「え、スティーブンさんお見合いするんすか!?」
昼下がり、悲しくなるくらい良い天気─ヘルサレムズ・ロット調べ─の日に耳に届いたのは、レオナルドの素っ頓狂な声だった。
「ばっか、声がでけぇよ、他の奴らに聞こえたらどうすんだ!」
「どうするって…っていうかマジなんですか、その話」
先程よりは小さくなった声だったが、それでもテレビもラジオも何も付いていない部屋ではやけに大きく聞こえた。
「マジもマジ、大マジだっつーの。旦那とギルベルトさんが話してるの聞いたんだぜ?間違いねぇだろ」
「うわーその二人だと流石のザップさん発信でも疑いようがないっすわ…」
確かに、これが例えばブリゲイドとかハマーとかK・Kであれば、早とちりの勘違いだったり、噂話レベルまで信用度は下がるけれど、ライブラきっての正直者と主人に決して嘘を吐かない執事の会話ともなれば、話の信用度はぐんと上がる。ヘルサレムズ・ロット、ひいてはライブラ広しと言えど、多分どこぞの情報屋よりも確実性は上がることだろう。
「っていうかなんでいきなりお見合いなんすか、確かにもう結婚しててもおかしくない歳ですけど」
「どうやら旦那筋からの話らしいぜ、後継者とかもあんじゃねぇの?知らねぇけど」
「適当だな!話持ってきたくせに随分適当だな!!」
「だっから声でけぇっつーの!アホかお前!陰毛か!!」
「陰毛じゃねー!!!」
ヒートアップしていく二人の会話をよそに、どんどんと自分の体温が下がっていくような気がした。体温、というよりは頭なのかもしれない。どくんどくんと、やたら心臓の音は大きく聞こえるのにすーっと冷え切ったような感覚だ。
スティーブンが、お見合いをする。それはつまり、結婚を視野に入れて面通しをするということで──じゃあ、恋人である自分は、一体どうなるのだろうか。
ライブラの構成員には報告はしていなかったけれど、スティーブン・A・スターフェイズと・は恋人同士だった。勘の良い人は気付いているかもしれなかったが、一応ザップ以外の誰にも関係を話したことはない。まぁ話したところでブリゲイド辺りには、とうとう妄想を口にするところまで落ちたか、くらい言われそうなほどに信憑性のない話だと思う。何せ毎日告白をして適当にあしらわれているのだから、そりゃあお付き合いしてますなんて言った暁にはどんな言葉を掛けられるのかわかったもんじゃあない。わざわざ恋人なんですとアピールするのも違うし、何より仕事がやりにくくなりそうなことこの上ないので、まぁ折りを見て話そうか、なんて話し合ったくらいで。そう、だからこんな話をこっそり隠れながら聞けるのかもしれない。
流石に度し難い人間のクズと言われるザップ・レンフロも人の心はあるらしく、しかも恋の話にはいつもよりほんの少しだけ普通の人間らしい心は持っているらしく、自分の前でスティーブンの女の話はあまりしない。いや、基本的にアホだからたまにうっかり口を滑らすことはあるけれど、その時も慌てて話を逸らすくらいのことはしてくれた。変なところ優しいというか、こういうところがきっとあの男に女の影が絶えない理由のひとつなんだと思う。まぁ、いいんだけどね、知ってるけどね、あの人がどれだけモテて、尚且つそれを自覚しているっていうことは。自覚しているだけじゃあ飽き足らず、目的のために利用するくらいのことをする人だから、多分、というか確実に悪い男なんだと思う。それでも好きだったし、というかそういう嫌いだなと思えるのに好きだという気持ちは消えないくらい好きだったから、全部飲み込んでいた。勿論、面白くはなかったけれど。
話が逸れた。つまり、何故こと恋愛においては人並みくらいには気を遣えるザップがこんなところでこんな話をしているのか、ということだ。ライブラの構成員だったら、いつだって誰だってここに来れる。そう、例えば仮眠を終えた自分が寝ぼけ眼を擦りながら執務室に向かったってなんらおかしくはないのだ。そして希釈できないただの人間の自分の気配を、戦闘センスだけはピカイチで天才と評されるザップが気付かない筈がない。遠回しに諦めろと言っているのかもしれないな、というところまで考えて、案外冷静な自分がいることに気付いた。
ショックは受けている、受けているけれど頭の中だけは妙に冷え切っていて、ぼんやりと、それじゃあその内あの部屋から出て行くことになるのか、片付けに時間が掛かりそうだから事前に言って欲しいなぁ、なんて考えていた。
いつだったか忘れたけれど、それなりの家柄だということは聞いていた。言われてみれば立ち振る舞いは一般の成人男性に比べたら洗練されていたし─足癖とか色々上品とは言えない部分はあったけど─何より語学が堪能だった。クラウスと二人で何か国語か喋れるらしい、それは牙狩りとして各地を回っていたからだとずっと思っていたが、言われてみれば英才教育という奴だったのかもしれないなと納得した。スティーブンはあまり自分のことを話すのは好きではないので、全部人伝に聞いた話だったけれど、その時、思ったのは──多分、この関係は永遠ではないのだということで。
愛されている自覚はある、情報のために自分を切り売りするような人が何の変哲もない自分をこんなに長い期間、傍に置く理由はひとえに何かしら気に入っているからだということは理解していた。そして、これ以上ないくらい愛してきた。もうやめてくれよ、と言われるまで好きだと言ってきたし、愛されたがりなくせにいつもどこか諦めたような彼をいつだって抱き締めてきた。それでも、いつかこの関係は終わるのだろうと思っていた──あぁ、とうとう来たんだ、この日が。
