ここ最近、ライブラ内はどこかおかしい。
いや、組織としてはおかしくない。通常通り、血界の眷属を殲滅したり、街中でどんちゃん騒ぎを起こしているものにお灸を据えたりと、任務自体にはなんら問題はなかった。滞りなく騒がしい毎日を過ごしている。
では、一体何がおかしいのか、答えはシンプル、ライブラ構成員一同の態度が妙なのだ。
まず、クラウス。クラウスは実直な男で隠し事が出来ないタイプの人間だ。だからすぐに何かあるとわかった、妙にそわそわ、いやウキウキしている。眼鏡に隠された瞳は恐らく爛々と輝いていることは明白だ。そんな彼から情報を得ることは容易い、と思っていたがそうは問屋が下ろさなかった。
「クラ…」
「坊っちゃま、会食の予定になります」
「うむ、そうか」
そう、この通り、仕事以外の会話をしようものなら、彼の有能な執事であるギルベルトがすかさず邪魔しに入るのだ。元々多忙を極める自分と我らがボスが会話出来るのなんてちょっとした休憩の時くらいと仕事の時など限られている。が、今回は嫌に機会が少なく感じるのは気のせいでないのだろう。そういった訳でギルベルトを陥落させない限り、彼から情報を得ることは不可能に近いと考えられる。
次に女性陣、主にだ。普段のそれよりも、一層バタバタと忙しなく動いている。仕事の振り分けは以前と変わりないから、恐らくプライベートなことでばたついているのだろう。それを問おうにも、女性陣で徒党を組んでいるところに割って入ることなど出来まい、一人きりを狙おうにも慌ただしく動いている彼女に声を掛けられるはずもなく。ここ一週間ほどまともな会話をしていない、プライベートな誘いも軒並み断られている。普通なら浮気を疑っても良いものだが、そこは彼女のことだから有り得ないと断言出来よう。何せ毎度の挨拶変わりである愛の告白はなくならないし、それ以外でも視線が合えば嬉しそうにはにかむし、忙しそうなのにコーヒーを淹れておいてくれたりと気遣いも減ることはなかった。自惚れていると言われそうだが、自分は彼女に愛されている、それだけは変わりようがないのだ。これは純然たる事実だから仕方がない。
唯一いつも通りなのはレオナルド、ザップ、ツェッドくらいのものだった。知っているのか知らないのか、それは定かではなかったが、問い掛けるのも無粋な気がしてやめた。誰にだって隠し事のひとつやふたつはある、そう、それは自分だって同じことで。痛くもない腹を探られるというのはいい気分ではないだろう、彼女達が真っ直ぐなことくらい、自分が一番知っていた。
そうして今日に至る。今朝からクラウスとはそわそわとしているし、チェインは姿ひとつ見せやしないし、K・Kはなんだか機嫌が悪そう──いや、なにかを噛み砕いたようなそんな表情をしていた。居心地の悪いことこの上ないが、仕事は仕事、昼まで書類整理に奮闘していた。
「あのー、スティーブンさん」
「うん?なんだい少年」
珍しいこともあるもので、レオナルドから声を掛けられた。なんだか妙に居心地の悪そうな顔をぽりぽりと掻いている。今日は妙なことばかりだな、なんて思いながら続きを促すと、よし、とひとつ意気込んでから、
「飯、行きませんか!」
なんて、誘いが飛んで来た。
「飯…?」
ぱちぱち、と瞬きを繰り返したのは当然だろう。彼はいつも年の近いザップやツェッドとランチに行ったり、そうでなければ一人で買ってきてそこのソファでもりもり食べていたのだ。そりゃあ構成員同士、休憩を共にしたり、話すことは多い。だが二人だけで、なんて滅多になかった。
「ザップやツェッド達と行けば良いだろう、なんで僕なんだ?」
「いや、あの、その!」
「勘弁してくださいよスターフェイズさぁん、こんな陰毛頭と飯食ったら陰毛が移るじゃないっすか」
「移るか!」
「すみませんが、僕、これを読みきってしまいたいので、食事はその後で」
「なら少年が待てば良い、そんなに腹が減ってるのか?」
「もうこの上なく!お腹と背中がくっつくんじゃないかって勢いです!!だから一緒に飯行きましょ!!!」
押しに押された、というのが本音だ。何かわからないが、ザップはソファの上に陣取って動こうとするどころか寝転がっていたし、ツェッドも一旦はあげた視線をすぐ本に戻していた。レオナルドの勢いに、特別断る理由もないし、腹も丁度空いていたところだったし、まぁいいか、なんて軽い気持ちで席を立った。
「奢らないぞ?」
「は、はい!」
よっしゃあ、なんてガッツポーズを取るレオナルドを不審な気持ちを隠すことなく見下ろしてから、ばさっとジャケットを羽織った。なんなんだ、一体。
