう。しかし集中している彼に、真正面から甘えられるほど自分は幼くない。疲れているから、などという言い訳が出来るほど今週は忙しくなかったし、何より毎日こうして朝と夜を共に出来ているのだから少しは我慢するべきだろう。
だが、以前からずっと気になっていたものは気になっていて。ちらりと顔を出した好奇心はいつになく落ち着きがなく、とうとう手を伸ばしてしまうことになる。つぅ、と指先で頬の古傷なぞると、それまで新聞に夢中だった目が細まる。それからすぐに、不思議そうに丸くした瞳がこちらに向いてきて、その愛くるしさとようやく自分が視界に入ったことに満足して口許が弛むのがわかる。我ながら子供だ、邪魔したくないと思っていた大人な自分はどこへ隠れてしまったのだろう。
「…なに、どうかした?」
「ううん、なんとなく」
触ってみたくて、と告げると益々不思議そうな顔をするから愛しさは増すばかりだ。普段は大人な彼がふと見せる可愛らしい表情が、自分は特別好きだった。夜の帳が降りる頃、大人二人が寝転がっても有り余るベッドに身体を預けて、こんな戯れが出来るなんて、出会った頃は思ってもみなかった。
「まぁまぁ、気にしないで」
なんて嘯いて、不思議そうな彼を放って、つぅ、とまたもう一度なぞると、今度はその手。あっさりと捕らわれてしまう。気になるものは気になるのだろう、当たり前だ。自分だって当事者だったら同じことをする。
「…擽ったいよ、
「えぇ、少しくらい我慢してくれてもいいじゃないですか」
もう少し、感触を味わいたかったというのに。唇を尖らせると、彼は困ったように眉尻を下げながら新聞をぽいっとサイドテーブルに投げた。そのままぐい、と腕ごとを引っ張られ、中途半端に腰を浮かせていた身体はあっさりと彼の上に転がり込む。痛みはない、寧ろそうなるよう望んでいたとも言える。落ち着いた香りが自分を包むから、思わず頬が弛んでしまう。どうやら本格的に自分を相手にしてくれるらしい、新聞を読みたかったであろう彼には悪いなぁと思うが仕方ない。嬉しさと心地よい体温に目を細めると、両頬を彼の掌が包んできて益々気持ちが良かった。
暫く撫でるように優しく触れていた掌は、不意にぐっと顎に力が入り顔を持ち上げられる。そして、そのあとすぐに柔らかな唇が自分の瞼に降りてくるから思わず目を瞑ると、ちゅっちゅっと音を立てて口付けられた。その優しげな唇に思わず笑いが込み上げてくるのは、仕方ないだろう。
「やだ、スティーブンさん、擽ったい」
「君だって、さっき似たようなことしてたじゃないか、少しくらい我慢したら?」
自分と似たような言葉尻で返してくる彼が悪戯っぽく笑っているから、堪らなくなってその襟足に両腕を伸ばす。指先でなぞりあげると、彼の肩が震えて面白い。そうしてニヤリと笑うと、お返しとばかりに耳裏をなぞられてしまって思わず身を捩る。
子供の戯れのようなじゃれ合いだ、色っぽさはあまりない。ふつふつと、笑いが込み上げてくる。シーツの上で遊ぶなんて、良い歳をした大人が何をしているのやら、と思わなくもないが、たまにはこんな時間があっても良いだろう。
「構って欲しいなら、そう言ってくれたらいいのに」
「素直に言えると思います?」
「言えないだろうね」
くすくす、と笑いながらまた数回口付けが落ちてくる。今度は瞼だけではない。頬、鼻、目尻、口端。ちゅっちゅっ、と子供っぽい音が響く。柔らかな感触が本当に気持ちが良くて、擽ったい。
ちらりと視線を送ってみると、ん?なんて小首を傾げられてしまうから、自分から口付けをしたくて堪らなくなる。彼の掌からすり抜けて、よいしょ、と倒れ込んでいた身体を起こして彼の腿の上にお尻を乗せた。はしたない、と思わなくもないが、今更恥じらったところで何もない。
「大胆だね」
「お好きでしょ?」
「うーん、嫌いじゃないな」
「…」
「嘘、好きだよ」
からかうような言葉の応酬から、こつん、と頭突きまがいに額を合わせにいくと、彼がくすくすと笑い出すから釣られて笑った。そのまま戯れついでに触れるだけの口付けをひとつ交わすと、それはそれは幸せそうに微笑むから、嬉しくなってもう一度唇を押し付ける。薄い唇は、案外柔らかい。いつの間にか後頭部に回っていた手が優しく髪を撫でてきて、その心地よさに機嫌はうなぎ登りで良くなっていく。自分も彼の頬に手を伸ばして優しく撫でると、柔らかな肌の感触が心地よい、そしてまた頬の傷をなぞった。
「ん、随分お気に入りだね」
「なんか気になって」
「へぇ?」
