二度あることは三度ある、だなんて言った先人は実に偉大である。
「絶対に嫌です!」
断言した。ぱちくり、驚いたような瞬きが目に入る。いつだって恋人にめろめろな自分は、流されるままに彼の掌で転がっているので、これは案外珍しいになるのだろう。しかし、今度という今度ばかりはあっさりと頷くのは躊躇われた。
「どうして?」
こてん、と首を傾げて、本当に不思議そうに尋ねてくる彼は齢三十をゆうに越えているというのにどうしたことだろう。可愛い。とてつもなく可愛いが、それとこれとは別だった。今回ばかりは、珍しくも理性が奮闘している。その調子だもっと頑張れと内心自分を応援しつつ、視線が向かうのは彼が手にしたもの──服だった。
ぷく、と頬が膨らんだ。不満そうな、抗議するような視線が矢継ぎ早に飛んできた。それと同時に、ひらり、彼が手にしているスカートのプリーツが揺れる。
スカートだけならばよかった、それならおふざけ程度に着ることも出来ただろう。その上、もっと言うならば彼の手元。そこには襟がある、衣服なのだから当たり前といえば当たり前なのだけれど。その特徴的な襟と、彩るようにして掛けられたスカーフが断固拒否の姿勢を頑なにしていた。
──セーラー服。日本という島国で人気を博している、らしい学生服だった。
「これを着た君は、きっと可愛いよ」
「こういう時だけ褒められても嬉しくありません!」
普段だったら絶対に言わないくせに。
歯の浮くような台詞は言い慣れているのだろう、照れなど微塵も感じさせぬ態度だった。それがまた腹が立つのは醜い嫉妬なのか、思いたくはないが浮き名が轟いているのだから仕方ない。
攻撃の手を緩めるつもりなど毛頭ないらしい彼は、薄い唇を開いた。
「君のためにせっかく用意したのに」
今度は温情に訴える作戦なのだろう。いじらしく伏せられた睫毛は長く、庇護欲のそそられることこの上ない愛らしさで。しかしこんなことで負けてはいられない、前回だってとんでもなく恥ずかしかったのだから。今回はより一層恥の上塗りになりそうなくらいだ、何故か、答えは火を見るより明らかだ。
「別に嬉しくないです」
「どうして、きっと似合うよ」
「だから嬉しくないです!」
どうしてわからないのか。いや、彼のことだからわかっていてやっているに違いない。時折こうして、こちらの反応を見て遊ぶ癖があるのだ。まったくもってタチの悪いことこの上ない。それに乗っかるしか術を持たない辺りこちらにも問題があるのだろうが。
彼が手にしているのは学生服、つまりはハイスクールに通う年代が着るもので。成人をとうの昔に超えた女が着るようなものではない。前回はメイド服だった、ほんの少し着てみたいという欲があった。だが今回は違う。別に望んでいないし、恥の上塗りなんてまっぴらごめんだった。そんなこちらの心情を知ってか知らずか、彼は終始楽しそうで。思わず口をついて出た言葉は刺だらけだというのに、彼は一層楽しそうに笑うのだ。
「随分楽しそうですね」
「うん、この後これを着た君を組敷けるかと思うと、ついね」
「そんな展開になる訳ない!」
断じて認められん。頑なに否定を繰り返すこちらの何が楽しいのか、彼はうっとりと瞳を細目ながら笑う。
「ハイスクールどころか、ジュニアハイスクールで着るような格好をした大人な君は、恥辱にまみれた顔で僕を睨むんだろうなぁ」
「馬鹿か!」
なんだ、そのねっとりとした妄想は。現実には有り得ないだろうその発言に、フーッと猫が威嚇をするように肩を怒らせたのは言うまでもない。
彼は楽しそうに、にっこりと微笑みを携えたまま、一歩。嫌な予感がして一歩下がる、するとまた彼が一歩近付いてくる。まるでいたちごっこだ。平行線、交わることのない自分と彼。しかし、現実は残酷で、部屋には限りがあって。考えなしのこちらの背に、とん、と壁がぶつかって、いみじくもちゃちな争いは終結した。