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少し早めの昼食は、いつも通りのサブウェイでもレオナルドが好きなジャック&ロケッツバーガープラントでもなく、近くのダイナーになった。気っ風の良いビビアンに促されてカウンターに座ったところで、妙に緊張した面持ちのレオナルドが矢継ぎ早に口を開く。
「コーヒーふたつお願いします!」
「え?」
「あいよー!」
止める間もなく、コーヒーが出される。昼に来たのにコーヒーだけとは何事か、彼を振り返るも居た堪れなさそうに眉間の皺を作るだけで口を開こうとは一切しない。これはいよいよ何かおかしいぞ、そう思いながらじっと見つめると、困ったような顔で視線を逸らされた。怪しい、怪しいことこの上ない。
「少年、」
「は、はい…」
「確か、僕らは君のお腹と背中がくっつきそうだからここに来たんじゃなかったか?」
「うぐ」
「それなのにこの状況は一体なんだろうな?」
まるで尋問にも似た言い方だと自分でも思う。仕方ない、職業病だ、なんて言ったら知り合いの警部補殿に怒られそうだ。こういった状況には慣れていなさそうなのに意外と芯の強い彼は、躊躇いがちに口を開く。だが、観念した訳ではなさそうだ。
「す、スティーブンさんはお腹空いてますか、もうこれ以上ないくらいにペコペコですか!」
「は?」
この期に及んでこちらの腹の具合を聞くとは何事だろう。そもそもここに来た理由は彼に背中を押されるようにしたからだし、大体腹が減ってるのは君の方じゃあないか。
目は口ほどに物を言う、とは本当のことらしい。こちら言いたいことがわかるのか、顔を見ては気まずそうにレオナルドは頬をかいた。
「…腹、減ってないなら、食べないで帰った方がスティーブンさんのためだと思います」
「どうして」
「それは、言えないっす。言ったら、さん達が悲しむだろうし」
なんでそこでが出てくるんだ。喉から出かかった言葉をなんとか飲み込んだ。別段隠すことはないのだろうが、彼女との間柄は秘密のままにしている。度しがたいことにザップだけは知っているのだが、今のところなんとなく言えずにいた。いや、きっとクラウス辺りは祝ってくれるだろうし、K・Kもなんだかんだ激励の言葉をくれるだろう。目の前の彼だって、その糸目をハの字にして喜んでくれるに違いない。だってが自分のことを好きだというのはこのライブラで知らない人がいないくらいの事実で、彼女は愛されているから。例え悪い大人との関係だとしても、想いを成就したことを祝わない人間はいないだろう。ザップくらい素直じゃない奴だって、茶化しながらも労いの言葉を掛けるに違いない。それくらい、・という人間は愛に溢れてそれを一心に受ける人なのだ。
「今日のために、めちゃくちゃ頑張ってたんですよ、さん」
レオナルドは、出されたコーヒーを握りしめながらぽつり、と呟く。兄である彼は、時々驚くくらい慈愛に溢れた顔をする、今がまさにそうだ。
「さんの悲しむ顔、見たくないでしょう?」
「それは…」
見たくない、誰だって愛している女には笑っていて欲しいものだ。まるで見透かされているような感覚に陥りながら、二の句を告げずに押し黙る。注がれたコーヒーを飲む気にもなれない、それなりに騒がしいはずの店内もどこか遠くて、レオナルドの言葉だけが耳に残った。
「俺不器用なんで、上手くスティーブンさんを動かしたり出来ないんで、真っ正面から頼みます。これだけ飲んで、戻りましょう」
出来るだけ、ゆっくり。頭を下げる彼の姿は、こんなにも逞しかっただろうか。いや、本当はわかっていた。誰よりも普通なこの少年は、普通であるが故に心優しくて、普通であるが故に勇敢で、恐れを乗り越えてしまうのだ。
そんな男に頭まで下げられて、問い詰めたり出来る者がどこにいるのだろう。何もかもがわからない、ただ今執務室では確実になにかが起こっている。でもそれは、きっと自分に害を為すことではない。それだけは確信出来る。
「…一杯だけ、だぞ」
呟きながら、カップに口をつける。レオナルドがそれはそれは嬉しそうに頷いた。苦い筈のコーヒーは、なんだか妙に甘く感じた。
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状況を掴むのは昔から得意だった。誰が力を持っていて、どういうパワーバランスなのか探るのが好きだった。そうして上手く立ち回って生きてきた。そんな自分が、何もかもわからない状況にいるとは一体誰が予想しただろう。