言葉尻をあげる彼は楽しげだった。前のめりの身体を戻して尚、その頬の感触を楽しんでいると今度は彼が覆い被さるように額を重ね合わせてきた。仰け反った勢いで、ずるりと後ろに倒れ込みそうになるが、そこは流石の伊達男が腰に手を回して支えてくれる。嫌になるくらいスマートな男だ。恋人同士となってもう久しいのに、こういうことをさりげなくするから、いつも自分は年甲斐もなく心臓を跳ねさせる。ぐっと端正な顔に覗き込まれる。その近さにくらくらしそうなことに、彼は気付いているだろうか。
「聞かないの?これが出来た理由とか」
「聞いたところで、何もないじゃないですか」
「わからないよ?何か新しい発見があるかもしれない」
と、言われても。傷の理由など聞いたところで、今の自分に出来ることは何もない。過去に寄り添おうがどうしようが、この傷がなくなる訳でもないし。
しかし、彼が嬉々として待っているから、流石に何もないとは言えなかった。つぅ、と指先で遊ぶようにもう一度撫でながら思考を巡らせる。はてさて何かあっただろうか──あぁ、そうだ。
「じゃあ、痛かったですか?」
出来た理由や行程には興味がなかったが、彼がその時何を思ったのかということには興味がある。何せここまで見事に残った傷だ、ついた当初はさぞ痛かっただろう。想像するだけでこちらにも痛みが過って顔が歪んだ。
予想外だったのだろうか、目を丸くした彼は、すっと覆い被さっていた身体を元に戻して考え込む。どうやら思い出してるようだ、この反応を見るに大した収穫は得られそうにない。
「…どうだったかな、もう覚えてない」
やっぱり。さして気にした素振りもない辺り、そんなことだろうと思っていた。
ではこれで話は終わり、と戯れを続けようと頬に滑らした指先で輪郭をなぞろうとしたら、また彼が問い掛けてくる。
「他にはないの?誰にやられた、とか」
「それこそ聞いたって仕方ないじゃないですか」
「俺の過去に興味ない?」
意地悪な言い方だ。しかし、これくらいで堪えているようだったら、この男の恋人は務まらない。ふむ、とひとつ頷いてから、今度はこちらが意地悪に返す。
「あまりないですかねぇ」
「え」
驚いた彼の顔はほんの少し強張っていて、それがまたひどく愛しかった。可愛いなぁなんて思いながら両頬をするりと撫でて、にっこりと笑ってやる。
「だって、大事なのは今ですから。過去より、私といる今の貴方のことが、もっと知りたいです」
そう、だって過去のことなんて聞いたって仕方ない。いくら世界にはなんだって起こる、といったところで、過去を変えることなど出来やしない。それならば、自分でどうとでも出来る今の方がよっぽど興味がある。だから、このままもう少しじゃれ合いを続けたいのだけれども、どうだろうか。そんな風に視線を向けると、彼はけらけら笑い出す。
「君は、強いね」
「そうですか?だっていつ死ぬかわかんないし、過去のこと蒸し返してる暇なんてないですよ」
「確かにそうだ」
ひときしり笑ったかと思ったら、今度は眩しそうに目を細めた彼は、いつになく優しい声で答える。それからひとつ、額に口付けが落ちてきて。音もなく押し当てられるだけの唇は、どこまでも優しい。
嬉しくなって、するりと首に腕を回して甘えるように身体を寄せると、髪の感触を楽しんでいた指がするりと腰まで降りてきて、つぅ、と背筋をなぞり出したから驚きだ。思わずびくりと震えると、色っぽさを孕んだ視線とぶつかって。いやいやちょっと待ってくれ、今の今までそんな雰囲気なかったじゃないか。一体どこでスイッチが入ったというのだろう。まぁ、このまま流れに乗るのもやぶさかではないのだが。
「…ところで、今が大事なに提案があるんだけど、どうかな」
その提案がどのようなものか、今の動きでわかってしまうくらいには、彼と肌を重ねていた。
「なんでしょう?」
それでもなんとなく、彼に言わせてみたくなって。敢えて問い掛けると、心得たと言わんばかりにくすりと笑った彼の唇が今度は耳を強襲する。ふっと息を吹き掛けられて肩が跳ねたのをしっかりと見届けてから、嫌になるくらい甘い声が情欲をたっぷりと乗せて囁いてきて。
「──これから君を抱くけど、いい?」
甘ったるい言葉に、頬が熱くなるのを感じた。とどめと言わんばかりに耳朶を唇で食まれてしまうと、もう駄目で。そもそもこれは提案ではなく、予定の確認ではないだろうか、と思いつつも小さく頷く以外にもう術はない。そんな様子に満足したのか、彼はまた一層嬉しそうに笑うから、そっと悪戯な指先が服の裾から肌に滑り込んでくるのも邪魔できない。それどころか、彼の襟元を包んでいる釦を外しに掛かっているのだから、結局のところ自分もその気なのだ。何か余計なからかいが降ってくる前に、そっと自ら彼の薄い唇を襲った。今夜もこうして、彼とシーツで戯れる。

シーツと一緒に溺れたい

15/06/24