妙に印象に残ってしまったのは、きっと、ずっと心の奥底にあったから。
「ねぇ、私のどこが好き?」
そんな言葉が飛んできたのは、麗らかなる昼下がり、カフェで同僚と食事を取ってる時だった。ちらりと横目で確認すると、ティーンなのだろう二人がにこにこしながらお茶をしているところだった。
「えぇ、こんなところじゃ恥ずかしいよ」
「いいから、教えてよぉ」
などという、ハートが飛びまくっているピンクな雰囲気に何故かこっちの方が居たたまれなくなってしまった。食事に集中しようとフォークを動かしたところ、ふと視界に入った同僚の顔は筆舌に尽くしがたい。なんというか、ものすごく、そう、ものすごく歪んだ顔だった。これ以上は彼女の沽券に関わることなのでコメントは差し控えるが、未だかつて彼女のこんな顔を見たことはなかったと思う。残業が続いている日に上司から今日中と渡された山のような書類を見た時より、何とも言えない顔をしていた。そういえば、最近彼氏と上手く言ってないなんて愚痴を溢していたなぁ、なんてぼんやり思い出しながらもそれを指摘するのは当然躊躇われて、黙って食事に集中することにした。
しかし、私のどこが好き、と来たものか。
それはひどく若い言葉だなぁ、なんて感じたのは正直な感想で。そうそう、そういえばあれくらいの頃はそんな言葉が浮かんできて、何もかも怖くないが故に簡単に口に出せてしまうものだった。経験があるのかと言われてしまえば、正直なところ、若さ故の過ちということにさせていだたきたいもので。妙な気恥ずかしさと、気まずさを感じてしまうのは仕方ないことだろう。
間違いなく今は言えない、挙げられたら恥ずかしさや意外な驚きで感情が大混乱に陥るだろうし、挙げられなかったらそれはそれで悲しいだろうし。要するにどちらに転んでも、今の状況以上に居たたまれないことは確かだった。勿論、怖さもあるだろう。望んだ答えを100%返してくれることなんて、人間関係においては割合少ないことだろうし、そもそもそんなことを聞けるのはやっぱり相手を信頼しているか、己を過信しているかのどちらかになってしまうだろう。この人は、私のことをきっと好きでいてくれる、そんな自惚れがなければ絶対に出てこない言葉だ。
自信がないのか、そう言われてしまうと現在の恋人に愛されているのだろうという自信はある。あるが、それとこれとは話が別だ。ここヘルサレムズ・ロットでは人種問わず、下手をすれば種別を問わず魅力的な女性が多い。努力しなければいつ何時、他の人に取られてしまうかはわからない。そもそも彼が自分と付き合ってくれているのは奇跡みたいなもので、だからこそ奇跡を手放さないために鋭意努力を重ねているのだ。まぁ、こちらが出来る努力などたかが知れているのだが。
ともかくそんな奇跡に甘えて、どこが好き、だなんて愛の確認をしたら間違いなく罰が当たってしまうだろう。愛の言葉は山程聞いている、それこそもう恥ずかしくなるくらいに。それで満足すべきなのだ、更になんて欲深なことを言って許されるべき年齢はとうの昔に過ぎたのだから。
隣のカップルが、テーブル越しにキスを始めそうになったのと同時に、同僚のそれはそれは大きな舌打ちが店内に響き渡った。──あぁ、なんて気まずい。