後ろを歩くレオナルドの足取りは、どこか軽い。表情の読みやすい彼だが、楽しげなことだけが確かで、不可解だった。執務室に、何があるのか。置いてけぼりを食らったような感覚を抱きながら、出来るだけゆっくりと足を進める。レオナルドに合わせている訳ではないが、先程の言葉が妙に耳に残って自然とそうなっていた。
歩くこと数分、通い慣れた入り口がそこにはあった。そこまで来て初めて、自分が少し緊張していることがわかった。そりゃあそうだろう、何かが起こることだけは確かで、それが何か検討もつかないのだから。だが、どこかで楽しんでいる自分もいて。きっと相手が彼らだからだ、我ながら少し不用心過ぎやしないかとも思うが。誰かが裏切って乗っ取られていることだって考えられるのに、今はそんな冷めた考えが隅っこの方に追いやられていて。それだけ信頼しているということなのか、少し青臭い思考に面映くなる。
いざ、執務室へ。ガチャリ、鍵の音が妙に大きく聞こえた気がした。次の瞬間、
「「「Happy birthday!」」」
耳をつんざくような破裂音が響く。瞬きを、ぱちぱちと繰り返していると、かさりと紙の音が耳に届いて。
先程よりもカラフルになった執務室。色とりどりのバルーンが所狭しと敷き詰められていて、彼らの頭にはよくある三角帽子が鎮座している。鼻腔を擽るのは火薬に似た匂いばかりではなく、空腹を誘うような料理の匂い。机にはたくさんの料理とシャンパンがひしめき合っていた。
これは、一体なんなのか。呆然と立ち尽くしていると、ぐいとに腕を取られる。
「スティーブンさん、お誕生日おめでとうございます!ほら、はやく中入って下さいよ!」
「ぼんやりしてんじゃないわよ、今日の主役は残念ながらアンタなのよスティーブン先生」
「ケーキも、ありますよ。美味しい店、と探したんです」
「スティーブンおめでとう、今日という日に深く感謝する」
「おめでとうございます、本日は腕によりをかけて作らせて頂きました」
「番頭ぉ、はやく食いましょうよぉ、俺ぁもう腹が減ってしょうがねぇんすからぁ」
「誕生日パーティーというのは初めてなのですが、こういったものなのですね。とても素敵だと思います」
矢継ぎ早に告げられた言葉のどれに反応したらいいのやら。自分だけが置いてけぼりを食らっている中、彼らはどんどん先へ進めていく。促されるままにソファに座り、頭に三角帽を被せられ、ひゅーなんて歓声とともに出てくるケーキ。やたらと大きなそれを差し出されたところで、ようやっと気付く──そういえば、今日は誕生日だったっけか。
いつの間にか歳を数えることも祝うことも忘れていた誕生日。まさか、この歳にこんなパーティーを開かれるとは予想外にも程があって。固まってしまうのを許して貰いたい。
ふと視線を向けると、嬉しそうな顔をしたが居て。
「スティーブンさん、ほら、はやく!」
蝋燭の火が妙に暖かく感じてしまうのは、年のせいだろうか。うすぼんやりとした灯りを吹き消すと、一層の歓声が広がった。
パーティーは、盛り沢山だった。余興の数もさることながら、ギルベルトが腕によりを掛けたというのに相応しく料理の大洪水で。ザップは腹を膨らませ、レオナルドはそんな奴を見てけらけらと笑っていた。クラウスから、皆で選んだというプレゼントを渡された。中身を開けるのが勿体なくて、後でこっそりと一人で開けようと決めている。意外にもK・Kの口からも祝いの言葉が聞けて、驚いていると怒られた。チェインはいつもより多く酒を飲んでいて、ツェッドはその姿に感服していた。はというと、最初から最後までずっとしきりっぱなしで、余り隣にいることはなかった。でも始終嬉しそうに顔を綻ばせているからこっちも嬉しくなって目元が緩んでしまう。
「スティーブンさん、パーティー、楽しんでますか?」
「…あぁ、勿論」
「今日のためにいっぱい用意したんです、まだまだあるから、目一杯楽しんでくださいね!」
「うん、」
微笑むと、まるで嵐のようにバタバタと次の準備をしていく背中。か弱くも逞しいその背中を、抱き寄せたいのをぐっと堪えるのに必死だった。
「、すっごーく頑張ってたのよ」
「うん」
「パーティーの算段、何から何まで」
「うん」
「全部、アンタに喜んで貰いたいために」
「…うん」
こんな日があって良いのだろうか。こんなにも恵まれていいのだろうか。背中を預けられる仲間がいる、隣を歩いてくれる恋人がいる。それだけで充分だと思ってた。自分には過ぎるくらいのものだと、そう思っていたのに。あぁ、もう、こんなにもたくさんのものを貰ってはこう思わずにはいられないだろう。
「俺って奴は、幸せ者だなぁ」
16/6/9