どっかーん。
まるで漫画や映画のような轟音が響く。音に驚きはしたものの、こんなものは日常茶飯事でパニックは起こらずその音の中心に野次馬達は嬉々として集まっていた。それは自分も例外ではない。いや、嬉々としてはいないだろう、何せここは自宅のすぐ近く、被害がそこにまで及んでいないかどうかの確認をしたいと思うのは人として当然の行動だ。
野次馬を掻き分け、なんとか音の中心を確認出来たその時。
「よぉ
なんて、のんきな顔をした男が手をひらりと振っていた。出会った頃から相変わらずの血まみれの具合にさぁっと血の気が引く思いをすることもなく、呆れた顔でひらりと手を振り返す。
「ハロー、ご機嫌は麗しくなさそうだね」
「おう、なんかすげー勢いで絡んでくるからよー取り敢えず斬った」
取り敢えずで斬られたらたまったもんじゃない。
やれやれ、と溜息を漏らしてみたが、彼はそんなものどこ吹く風と言わんばかりにしれっと斬られたせいか気を失ってる相手を蹴り飛ばしていた。お前は鬼か。
「ザップさ、もう少し忍耐ってものを磨いた方が良いと思うよ」
「はぁ?一応俺だって我慢はしたっつーの、それなのに勝手に俺の限界を超えてくるこいつらが悪ぃんだろ、被害者は俺だよ俺」
「我慢って何秒?」
「端から秒単位で聞いてくんのか、信用ねぇな」
「…まさか、一分持ったの?」
「持つか。十秒で撫で斬りしたわ」
それはそれは。相手もまさか絡んで十秒で斬られるとは思ってもいないだろう。哀れな加害者、いや被害者に思わず手を合わせた。せめて地獄ではこういう男に当たらないことを願うばかりである。
そんなのんきな会話をしていると、不意にサイレンが鳴り響く。そりゃあそうだ、これだけの轟音にこれだけの野次馬なのだから警察が来ても遅くはない、というか遅いくらいだ。いつだって警察は、事件があってからじゃないとその重い腰をあげない。しかし、今回ばかりはその重い腰に感謝をするべきだ。
「ザップ、ついて来て」
「なんで」
「良いから。取っ捕まりたいの?」
「んな訳あるか!」
「じゃあはやく、もうすぐポリスーツ来ちゃうって」
チッ、と大きな舌打ちをひとつして、ザップは不貞腐れたような顔を隠しもしないで後に続いた。お決まりの葉巻をくわえて、気に入っているらしいジッポで火を点ける。黙っていれば絵になるのに、口を開けば悪態混じりの話ばかりなのだから勿体ない。だがしかし、それも彼の魅力だろう。それがないとこっちの気が狂ってしまいそうだ、そんな友人をかくまうために帰路を急いだ。



:::