スティーブンがお見合いをすることを了承したということは、つまりそういうことで。結婚する気がなかったら、多分彼は見合いなんてしないだろう。
震える指をぎゅっと握り締めて、最早彼のお見合いとは関係ないところで言い争っている二人のいる執務室へと向かった。勿論、何食わぬ顔で。そうしたら、ぴたっと動きを止めた二人がおかしくて、でも同じくらい申し訳ない気持ちが込み上げてきて、何も知らない振りをして首を傾げながら、こっそり苦笑した。ザップは絶対、自分がいることに気が付いていたと思うけどね。
:::
その日は、高級ホテルの中を歩いていた。スポンサーとの会食は、まぁ上々だろう。流石に確実に次の資金はアップ、とは言えないけれど、まぁ減ることはないだろうと言ったところだった。しかしながら自分でも気付いていなかったが、中々ショックは尾を引いているらしい。顔見知りのスポンサーに、元気がないね、なんて心配されたくらいだった。
あの日以来、スティーブンは何も言ってこなかった。彼の家に帰る度、二人っきりで過ごす度に、今か今かと怯えて暮らしていたからか、少し気疲れしているのかもしれない。もしかして、ザップの与太話だったのでは、と思わなくもないけれど、クラウスやギルベルトが嘘を吐くとは思えないから、やっぱり真実なのだろう。時期を見て話すつもりなのかもしれないな、と思いつつ、いつ言われても良いようにと彼の家に置きっぱなしになっている自分の荷物をこっそりと少しずつまとめていた。それに気付いているのかいないのか、スティーブンは何も言わない。いつもと変わらない顔で、いつもと変わらない愛情をくれた。嬉しくて、幸せで、けれど頭の片隅にはお見合いの文字があって、それでも面倒な女にはなりたくなくていつもと同じように笑った。そんな生活をもう一週間も続けているから、流石に心がすり減ってきているのかもしれない。仕事相手に心配されるなんて情けない、一層気を引き締めなくてはいけないな、と思った瞬間、見慣れた後ろ姿が目に入った。
見間違えるはずなんてない、癖のあるブルネットにすらっと伸びた手足、品良く仕立てられたスーツは今朝見送った背中と全く同じだった。思わずバッと柱に隠れてこっそり確認すると、やっぱりスティーブンで、傍らには上品そうな女性が立っていた。知らない人だ、いやスティーブンが自分の知らない相手と会っていることなんてざらというか、彼のハニートラップの相手を全て把握している訳は当然ないのだが、きっとあの人がお見合い相手だ、と確信していた。女の勘とでも言うのだろうか、何故かはわからないけれどきっとそうなのだろう。自分より少し大人びた上品そうな女性、彼の隣に立っても何ら遜色はない綺麗な人だった。
綺麗な女性と一緒にいる彼の姿は、残念ながら見慣れていた。たまたま街ですれ違い様に見かけたり、彼と歩いている時にバッタリ会ったことだってある。それなのに、この焦燥感はなんだろう。今までだって、勿論面白くなかったけれど、こんなにも心が揺れ動いたのは初めてかもしれない。嫌だ、やめて。そんな言葉が思い浮かんでぎゅっと胸が締め付けられる。それは、多分彼の表情がいつもと違ったからだ。
少しはにかんだ、穏やかな顔──その顔が大好きで、愛しくて、見ているだけで幸せになった。
他の女性といる時は澄ました余所行きの顔でいることがほとんどで、ライブラの皆といる時だって見られない顔だった。でも、二人でいる時には見れる弛んだその顔を、どうして今、自分以外の人に向けているんだろう。
ちょっと考えればすぐにわかる、もうそこは自分の居場所ではないのだということが。でもそれを認めたくなくて、受け入れたくなくて、抗いたくて、唇をぎゅっと噛み締めた。
不意に、女性が彼のことを手招きする。上品な彼女の幼さの残る仕草は、同性の自分から見ても可愛らしくて、それに素直に従って身を屈めた彼はこそっと耳元で囁かれたらしい言葉に破顔していて、どう考えてもお似合いのカップルそのもので。とうとう、涙が零れ出した。
やだ、やだよ──やめて、そんな顔を他の誰かに見せないで。
醜い感情が広がっていく。本当はずっと嫌だった、あの日、ザップとレオナルドが話しているのを盗み聞きした時から、ずっと嫌だった。物わかりの良い振りをして、諦めた振りをして、だけど本当はずっとずっと嫌で、多分それを認めてしまったらみっともなく泣き叫んで彼に縋ってしまうだろうから、きっと気付かない振りをしていたのだ。何がこの関係は永遠じゃない、だ。ずっと傍にいたかった、隣で笑っているのは、彼を幸せにするのは私だけがよかったのに。
もう何も見たくなくて、嗚咽が出てきそうで、気付かれたくなくて、その場に蹲る。ここが高級ホテルだとか、人の目があるとかもうそんなのどうでもよくて、ただこの衝撃を受け止めるのに必死だった。
いつまでそうしていたのだろうか、どくんどくんとやけにうるさい心臓の音だけを聞いていたら、ぽんっと肩を叩かれる。涙で濡れた顔をごしごしと拭って、心配してくれたのかそれとも他の客に言われたのか、わざわざ声を掛けてくれたホテルマンに礼を言って立ち上がる。確かに立っているはずなのに、なんだかふわふわしているような感覚だった。ホテルを後にする時、こっそり彼らがいた場所を振り返ったらもうそこに姿はなく、代わりに携帯電話にひとつ連絡があった。
『お疲れ様。仕事が終わったら、うちにおいで』
いつもだったら小躍りしそうなくらい嬉しいメッセージなのに、今日ばかりは残酷に見えた──なるほど、終わりの日は今日だったのだ。
さよなら、ワールドエンド
18/2/8