秘密結社ライブラ。異界と現界が交わる街、ヘルサレムズ・ロットにて昼夜を問わず暗躍し、その平和と均衡を秘密浦に守る組織。
その組織の運営費は誰が賄っているか、答えはシンプルだ。リーダーであるクラウスの実家、ラインヘルツ家の財産なんて個人的なものではない、 全ては世界を色々な視点から憂う人物達からの支援、つまり多数のスポンサーの懐から捻出された費用でライブラは存在 している。これがどういうことかわかるだろうか。つまりスポンサーなくしてはライブラにあらず、日夜戦いに明け暮れるばかりではない、 スポンサー獲得には並々ならぬ努力が注がれているのだった。そして、非戦闘員である自分の仕事にも勿論それは含まれていた。
「疲れたー!」
「こら、だらしないぞ。
戻ってきたという安堵感から真っ先に見知ったソファーへダイブしたら、そんな声が飛んできた。イブニングドレスのため、 スカートが捲り上げられていることもないというのにお叱りを受けるとは、中々どうして世知辛い。いや、確かに格好に見合わない姿だとは思うがそれはそれ、 これはこれである。
「せっかく帰ってきたんですから、これくらい許してくださいよ」
そう、今は帰宅した直後。つまり外の目はもうない訳で、少しくらいリラックスというかまったりというかごろごろさせてもらっても罰は当たらない気がする。
そんな甘ったれた考えを吹き消すようにして鋭い言葉は飛んでくる。
「皺になっても知らないからな」
ぐう。それを言われるとちょっと弱い。だけれども、かく言うスティーブンだってジャケットをハンガーに掛けているものの タイはだらしなく外したまま襟元を寛げてすっかり家モードになっている。その姿すら様になっていることは、本人に伝えるのが悔しいため黙殺する。 相変わらず憎らしいくらいほどの良い男っぷりだ、流石に会場中のお嬢さん方の視線を一手に引き受けたというのは伊 達ではない。面白くない反面誇らしかったのは内緒にしておこう。
ここはもう彼の自宅でだらしないのはお互い様なのだけれども、そんな屁理屈を言おうものならその血凍道に相応しい冷え切った視線が来ること間違いなしだった。 春風のような爽やかな笑顔じゃないだけマシかもしれないが、その視線だってそら恐ろしいのだから大人しく起き上がるより他にない。 ドレスの裾を捌いてきちんと座り直すと、どかっと隣に座り込んできたスティーブンが剥きだしの肩に頭を乗 っけてきた。普段と違い、整髪料で固めた髪はいつもより硬く、首元に吹きかけたいつもより多めの香水の匂いが鼻を擽った。
「お疲れですか?」
「そりゃ疲れたよ、君と同じで」
それもその筈、今回はただパーティーにお呼ばれした訳ではなく、こちらからパーティーを開いたのだ。要するにホスト役、 いつもの倍は気を遣って回ったことだろう。君と同じで、と彼は言ったが女性である自分はまだしも、エスコート役も引き受けた彼の疲れはそれこそ尋常じゃないのだろ う。
ぐりぐり、と頭を揺らす姿はひどく可愛らしくて抱き締めたい衝動に駆られるが、先程皺になると怒られた手前、 なんとなく躊躇われて腕を伸ばしてその頭を撫でるくらいのことしか出来なかった。それでも満足なのか、 その長い睫は伏せられ少しばかりまとった空気が穏やかなものへと変わる。そのことにすっかり気を良くして、優しく優しくと心掛けながら何度もその髪を撫でた。 髪型が崩れるとかもう気にすることはない、何せここは彼の家でプライベート空間なのだから王様の御髪がいくら乱れようと気にするものなどいないのだ。
「お疲れ様です」
「君もね」
こちらの数倍は疲れているであろう癖に、こういう時きちんと同等に労ってくれる。それがどれだけ嬉しくて誇り高くなるか彼は知らないのだろう、 たった一言で疲れが一気に吹き飛ぶようだった。嬉しくなってわしゃわしゃと髪を撫でると固められた髪はすっかり乱されてぱらぱらと端正な顔に落ちていった。
「せっかくセットしたのに」
「もうかっこつける必要ないじゃないですか」
どうせ見るのは私だけなのだから。そう言外に含めると先程まではすっかり穏やかだった顔が歪む。一体どうしたことだろう、何かまずいことを言ったのだろうか。 顔を覗き込むと蘇芳の瞳が細められ、鋭い視線が飛んできた。
「かっこつけで悪かったな」
「へ?」
「どうせ俺はかっこつけだよ」
「え?」
そこ、そこですか引っ掛かってたの。
喉まで出かかっていた言葉をなんとか飲み込んで、もう一度よくその顔を見下ろすと、どこか不貞腐れたような子供っぽい表情が垣間見える。あぁもう、 そういう意味じゃないのに。
「そんな拗ねないでください」