あぁ、馬鹿な自分を呪いたい。逃げ道を自ら塞いでしまったことに落胆していると、ワンピースの裾をがばっと持ち上げられた。どうして今日ワンピースなんて着てしまったのか、どうしてそう遠慮なしにめくりあげられるのか。考えはつきない。取り敢えず、悲鳴をひとつあげて、渾身の力を込めて、彼を平手打ちすることから始めてみよう。
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「うん、うん、似合うよ!」
「それはどうも…」
結果、完全敗北。いや、彼の頬に大きな紅葉を作った辺り、一矢報いたと言ってもいいのではなかろうか。じんじん痛むだろうに、にこにこと楽しそうな彼は、こちらをてっぺんから爪先に至るまで、うつとりと眺めていた。
「少し丈が長かったかな。うん、でも、これはこれで悪くない」
「オジサンくさいです」
「オジサンだもん」
「だもんって…!」
「あんまり可愛くないことを言うと、塞ぐよ、口」
思わず両手で口を覆う。すると、自分で言ったくせにこちらの行動が面白くないのか、ちぇ、と唇を尖らせていた。さっきから、どうも普段のかっこつけがどこかに隠れている。いつだって女性とのやり取りは上手くやっているくせに、こういう時ばかりは情けないというか、子供っぽいというか。でもそれが嬉しいと思えてしまうくらいには、彼にどうしようもなく惹かれているのだろう。我ながら弱い、恋愛というものは先に惚れた方が負けなのだ。
しかし、このセーラー服というものは、どうも着慣れない。当たり前といえば当たり前で、こんなもの着慣れてなるものかと思うが、それもそのはず、ハイスクールどころかジュニアハイスクール、はたまたエレメンタリースクールでさえ、制服という文化とは遠く離れた生活をしていたのだ。スーツなどとはまた違う堅苦しさがある、それは膝下まであるスカート丈のせいなのか、きっちりと結ばれたスカーフのせいなのか。とにかく妙に落ち着かなかった。じろじろと見られているというのもあるのだろう。
「あの、スティーブンさん」
「違う」
「へ?」
「スティーブン"先生"だ、学生なら当たり前だろう?」
なんのプレイだ。
また前回のことを思い出す。そういえば結局あの時はこちらもその気になって、彼のことを主人として扱い、流されるがままに事を為したのだっけ。また今回も、ということなのだろうか。
「先生、だ。ほら、言ってごらん?」
楽しそうに、歌うように彼が急かす。どうかしている。そう、どうかしているのだ。彼も、自分も。
元々これを着た時点で覚悟はしていた、こうなる予見はこの服を見せられた時点でしていたのだ。恥ずかしいとか、はしたないとか、結局こうなるのならば抵抗しなければよかったのではないか、とか。色々と思うところはあるだろう。でも、まぁ言われるがままにホイホイ着るというのは、余りにもつまらないだろう。男性は本能的な狩りをしたがると言う、追われるより追う方が向いているとも。だから、まぁ、これまでのことは撒き餌とでも言っておこうか。時には焦らされた方がいいのだ、彼のような伊達男は。
「、」
待ち望んでいるのだろう。うっとりとした瞳の中に、確かな熱が潜んでいる。ほう、と思わず溜息を吐きたくなるほどだ。あぁ、愛しい。天井どころか月のような人と思っていた、その人が、今か今かとこちらの言葉を待っている。その瞳にこちらを映して、乞い願っている。こんなにも、心震わせることはないだろう。
ごくん、喉を鳴らして。彼の服の裾を掴んで。薄く、唇を開く。
「せんせ──」
続きは、彼の唇に飲み込まれた。せっかく人が恥を忍んだというのに。でも、いいか。どうせこの後、散々呼ぶことになるのであろうから。
セーラーカラーに誘われて
16/3/14