「俺の勝ち、だなぁ」
ニヤリ、そう表現するに相応しい笑みを浮かべてザップは言った。その宣言に、敗北という名の絶望を味わう。
思わず息を飲んで、頭を抱える。かっかっかと楽しげに笑う銀髪頭が本当に憎らしい。いや、そもそも原因は自分にある。いくらなんでも、安い挑発に乗らなければよかったのだ。もしも過去に戻れるのであれば、絶対にやめろと数分前の馬鹿な自分に忠告するのに。しかし、時既に遅し。時間はテープのように巻き戻らない。時間とは、全ての人間に等しく、残酷に過ぎ去るものだった。
「さぁて、」
下卑た笑みを浮かべる目の前の男の声に、びくりと肩が震える。
「なんでも、ひとつだけ、いうこと聞くんだよなぁ?」
威圧感たっぷりに、先程自分が宣告したことを復唱される。あぁもう、本当に馬鹿なことをいったものだ。いくら勝算があったとはいえ、これ相手にそんな危ないことを口走るなんて。穴があったら入りたい、いや寧ろ逃げたい。
「おいおい返事はどうしたよ。敗者は勝者に従うものじゃないのかなぁ?」
ゲスだ。レオナルドの呟きに大いに同意する。
そうだ、ふと名案が思い付く。レオナルドがいるのだから、多少逃げ道くらいは作って貰えるかもしれない。望みを込めて彼の方を向くと、ばっと思い切り顔を逸らされた。
「…」
「…」
神よ、一体どうしてこんなひどい目に合わせるのだ。全く信じていない神に恨み節を投げる、ついでにレオナルドにも。助けてもらえなかった八つ当たりだ、逆恨みともいう。自分がレオナルドの立場だったら絶対に同じことをする自信はあるので、言葉にはしないが。
「おい、シカトぶっこいてんじゃねーよ。返事は?」
「…」
「へ、ん、じ、はぁ?」
「……………………はい」
小さく、本当に小さく返事をしたのはせめてもの抵抗だった。しかし、それを目敏く聞き付けたザップは高笑いをする。そんなザップに心から思う、くたばれ。
「おっし、じゃあ、命令する」
あぁ、いよいよ。まるで死刑宣告だ。絞首台に向かう囚人のような気持ちで、次の言葉を待つ。今月厳しいのに。せめて賭け金全額支払いとかじゃなくて、食事を奢るくらいにならないかなぁ。
「──髪、洗え」
「……………………………はぁ?」
今日一番間抜けな声が出たのは、いうまでもない。
:::
ぴちゃん、と水が落ちる音がする。反響して耳に届くそれはやけに大きく聞こえる。
眼前に広がるのは、銀の髪。意外と手触りが良いのに驚いた。
「…おい、くすぐってぇよ。ちゃんと洗えバカ」
偉そうに。いや、実際今の立場はザップが上だった。
「バカっていう方がバカなんですぅ、力加減いかがですかー」
「いでででで!!!てっめ、引っ張ってんじゃねぇよ!髪抜けんだろこの貧乳!!」
「あ、弱かったですかーじゃあもうちょっと強くしますねー」
「てめぇ燃やすぞ!!!!」
強く怒鳴られて仕方なしに引っ張っていた髪を元に戻す。意外と柔らかな髪は案外ひっぱりにくかったのだが、ダメージは与えられたようだった。ざまぁみろ。
ザップの命令は単純なもので、本当にただ頭を洗うだけだった。見慣れた我が家の風呂場に、見慣れない銀髪に褐色の肌。違和感がある。当初は自宅にこの男を招くなんて冗談じゃない!と思ったものだが、よくよく考えてみれば彼の住まいに行くということは、つまりヤリ部屋に行くということで。それこそ冗談じゃない、何故わざわざ別の女性がいる前で彼の頭を洗わなければいけないのか。屈辱的過ぎる。そして妙な誤解もごめんだった。過去にザップを迎えに行った際に「ザップぅ、あんたこんな子にまで手ぇだしてんのぉ?」などという実に不名誉な誤解を受けたのは、未だに忘れていない。そんな訳で仕方なしに、本当に本当に仕方なしに我が家を解放したのである。
警戒しながら風呂場に案内したが、彼はパンツ一枚になるくらいしか特別行動は起こさず、大人しく湯の入っていない浴槽に身体を埋めていた。
洗い場に膝立ち状態で、銀髪に手を伸ばす。シャンプーを付けて、わしゃわしゃと暫く揉み込んでいる内にどんどんと泡が出来ていくのは、なんだか面白かった。
「かゆいとこ、ない?」
「ねぇよ」
真面目に頭皮をマッサージするように指先を動かしながら聞いてみると、なんともつれない返答だった。先程事務所で受けたような不遜な態度もない、妙に大人しい彼は少し不気味だった。
ぴちゃん。再度、シャワーコックから雫が落ちたようだ。静かな空間には、泡と雫の音しかしない。ザップから要望がある時はうるさくもなるが、そうでもなければ本当に静かで。なんだか、妙な気分だ。
「…ザップさぁ」
「んだよ」
「なんで、命令これなの?」
妙な気分ついでに、疑問に思っていたことをそのまま口にする。泡と水が入らないように目を閉じたまま、ザップは鼻を鳴らした。
「別にいいだろ」
「いいんだけどさぁ、絶対お金請求されると思ってたから、なんか変な感じ」
「今から請求してやろうか?」
「残念。いうこと聞くのはひとつだけですー」
けらけら笑うと、ザップは口をへの字に曲げた。やっぱり妙だ、いつもであれば売り言葉に買い言葉で自分の倍言葉を返してくるくせに。変なの、呟いてまた指先に力を込める。