敢えて言葉にすると、また不機嫌そうに眉間に皺が寄る。普段は大人で鉄壁だと思えるその姿が今や見る影もない、 それが嬉しいと思うのを知られたらきっと怒られるのだろう。しかしながらあんまりからかうとこちらの方がひどい目に合いそうなので、機嫌を取る訳ではないけれど素直に本音を伝えた。
「私の前でかっこつける必要ありますか?」
そう言うと、一瞬蘇芳の瞳が丸まって年齢にそぐわない幼さが垣間見えて、それから視線が外されてどうにもこうにも居心地が悪そうな面持ち に変わった。あぁ、なんて可愛いのだろう。
「からかうなよ」
「からかってませんよ、ちょっと遊んだだけ」
「そういうところだよ、あぁもう」
ガシガシと髪をかき乱す様があんまり可愛くて小さく笑うと、またひと睨み飛んでくるから油断は出来ない。慌てて両手を挙げて降参の姿勢を取ると、 はぁとひとつ溜息を吐いてまた身を寄せて来るから腕を下ろして迎え入れる。肩口から伝わる熱に妙にドキドキしてしまうのはきっとこの人にず っと恋してる所為なのだろう。所謂お付き合いというものをしてから長いが未だに好きの気持ちが溢れ出しそうになるのを必死に堪えてる。 普通こういうのはどんどん落ち着いてくると思うのだが、どうにもこうにも儘ならない。きっとずっとドキドキしているのだろう、 キスもそれ以上も数えきれないくらい沢山してきたのに、いつだって初めてのようなドキドキに包まれている。それを知ったらどんな顔をするだろうか、 少しは嬉しそうにしてくれるだろうか。素直に言うのはなんだか負けた気がして悔しいからこの先伝える気はないけれども、想像するくらいは良いだろう。 想像したらあんまり可愛くて愛しくて思いが止まらなくなった。
「かっこつけてなくても、好きですよ」
そう言うと、伏せられた片目がこちらを見上げてきた。言葉がないところを見るとまだ不機嫌らしい。
「スティーブンさんがかっこつけてないところ見ると、嬉しくなるんです」
だってそれは気を許してくれているってことでしょう。それがどんなに嬉しいか、知らないなんて勿体ない。かっこいいスティーブンは勿論好きだが、 それ以上に自分に見せてくれるかっこつけていないただのスティーブンがどれだけ好きか。逐一教えなくてもわかっていると思っていたのだが、 どうにも当てが外れたようだ。鋭いようでいて案外抜けている、だけど抜け目ないからこの人にはとんと敵わない。
「どんな貴方も好きですよ」
「…知ってる」
「じゃあ自信持って下さい」
「──それでも、かっこつけたくなるだろ」
君の前では、さ。 告げられた言葉はあまりに予想外で、目を丸めて顔を覗き込むと先程までの可愛い態度はどこへやら熱っぽい視線を向けて来る。くらり、 その視線と言葉の意味をじわじわ感じるとどうにも眩暈がしてくるようだ。流石ライブラ一の伊達男、女がどういうのに弱いかよくご存知だ。 ドキドキとうるさい心臓を何とか落ち着かせようとしていると、熱っぽい視線はそのままに彼が顔を寄せて来る。あ、 キスされるな──そう思うが早いか気付いた時には存外柔らかい唇が重ねられていた。触れるだけの甘い口付け、 何度も何度も繰り返す内に甘さはどんどん増していって吸い付いてこられる頃には小さく吐息が漏れた。
「スティ、ブン、んむ、さ」
キスの合間にを呼ぶと、目元が弛む。あ、喜んでるんだなと嬉しくなって気を緩めているとまた嵐のように唇が降ってくる。最初はこちらが上に居たのに、 どんどん押されていって、今や覆いかぶさるような体勢になっていた。悔しいのはそれが嫌なんじゃなくて嬉しいことだ、 中々素直になれないらしい彼のこんなストレートな愛情表現、喜ばない女がどこにいる。
やめてとも待ってとも言えずに、ただを呼ぶことしか出来ずにいると、きっちりとまとめられた髪飾りが解けた。勿論犯人は目の前の彼で、 それに気を取られていたらいつの間にやら舌が割り込んできて、解かれた髪をまるで愛撫するように指先が怪しく誘ってきて。もうこれは、駄目だ。
「ドレス、んっ、皺になる…んぅ」
最後の抵抗とばかりに告げた言葉は先程の彼の言葉を借りたもので、これで少しは意趣返しになれば良いと思って選んだのだけれども、
「クリーニングに出してあげる」
なんて簡単に片付けられてしまうから、ずるずるとソファに寝転がる羽目になる。すっかりその気になった彼の顔を下から見上げると、 熱っぽさを秘めた瞳にもうくらくらで、だらしなく開かれた襟ぐりにそっと手を伸ばすとぶら下がっただけのタイが小さく揺れて。そこから先は、 もう愛を求め合うばかりで。元々出す筈だったとは言え、ドレスをクリーニングに出す時に何を思い出したのか思わず頬を赤くしたことは言うまでもない。



引き金はいつから引かれていたのかご存知だろうか

17/9/28