花、花、花。
今や我が家は花だらけである。別にフラワーアレンジメントに目覚めた訳ではない、花瓶だって元々ひとつしかなかったのにどんどん増えていくから買うようになってしまった。ローテーブルにひとつ、ベッドのサイドテーブルにひとつ、玄関先にひとつ、エトセトラエトセトラ。大小問わず、花が散乱している。いや確かに部屋に彩りはあってもいいかもしれないなんて思ったけれど、これはいくらなんでもやり過ぎだ。
原因は、勿論ザップにある。いや、断れない時点で自分にも少しは非があるのかもしれないが──あの根無し草は何がどうしたのかあの日以来、花を贈ってくるのだ。
嬉しくないと言ったら嘘になる。どんなものでも彼にもらったら、それなりに喜ぶ自信はある。そもそも人からプレゼントされて嫌な気持ちになる人は早々いないだろう。ただ、限度っていうものがあるのではないか。ほぼ連日プレゼントされるお蔭で、どこぞの小さな花屋かと思うくらい部屋には花が溢れかえっている。お礼にしては、もう飯代は十分賄えていると思うのだけれど、彼の真意はよくわからない。
花瓶を買い足した時に一度、もうお花は大丈夫だよ、と言ったことがある。お礼なら十分だから、というつもりで口にしたのに、彼と来たら拗ねたたような顔をして、
「嬉しくねぇのかよ」
なんて言うから困ってしまった。
曰く、最初に渡した時は嬉しそうに受け取ったじゃねぇか、ということで。
いや、嬉しくないとは言ってないし、確かにあの時はものすごく嬉しかったけれど。そうじゃなくて、と続けようとしたところでピーとお鍋に呼ばれてしまったのでその時はそのままになってしまった。タイミングが悪いことこの上ない、その後も結局話をすることはなかった。そうして今日に至るまで、花を贈られ続けているのだ。
それと、ここ最近になって毎日のようにここを訪れる彼は、一体何を考えているのだろう。暇な訳ではないだろう、来訪してそのままご飯を食べていく日もあったが、ただ単に花を渡して帰ってしまう日もあった。その後、どこに行くのかは知らない。口説いている女の人のところに行くのか、それとも別の理由か。
そういえば、ザップのこと、何も知らないなぁ。知ってることといえば、喧嘩がやたら強いこと、一応仕事らしいことはしていること、賭け事を嗜んでいること、よく怪我をすること、女の人にしょっちゅう電話を掛けていること、それくらいだ。あとは好きな料理とかそういう些細なことで、知っている部類にも入らなそうなものだった。連絡先はこないだ教えてもらったが、送られてくる内容ときたら晩御飯のメニューくらいだから、やっぱりなんというか妙な関係だと思う。
それにしても随分都合の良い女になっているなぁと思う、と言ってもしていることはただ料理を作っているだけなのだが。
本当になんなんだろう、この関係は。そもそもなんでザップはここに来るんだろう、別に目新しいものはないし、特別料理が上手い訳でもない。前はタダ飯を食らいに来ているのだろうと目的がはっきりしていたが、今は花なんて持ってくるから、奴にメリットはあまり感じられない。考えたところで納得出来るような答えは出ず、今日も今日とてアパートで彼のための料理の下ごしらえをするのだ。ご丁寧にこちらの仕事終わりの時間にメニューのメッセージが飛んできたから、今日はどうやらご飯を食べていくらしい。今日はゆっくり出来るのだろうか、最近はずっとすぐに帰ってしまっていたからもしかしたら久しぶりにきちんと話せるかもしれない。花を贈ってくる理由を聞けるかも、なんて思いながら彼が来るのを待っていた。
「おーっす」
呼び鈴を鳴らしたと思ったら無遠慮に扉を開けて上がり込んでくるこの男は、妙なところ律儀というかなんというか。いきなり入ってこないのは、気を遣っているからなのかどうなのか、でも呼び鈴を鳴らすくらいならこちらが応対するまで待ってくれてもいいだろうに。以前は確かちゃんと待っていたような気がするのだが、いつの間にかこんな来訪になっていた。なんでだ。
文句を言ったところでどうせ聞く訳がないので、諦めて出迎える。すると、珍しいことに今日は花束を持っていなかった。代わりに、ビニール袋を差し出される。思わず受け取ると、当然だが花束なんかより断然重い。中身を見るにどうも酒のようだった。
「どうしたの?これ」
「飲むんだよ」
「誰が?」
「お前が」
ははぁ。なるほど、今度は酒と来たもんだ。花束よりよっぽど色気はなかったけれど、有難いことには変わりなかった。何せ酒は消費出来る、どうせザップのことだから自分のことも頭数に入れているのだろう。これくらいなら、2日あれば消費出来そうだ。料理に使えそうなワインが入っていなかったのは残念だったが、それでも嬉しいものは嬉しい。
「ありがとう、ザップ」
にこっと笑いながらお礼を言うと、おー、なんてつれない返事だったが、それでも少し満足そうに口許を弛めていたのは見逃さなかった。素直なようでいて素直じゃないところがあるのだ、可愛い奴め。