「今タオル持ってくる、汚れてるそれは洗面台に置いて」
「…おう」
現場からそう遠くない我が家に到着すると、ザップは妙に大人しくなった。不遜で横柄がデフォルトの彼にしては珍しいが、慣れない場所は落ち着かないのかもしれない。まるで猫のような習性の男に、なるべく暗い色のタオルを探し出し、ぽんっと投げ渡した。無様に顔面でキャッチ、なんてことはある筈もなく、事も無げに片手で掴み取ったそれで拭いていた。その運動神経は尊敬に値するものだが、口に出したことはない。付け上がるに違いないからだ。
「コーラはないからコーヒーで良い?それとも紅茶?」
「コーヒー」
「了解、適当に座って待ってて」
上着を洗面台に置いたのを見届けてから、台所へと向かう。ザップは大人しくベッドに座っていた。そう広くもない部屋だったが、ベッドマットにはこだわったから、きっと彼も座り心地に満足するだろう。
ザップが待ちかねて不平不満を言い出す前にと、手早くコーヒーの準備を進める。職場でも家でも、誰かが代わりにやってくれるなんてそんなことはないので、手慣れた作業だった。物の数分で出てきたそれに、彼はアイスブルーの瞳をまんまるにしながら見つめ、すこしばかり慎重に口に運んだ。
「──うめぇ」
「マジ?」
「マジだよ、こんなことで嘘つくか」
ほっと、胸を撫で下ろしたのは、思っていた以上に緊張していたからだ。いや、人にコーヒーを淹れるなんてそれこそ日常茶飯事なのだけれども、彼に淹れるのは初めてだからか、妙に緊迫感があったのだ。
ソファなんてない部屋だから、座ろうとすると自然にザップの隣となる。ぼすん、とベッドマットが弾む。カップの中のコーヒーも揺れた。
部屋に沈黙が走る。コーヒーの香りだけが充満している筈なのに、何故か妙に煙草の苦さが鼻につく。部屋に入ってから、彼は葉巻を口にはしていない。変なところ律儀な彼は喫煙者でないこちらに遠慮してか、玄関先で火を消していたのだ。だからこれは、彼の服に染み付いたものなのだろう。そんなに近い距離でもない、ましてや彼の方を向いてる訳でもない。だが、それが嫌ではない。寧ろ心地よさすら覚える、理由はわからないけれど。
「なぁ、」
ぼんやりとそんなことを考えていると、不意に隣から声が掛かる。何かと思って振り向くと、予想外に顔が近かった。吐息を感じるか、感じないかくらいの距離。いくらここがヘルサレムズ・ロットだろうが、ただの友人が取る距離ではなかった。一歩、後退るようにしてベッドを移動する。そうするとすぐに詰められるから、また一歩、一歩と後退していく。そうこうしている内に、とん、とヘッドボードに肩肘が当たるから、たぷんとカップの中のコーヒーが揺れた。
「お前さぁ、馬鹿なの?」
そうして追い詰めてきた本人からそんな唐突な言葉が降ってくる。
「簡単に男を部屋に連れ込むから、こういうことになんだよ」
カップを持つ手が褐色の掌を覆ってくる。
「こういうことになんの、想像もしなかったのか?」
吐息が、唇に当たった。身を退こうにも退く場所がない、逃げ場がない。でも、不思議と逃げようと思わなかった。
「……逃げねぇの」
「だって──ザップは何もしないでしょ」
「、は」
ばかじゃねぇの、と言葉を失う彼は、がっくりと項垂れた。ばかと詰られても、想像しなかったのかと怒られても、こちらは大いに頷く他にない。だって、ザップ・レンフロという男は何もしないからだ。
確かに、この男はクズだ。数多の女性の下を転々とするヒモ生活の上、賭事も好んでいるらしい。後輩だという少年には非道なことばかりを突きつけている。短い付き合いながら、これだけの悪童っぷりを見せつけられているから、流石に真人間だとは思わない。でも、それでも。
「あなた、善人じゃないけど、悪人でもないから」
どんなにクズで、下半身にだらしがなくて、すぐにぶちギレる男だろうが。
「──いい人なんだよね、基本的に」
これに限る。
初対面でガキだと言われた。けれど次に会った時にはきちんとハンカチを返そうとしてくれていた。妙なところ律儀で、妙なところ恥ずかしがる男。そんな彼だから、今のもきっと本心からではなく、不用心なこちらを心配していたからだろう。意外と面倒見が良いのだ、だからあの後輩もなんだかんだ言いながらザップのことを慕っているのだろう。あまり深くは知らない、だけれど、こういう時に何も言えず何も出来ずに項垂れるばかりの人をなんというかは知っていた。
「心配してくれてありがとう」
「…別に、そういうんじゃねぇよ」
「うん、でも、言いたかったの」
「そーかよ」
不貞腐れたように唇を尖らせて、そっぽを向く彼はひどく可愛らしかった。くすくすと思わず笑みを溢すと、益々不機嫌そうになって、ごくごくと喉を鳴らしてコーヒーを飲んでいた。カップをおざなりにサイドテーブルに置いて、ぼすんとベッドに仰向けとなる。
「あー馬鹿らしい、やめだやめ!」
「でもちょっとかっこよかったよ。ああやっていつも口説いてるの?」
「んな訳あるか、調子乗んな」
「なんだ、残念」
「はぁ?!っあー、もう、黙って飲んでろそれ!」
「はいはい」
くすり、自然と笑いが込み上げてくる。案外可愛らしい年下の友人はシーツにくるまって、すっかりベッドを我が物顔で使っていた。それも不思議と嫌じゃない、寧ろ可愛いな、とさえ思う。
コーヒーを飲んだら、彼の上着の染み抜きをしよう。そうしたら乾くまでの間にまた一杯コーヒーを淹れてやろう。今度はもう少し味わって飲んでくれるだろうか、そうしてくれたら嬉しいと思う。だって、その間はずっと話が出来るから。


コーヒーブレイク

16/1/10