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「それは、災難だったなぁ」
あっはっは。落ち着いた雰囲気を常にまとっている彼が、案外笑い上戸なところがあるというのを知ったのはいつだったろうか。昼間の話をすると、大きな笑い声を上げて心底他人事のように告げる彼は、もしかしたら少し薄情な人間なのかもしれない。いや、こういう場合、他人のちょっとした不幸は、人生においてスパイスのように必要不可欠だということは重々承知しているのだが。
ジトリと睨み付けると、おっと、なんてわざとらしい言葉と共に両手を上げるポーズなんてしてみせた。全く降参だなんて思っていないだろうに、そんなんだから職場の子煩悩なマダムに怒られることが多いのではないだろうか。
「…笑いすぎです」
「ごめんごめん、いやぁ、しかし若いってのはいいもんだね」
抗議の言葉を送れば、眉尻を下げながら、まるで現役を退いたような言い方をするから困ったもので。貴方、ついこないだティーンもびっくりな勢いで人の身体を貪っていたじゃないですか。という言葉は、レディとしての慎ましさを持って黙殺した。言ったところで、こちらもダメージを食らうことは目に見えているので、なるべく身の安全を図るのは大事なことだろう。
「おじさんくさいですよ」
「おじさんだからね」
少しいじめてやろう、そんな気持ちで言ったというのに、あっさり認められてしまって悔しい思いをしてしまった。ちくしょう、やっぱり抜け目がない。
「それにしても陳腐な質問だなぁ、"私のどこが好き"なんて」
「若い頃は、そういう陶酔した気持ちになるんですよ」
「おや、覚えのあるような物言いだ」
ぐう。皮肉めいた軽口だったが、どうやら墓穴を掘ってしまったようだ。曖昧に笑って誤魔化したいところだが、この男は鋭い上にやっぱり抜け目がないからそれは無駄に終わるのだろう。
沈黙は最大の防御。肯定の証では、なんていう冷静さは既になかったので、我ながら浅はかな考えに従ってそれを守った。ニヤニヤ、人をからかう時によく見る子憎たらしいけどやっぱり整っている笑顔を浮かべながら、ふぅん、なんて白々しい声をあげていた。
「なぁ、
嫌な予感がする。
「…なんでしょう?」
こういう時の予感は妙に当たるから、戦々恐々としながら、それでも無様に怯えるのはプライドが許さなくて、精一杯の平静さを装って笑顔で尋ねる。彼は、それはそれは楽しそうに笑みを浮かべたまま、そっと唇をこちらの耳に寄せて、女を虜にする魅惑的な声で囁いてきた。
「──言ってよ」
何を、と聞けるほど純真だったらよかったのに。
言いたいことは脳にたどり着いた瞬間に嫌というほど理解出来てしまって、思いっきり顔を歪めた。そんなこちらを見ても彼の表情は崩れないどころか、更に嬉しげに、楽しげに深まって──この人、時々本当に意地悪だ。
言わなければどうなるかなと考えたが、すぐに"じゃあ言いたくなるようにしてあげよう"、なんていう彼にとって都合の良い展開が読めてしまった。明日は早い上に会議が決まっている、喉がガラガラ、身体は悲鳴を上げているなんていう状態は避けるに越したことがない。そうなると、やはり道はひとつしかなくて。
──言うのか。躊躇われるのは、彼の思い通りになってしまうことの腹正しさが少しと、拭いきれない恐怖のせいだ。自分から言わせといてまさか"ないよ"だなんて残酷なことは流石に言わないだろうけど、それでもやっぱり怖いものは怖い。だって本当に、奇跡みたいな関係なのに、これ以上自惚れさせないで欲しい。
きっと彼のことだから、この上なく甘い言葉をたくさん述べるに違いない。そういう恥ずかしい人なのだ。でもそれを真っ正面から受け止めて、自惚れて、いつか来るかもしれない別れの時に耐えられるだろうか。絶対なんてこの世に有り得ない、ことこのヘルサレムズ・ロットでは特に。世界が翌日には一変してるなんてことは、ここではザラなのだから。勿論そんな簡単に人の気持ちは心変わりしないだろうけど、不安の種は尽きない。だって、彼──スティーブン・A・スターフェイズはこの上ない伊達男だから、寄ってくる女は数知れず。いつ飽きられてしまうかは、本当にわからないのだ。
チラリと視線を彼に向けると、本当に楽しそうに、期待した眼差しを向けられてしまっているから本当に困ったもので。こちらの不安や恐怖なんてお構いなしで、与えるだけ与えるつもりなのだ。惚れた弱味と言ってもらって大いに構わないが、彼のおねだりには至極当然、弱いというのがという女な訳で。
ええいままよ。不安や怖さ、そして少しの気恥ずかしさを飲み込んで、彼のために唇を震わせた。
「……私の、どこが──好き?」
言い切ると、途端に彼は嬉しそうに、幸せそうに微笑んで。そうして当たり前のように暖かな腕で身体を包んでくれて、驚くくらいの甘さを孕んで耳元でこう囁くのだ。
「──が、であるところ」
あぁもう、本当になんて殺し文句。たった一言、それだけでこんなに心が震えるなんて。そんなこと言われたら、嬉しくて嬉しくて、やっぱり嬉しくて飛び上がってしまいそうなくらい喜んで、愛されてるんだという自惚れが濃くなってしまうのに。
まるで、もっと自惚れていいんだよというように笑って、そっと唇が重なる。これじゃあ不安に思っていたこっちが馬鹿みたいだ、本当に意地悪でずるい人だ。
離れた唇を名残惜しみながら、精一杯嬉しさを押し込んで、目一杯恨めしそうに睨み付けて、
「ちゃんと、責任取ってくださいね」
そう強がるこちらを見て、それはそれは嬉しそうに、楽しそうに笑った。
「──喜んで、世界で誰より愛しい人」
あぁもう、くらくらしそう。


最上の殺し文句

17/10/04