セックスが好きだ、と言う男がいる。
何が好きなのか、と問えば、生きている感覚を味わえて面白ぇ、と粗雑な答えが返ってきた。
自分もセックスは好きだ、ただ彼とは違う意味で。セックスと言えば子作りの一環、愛情の確認方法など、様々な理由が上げられる。自分は人恋しいから、と告げたら、彼は目をまんまるにして、それから笑った。その日から、彼──ザップ・レンフロと身体を繋げることになる。
身体が弛緩している。絶頂後はいつもそうだ、なんとも言えない倦怠感、そして高揚感。クスリをやっている時に似ている、だから人は大枚を叩いても手を出すのかもしれない。生憎、自分は相性が悪くて余り手を出したことはない。ベッドに横たわったまま髪をかきあげて葉巻を吸っているザップは、色々な種類のそれに手を出してはいた。しかしながらそれを強要されたことはない、見た目や中身に反してそういうところは誠実な男だった。どんなに金や女にだらしなくても彼の隣が埋まっているのはそういったところにあるのだろう、自分も漏れなくそうだ。
「ねぇ、ザップ」
声を掛けたが、こちらなんか見向きもしないで、窓の外をぼんやり見つめながら紫煙をくゆらせている。それに特別気分が悪くなることはない、いつものことだ、セックス後に噛み締めるように葉巻を吸うのがザップは好きだから。
「あー?」
それに、返事はくる。こう見えて案外律儀な男なのだ。この間だって、葉巻を切らしていたので代わりにと紙巻き煙草をやったらご丁寧に葉巻を一本寄越してきた。葉巻は吸わないし、そもそも一本ごとき大したものではないのに可愛い男だ。記念に飾ったら嫌そうな顔をされたので、引き出しにしまっておいた。彼が来ない日はなんとなしに引っ張り出してくわえてみたりもする、何か意味がある訳ではない、ただなんとなくそうしてみたかったのだ。
「今日、泊まっていく?」
「…あー」
言葉を濁すのはわかっていた。その上で敢えて尋ねたのだから、意地の悪い女だ。別に責めたい訳でもいじめたい訳でもない、単純に面白いからだ。
さっきまでこちらなんてお構いなしで葉巻の味を堪能していた彼はガシガシと頭を掻いて、ぐるりと首を返して、なんとも得難い顔で一言。
「帰る」
と宣った。帰る家など持ち合わせていない癖に、と返してやろうかと思ったが、流石に可哀想だろう。そう、と一言返すと、ほっとしたようにまた窓際に向き直る。わかりやすい男だ、そこが可愛く思えるからずるいとも言える。
ついこの間まで、こんなことはなかった。ザップ・レンフロという男のクズを極めたような人物は根なし草宜しく女の家を渡り歩いていた。勿論我が家もその中のひとつで。それなのに、ある日を境にぱったりと渡り歩くことをやめた。そう、ある家に定住し始めたのだ。その家がどこか、どういう理由で帰るのか、はたまたどんな女が住んでいるのか、皆目検討が付く筈もなく。でも不思議とそれを問い掛ける気にはならなかった、寧ろ喜ばしいことではないかとさえ思った。そういった奇妙な女は少数派らしく、何軒かの家を素っ裸で追い出されたというのは噂で知った。彼自身の口からそのことについて愚痴が零れないのは、意外なようでいて当然だと思った。
「ねぇザップ」
「あんだよ」
「私、最近のザップ好きよ」
「お、おぉ…?」
唐突な言葉に、背中を向けたままの彼は緩く首を傾げる。どういう脈絡なのか、そもそもの理由はなんなのか。顔を見なくとも、言いたいことはなんとなくわかる。それだけ彼と関係を重ねたのだ。
「わからなくていいの、でも好きよ」
「そりゃ、ありがとよ」
くるりと振り返った顔は、相変わらず男前で。これで中身がもっと伴っていたら、それこそ引く手数多だろうに。でもそういう彼が気に入っていた、ただ良い男なだけではこういった関係には向かないだろうし、苦しいのはごめんだった。
「ねぇザップ、あたしこないだ街でアンタを見掛けたわ」
「ほー」
「女連れだったわね」
「ぶっ」
げほ、ごほ、とわざとらしいくらいに大きな咳が聞こえてきたと思ったら、だらだらと冷や汗が滲んでいた。ぷ、と思わず笑うと訝しげに眉が寄ったが、それでも今後何をどう口にすれば逆鱗に触れずに済むかと必死に考えているらしい彼は何も言わずにただ面白い顔のままこちらを見つめていた。流石に少し哀れになって、弁明をする。
「別にアンタに女がいようが今更どうでもいいのよ、あたしはザップとのセックスが気持ちいいからこうしてるだけ、そこに惚れた腫れたなんてないの。だからそんなに怯えなくていいのよ」
「お、怯えてなんかいねぇよ!」
「嘘、こないだヘレーネに追い出されたのがよっぽど堪えたみたいね」
「うるせぇ!!」
ぎゃんぎゃんと騒ぐ彼は目を白黒させているから迫力なんて微塵もなくて面白い。けらけらと笑っているとみるみる間に不機嫌になった彼は子供宜しく仏頂面下げて葉巻を口にくわえた。
「で、なんだよ、俺が女連れだったからってお前にゃ関係ねぇだろ」
動揺から立ち直ったらしい彼は不遜にそんなことを言ってのけた。こういうことをするから追い出されるというのがどうにも理解出来ないらしい。だから日に何度も修羅場を体験するという摩訶不思議な日常を送る羽目になるのだ。教えてやらないけれど。