テーブルにごそっとそのまま置いたから先に飲んでいればいいのに、妙なところ律儀な彼は手を付けずに大人しく待っていた。料理が出来上がってようやく二本ビールを取り出す姿は猫というより犬っぽくて、思わずくすりと笑みが零れた。
「乾杯!」
そんなお決まりの掛け声と共に二人だけの宴会は始まった。と、言っても大して豪華な料理もないのだけれど、それでもザップは満足そうに食べて飲んでと忙しそうだった。かく言う自分も彼とご飯を食べるのは楽しくて、おまけに今日は酒まで用意されてるものだからついつい飲み過ぎてしまっていた。普段、外で飲む時はセーブして飲むくせに、今日はなんだか浮かれて次々と空けてしまっている。あぁ、これは明日起きた時に辛いだろうなぁ、とぼんやり考えた頃にはもうすっかり出来上がっていた。
からん、とグラスの中の氷が揺れる。ふとした沈黙、でも居心地が悪い訳じゃない。穏やかな時間だ、彼とこんな時間が過ごせるなんて出会った頃は思いもしなかった。
不意に彼がごそごそと上着のポケットから小さな箱を取り出したかと思ったら、ずいと差し出される。
「なに、これ?」
問いかけに答えはなく、彼は無言のままだった。どうやら、いいから受け取れ、ということらしい。普段はよく喋るくせに、こういう時だけ寡黙になるのは何故だろうか。
首を傾げながらも受け取って、綺麗な包装を解くとそこに現れたのは華奢な細工があしらわれたピアスがあった。綺麗だ、そして高そうだった。
「…くれるの?」
ぷい、と顔を背けたまま小さく頷く彼の姿に、ぶわっと嬉しさが滲み出る。いそいそと今付けているシンプルなピアスを外して、大事に大事に箱の中のそれを付ける。ちゃりっと揺れるそれは、大人っぽいけれど可愛らしかった。
「似合う?」
口許を思いっきり緩めながら問い掛けると、ようやく顔をこちらに向けた彼が真っ直ぐにこちらを見つめて来るから、ドキッと胸が騒ぎ出す。なんだか妙に恥ずかしくなって、えへへ、なんて笑いながら頬を掻いた。
「でも、なんでこんな高そうなの──」
くれるの?と続けようとした唇は、呆気なく塞がれた。柔らかな感触が一瞬唇に触れた、鼻腔を擽るのはほんの少しの煙草の匂いとアルコールの匂い。何をされたのか全く理解出来ずに目を丸くして、普段以上に近いところにある彼の顔を眺めた。
いつになく、真剣な顔。あぁ、本当に黙ってると美形なんだなぁと思う反面、いつもみたいに喋ってる方が好きだなぁ、なんて思いながらドキドキうるさい心臓を誤魔化す。今、何をされた?
そうだ、キスされたんだ。触れ合うだけの、子供じみたキス。でもびっくりするくらい優しくて、びっくりするくらい嬉しいのは、なんでだろう。
「…わかんねぇの?」
何が。キスされた理由?それともプレゼントされた理由?わかるはずがない、わかろうともしてない。だって、この関係はただの友達で、そういうものではないはずなのに。
とん、と肩を押されて、ソファ代わりに使っていたベッドに勢いのまま倒れ込む。ぼすん、と身体を受け止めてくれたベッドは柔らかかった。起き上がろうと背中を浮かしたら、いつの間にか覆いかぶさって来たザップの髪がさらりと頬に当たった。
「わかんねぇなら──教えてやるよ」
まるで吸い寄せられるようにして、また口付けられる。触れるだけの、どこまでも優しいキスは、逃げれるものなら逃げてみろと言わんばかりで。
まずい。これはまずい。そう思うのに身体はちっとも動かない。酒に酔ったせいで思考がまとまらない。なんで?どうして?疑問ばかりが思い浮かんでまともな抵抗など出来やしなかった。
「ま、待って」
顔中に優しく降って来た唇が首筋まで到着して、大きな掌が服を脱がそうとしたところで、ようやく彼の肩を掴めた。抵抗ともいえないような微弱なそれだったが、意外にもザップはぴたりと動きを止めた。
「…」
「…」
沈黙が訪れる。先程と違うのはどうしよもなく居心地が悪いということだ。彼も喋らなかったし、こちらも何を言えばいいのかさっぱりで。
頬が熱い、多分酒の所為だけではない。見上げると、いつになく真剣な顔をした彼の瞳が熱っぽく揺れた。どくん、どくんと心臓は早鐘のようで、頭はぼーっとして、どこか寂しげな彼の顔が目に入って、あぁ、もうまずい。
「──、」
甘い甘い、低い囁き。それはねだっているような、誘っているような、甘美な響きで。
そろり、と衝動のまま伸ばした指先は褐色の頬を撫でた。存外柔らかいそれは、あたたかくて、心地よくて、もう何もかもがどうでもよくて。背中を浮かして、半開きの唇を塞ぐ。触れるだけのそれを離したら、すぐに彼からまた口付けられる。ぬるりと舌先が潜り込んで来て、熱い舌に自らも舌を絡ませた。
もう、何も考えられない。何もかもがどうでもいい。どうしてこんなことするの?とか、私のこと好きなの?とか、遊びのつもりなら嫌だよとか、色んなことが駆け巡っていたけれど、取り敢えず今は──ただ目の前のこの男を感じていたかった。
あなたのことがわからない
17/11/22