項から、頭頂部。生え際からもみあげ。わしゃわしゃ、わしゃわしゃと自分で洗うより丁寧に、念入りに指先で擦る。時折具合はどうか聞いてみるが、んーとか、あーとか、そんな唸り声しか帰って来ないのでやめた。
「流すよー」
宣言して、蛇口を捻る。音を立てて流れてくる水で掌を覆う泡を一度落とす。
「お湯と水、どっちがいい?」
「あー…、水」
意外だ。人肌とかそういう面倒くさい注文をつけてくると思ったのに。言われるがまま、シャワーを引っ付かんで泡だらけの髪を優しく濡らしていく。弱めに流すのは、そちらの方が気持ちいいかなぁと思ったからだ。
「おわっ、なんだこれ、すげーぞわぞわする…」
「水圧強める?」
「いや、これはこれで…」
気持ちいいらしい。空いてる片手で、流し足りないところがないように軽く髪をすいていく。
生え際からもみ上げへ。頭頂部から項へ。洗った時とは逆に流していく。優しく、優しく。洗った時の倍、時間が掛かってしまったのは水圧にあわせた力加減を意識していたからだ。
「はい、終わりー」
「おう、拭け」
「わかってるよ、うるさいなぁ」
きゅ、と蛇口を閉めてから、かけていたタオルで銀色の頭を包む。自分の身体も思ったより濡れてしまっていたので、これは後で着替えなくてはいけないなぁと思う。まぁどうせ濡れてもいいように選んだ格好なのだが。
わしゃわしゃ、わしゃわしゃ。先程より強く、水気を抜くために手を動かす。柔らかな筈のタオルなのに、先程まで触れていたザップの髪の方が柔らかい感じがした。
「はい、おわりー」
「おー大義であった」
「なにその偉そうなキャラ」
笑いながらタオルを引いて、彼の頭を解放したその瞬間。ぱちりと瞼を開けたザップと目が合う。数秒、射抜かれたように動けなくなったのは、何故だろう。
「…」
「……なに」
「いや、別に。なんでもねぇ」
あー首いてぇ、とザップが動き出して、ようやく自分も目を逸らして、体勢を整える。首をぐるりと回して立ち上がるザップ。今更だが結構いい身体してるな。
「みてんじゃねーよ」
視線に気づいたのか、しっしっと手であしらわれた。別に好きで見てた訳じゃない、たまたま目に入っただけだ。
「…お前結構濡れたのな」
「うん、あんたのせい」
「てめぇが下手だからだろうが」
時間掛かりすぎなんだよ、とかわいくない言葉を投げられてむっと唇を尖らせていると、目の前に手が。
「……なに?」
「いつまで座ってんだよ」
「あぁ、なるほど」
珍しい。どうやら膝立ち状態の自分を起こしてくれるようだ。有難くその手を取って立ち上がろうとした、その瞬間。
「へっ?」
「はぁ!?」
つるり、残っていた泡に滑ったのか、濡れた床に滑ったのか。今となってはわからない。
「いったた…」
「──痛ぇのはこっちだ、バカ」
頭の上から降ってきた言葉に、驚いて顔をあげるとすぐそこに不機嫌そうなザップの顔。どうやら、一緒になって倒れ込んでしまったようだった。手元はザップの腹辺りで、なんだか押し倒してしまったような、そういう姿にも見えた。
いやいや、そんな怖い顔しなくとも、事故なんだから仕方ないじゃないか。普段であればそうすらすら出てくるのに、あまりに近いその距離に、思わず息を飲む。
「…あ?お前、なに顔赤く……」
言葉を紡いでる途中で、この体勢に気付いたらしいこの男はにやぁと嫌な笑みを浮かべた。まずい、このままではいけない。
「ははぁん?おっまえ、何処女丸出しの反応してんだよ、ハズカシー」
殴りたい。殴りたいが、指摘されたのは事実なので仕方ない。
悔しくさの余り思わず唇を噛み締めつつ、慌てて身体を離そうとしたその瞬間。ぐい、と腕を捕まれて勢いのまま、その褐色の肌に飛び込んでしまう。
「、へ?」
「教えてやろうか」
──セックス。耳元で低い声が聞こえた。バカじゃないの、ふざけてんの、いい加減にしろ。色々と言葉が浮かんできたが、取り敢えずばっと掴まれた腕を振り払って、
「ばっ、ばば、ば、バーカ!!!」
と叫んで逃げた。うそだうそだうそだ。今のはびっくりしただけで、誰だってあんな体勢になったら冷静に対応出来ないだろうし、別にドキドキとかしてないし!誰にいうでもない言い訳が頭の中を支配して、とにかく無我夢中に走って走って走って、結局事務所まで戻ってきてしまって、我に返ったのは、たまたままだ残っていたレオナルドの声を聞いた時で。
「さんどうしたんすか?っていうかザップさんは?」
そんなの聞きたいのはこちらの方だ。
「……レオくん」
「はい」
「…わたし、だめかもしれない」
「は?いやいやなんなんすかこれ!」
レオナルドの声が響く。家に置きっぱなしのザップのことを、どうしたら忘れられるだろう。というか、どうやって家に帰ろう。
そんな途方もないことを考えている時に、自宅に取り残されたザップが、
「──あー、キスくらいしときゃあよかったか?逃げてんじゃねーよ、ターコ」
と一人呟いていたことは、知る由もない。
シャワールームの誘惑
15/06/01