「そうね、別に関係ないけど気になって」
「はぁ」
「先週その子に声かけちゃったのよねぇ、ついでに忘れ物も渡しちゃった」
「!!??!!?」
「あらヤダ、面白い顔」
動揺に動揺を重ねた顔はそれはもう愉快で。けらけら笑うと、また冷や汗を掻きながらザップはようやくこちらに向き直った。しかも、正座で。
「キャシー、お前、なんつーことしてくれたんだよ…!」
「喧嘩でもした?」
「してねぇよ!」
「ヤダ、見放されてるの?ザップったら可哀想、捨てられるのも時間の問題ね」
「ちげーよ!捨てられねぇし!お陰で先週は最高に可愛いアイツが見れたよドウモアリガトウ!!」
「あら、ダシにされちゃった?それはそれで面白くないわねぇ」
「ばっ、おまっ…もうほんとめんどくせー」
からかいが過ぎたのか、ひときしり騒いだところで彼はガシガシと頭を掻いていた。いつの間にか葉巻は消えていて、部屋に充満した葉巻の匂いが鼻腔を擽った。
「その子のこと、好きなの?」
返事はなかった。押し黙ったまま、神妙な顔で俯いているくせに彼の瞳には迷いはなかった。目は口ほどに物を言うなんてよく言ったものだ。
「帰る場所が出来たなら、大人しく真っ直ぐ帰れば良いのに」
「うるせぇ」
「捨てられちゃうわよ」
本音だった。せっかく出来た安寧の地を、自らの行いであっさりと手放すような真似をしている彼が不可解だった。別に自分はザップに恋などしていない、独占欲もなければ執着心もない。ただ重ねる肌が存外心地よいこと、行いに反して律儀な彼が気に入っていた、だから敢えて突き放す。今まで彼がただの一度も本気になったことなどなかったから。
「好きなんでしょ?」
だったら、その女のために操立てくらいするべきだろう。
矢継ぎ早の責めが煩わしいのか、苦虫を噛み潰したような顔をしている。だがそんなものは関係ない、寧ろこんなに優しい言葉だということに感謝してほしいくらいだった。
「、俺だって」
ぽつり、呟いた声は驚くくらいに頼りなくて。いつも自信たっぷり、不遜な彼には似つかわしくない声音だった。驚いて目を丸くしたが、そんなのお構いなしで彼は続けた。
「俺だってそうすっかなって思ってたよ」
「…ザップ」
「でも辞めるのもなんかしっくり来なくて、続けてたらあいつ、こう言いやがった」
見据えた瞳は、不貞腐れたような、置いてけぼりを食らったような色がありありとしていて。
「そういう俺が好きなの、だってよ」
はっ、と鼻で笑った姿は、見栄を張っているのがバレバレだった。頼りなさげなその肩を抱き締めてやる、先程まで合わさっていた筈の肌は驚くくらいに冷えていた。
「馬鹿ねぇ」
「…うるせぇ」
「ザップじゃないわよ、…いや、結局どっちも馬鹿か」
「は?」
ぽんぽん、と優しく背中を叩いてやる。抵抗もせずにそれを受け入れている彼は瞳を丸くして首を傾げた。そんな顔をしていると歳よりよっぽど子供に見えて可愛らしい。
「不器用ね、アンタもその子も」
ただやめてと言えばそれで済むのに。胸に抱きついて泣いてしまえばそれで終わりになるというのに。彼女はしなかった、寧ろ受け入れてしまった。最初から好きになったのはこういう男なのだと、その男が自分のために変わるなんて、極々ありふれたことを拒否したのだ。これを馬鹿と、不器用と言わずになんと呼ぶのだろう。苦しいだろうに、嫌だろうに、簡単に済ませることを望まなかったのだ。自分には到底出来やしない、あまりにも純粋な行為。
ふ、と思わず笑うと、意味がわからないと言いたげな視線が飛んで来る。全くこれでもわからないなんて、この男はとんだところでポンコツだ。今まで何人もの女を渡り歩いて来たというのに、肝心なところでその機微はわからないのだろう。そこが可愛いところだが、それを言ったら調子に乗るに違いない。
「お似合いよ、アンタ達」
彼女は変わらなくていいと望んだ。そしてザップはその通りにしている。その内罪悪感でいっぱいになるだろうか、否、この男にとってセックスなんてものは愛の証ではない。ただの生存確認、カジュアルきわまりない代物だ。だがそれもその内物足りなくなる。その時どうなるか、この男がどうするのか、見物だろう。
「あの子とはやくセックス出来るといいわね」
「なっ!?」
してないのは丸わかりだ。していたらこんなことしている筈がない。けらけらと笑うと不機嫌になったらしい彼にベッドに押し倒される、痛くはない、ギシッとスプリングが鳴った。
「てめぇキャシー、覚えとけよ」
「やだ、ザップったらこわぁい」
「わざとらしいんだよ!」
そのままじゃれ合うようにしてセックスに雪崩れ込む。その内こんなことがなくなるのか、なんて不安はない。なくなったらなくなったでそれなりに寂しいのだろうが、恐らくそれはあり得ない。何せ彼女はザップ・レンフロという男自身を、その人生を愛してしまったのだ。あまりにも純粋で、あまりにも真っ直ぐなその気持ちに名前を付けるとしたら、陳腐にもそれは愛と呼ぶのだろう。


愛と呼ぶにはあまりにも

16/6/19