この街はなんだって起こる。いや、この街に限らず世界はなんだって起こる。そんな、どこかで聞いたような言葉がぐるぐる頭を駆け巡る。
非日常が日常になる街ヘルサレムズ・ロットに身を置く人間としては、この程度で驚いては生きていけない。生きてはいけないのかもしれないが、それでもこれは、驚かざるを得ないのではないだろうか。
「あの、えっと、すいません、ほんっとすいません、大丈夫っすか?」
「だ、大丈夫…だと思う、です」
妙な言葉遣いになってしまうのも、仕方ない。糸目の少年は、あぁもうやっべーよどうすんだよあのSS先輩めぇ、ともう既にここには居ないであろう人物に文句を口にしていた。残念ながらそんな彼を気遣う余裕は今の自分にはない、申し訳ないが暫くそのままに煩悶して頂く他にないだろう。名も知らない少年が悩んでいるのは、恐らく自分のせいなのだろうけど、今はやっぱり呆然とするくらいしか出来やしない。轟音が響き渡る街中、いや瓦礫の中で、目の前で起こっている不可解な行動に目を丸くするだけで精一杯だった。
少年が示す銀髪の青年は、ここから十数メートル離れたところで剣を振り回していた。その赤い剣は、恐らく血液なのだろう。どういう仕掛けかはさっぱりわからないが、先程目の前で血が剣に型どられていたからやっぱり血液なのは間違いない。そしてその刃先は異界のものに向いている、切っても切っても再生しているそれは、中々どうして倒すのには時間が掛かりそうだ。この街がヘルサレムズ・ロットと名を変えてから色んな目にあってきたが、ここまでなんというか、すっとんきょうなのは初めてかもしれない。瞬きを繰り返しながら、ぼんやり目の前の光景をただ見つめていた。
そもそも、どうしてこんなことになったんだっけ──話は、一時間前に巻き戻る。
普段通り仕事をしていた今日、打ち合わせが終わったからと休憩がてらカフェに寄ったのが悪かった。いや、カフェに寄ったのは悪くない、問題は出た時間だった。あともう5分遅く、いやあともう5分早く出ていれば、恐らく今頃職場に戻って書類整理に勤しんでいたことだろう──あぁ、そういえば職場に連絡していないや、きっと今日はもう戻れないだろう、それどころか生きて帰れるかすら危ういと頭の中だけは妙に冷静で、この非日常を日常と捉えていた。
もぞもぞと鞄の中を漁って目的のものを取り出すと、電源をオフにしたままだったことに今更ながら気が付く。慌ててスイッチを入れると、着信履歴がものすごいことになっていた。電源を切っていても履歴って残るもんだなぁと感心しながら、取り敢えず職場へ繋がるボタンを指先でなぞった。
「…あ、もしもし?です、
今どこいるの、っていうか生きてるの?!』
「生きてますよ」
生きてなかったら電話など掛けれる筈もない、残念ながら今すぐ立って戻ることは叶わないだろうけれど。そういえば、打ち合わせ終了の報告をしてからもう一時間は経っていた。そしてこのドンパチだ、恐らくテレビ中継されているであろうこの状況、そりゃあ生死の心配もされて当然だろう。
「取り敢えず無事なんですけど、今日は多分戻れないと思うんですよねぇ」
『無事ならなんでもいいわよ、明日気を付けて来なさいね』
「はぁ、生きて帰れたらそうします。それじゃあ」
存外呑気な先輩は、取り敢えずの無事を伝えると安心したようだったので早々と電話を切る。流石にこのまま電話を続けるほど自分は呑気ではなかった。何せ、先程から銀髪の青年が懸命に戦っている相手の腕が飛んできたのだから。
ひょいっと身を屈めて避けると、すぐにバンジージャンプかのようにしてその腕は戻って行った。逆再生のようなそれにひゅう、と思わず下手くそな口笛を吹いてしまった。それを端で見ていたのだろう、煩悶していた筈の少年はパクパクと口を開けて驚いたようにしてこちらを見ていた。
「この状況で、よく電話なんか出来ましたね!?」
「…ついうっかり、なんかごめんね」
「いや良いんですけど、別に良いんですけど!怖くないんすか、死ぬかもしんないですよ、俺貴方を守れるほど強くないんですよほんっとすいません!!」
「うーん、まぁ、その時は、運が悪かったなぁって諦めるしかないよねぇ」
そう、今日は中々どうして、運が悪かった。もう、この上ないくらいに運が悪かったのだ。休憩がてら寄ったカフェを出て、一本奥の路地に入ったその時、空から突然異界のものが降ってきたくらいには運が悪かった。正確には降ってきたのではなく吹っ飛ばされて来たのだろう、目の前だった路地が突然瓦礫の山に成り果てる瞬間というのは中々にシュールだった。地面に叩きつけられた異界のものはさして傷を負った風もなく、体勢を立て直す。その瞬間、赤い紐のような糸のようなものがそれに巻き付いた。斗流血法、そんなハスキーな掠れた声が落ちてきたと思った次の瞬間、今度は銀髪の青年が降りてきて、ジッポがカチリとなって、ぼんっと目の前が爆発した。こちらを見て、やべ、なんて声を漏らしていたが、ちんけな身体はその言葉の意味を聞けるはずもなく、その爆風に吹き飛ばされた。着地しようとしたものの結局失敗して、まだなんとか路地の形を保っていた壁に背中を打ち付けた。そして、痛みに耐えながらその場に座り込んで、銀髪の青年が戦っているのを見ていると糸目の少年が声を掛けてきた、という訳なのだ。いやはや、本当にどうしようもなく運が悪い。
「取り敢えず、こっから離れません?このままだとあの考えなしクソ銀猿先輩に巻き込まれちゃうんですけど」
「うーん、そうしたいのは山々なんだけど」
「だけど?」
無言で足首を指差してへらりと笑うと、糸目の少年はオーマイガッッッと叫びながら頭を抱えた。先程着地に失敗した原因は、単純に足首を捻ったということで。そして捻った足首は赤く腫れ上がっていた、多分捻挫しているのだろう、運の悪さもここまで来るといっそ笑えてくるから不思議だ。立ち上がることは恐らく出来る、だが背中へのダメージも相俟って恐らく移動速度は普段の半分以下になっていることだろう。
「ザップさん!アンタなんてことしてくれてんすかぁ!!」
「うるせー陰毛頭!俺だって民間人巻き込みたくねーよ!スターフェイズさんに何言われるかわかったもんじゃねぇ!!」
ぐるり、振り返った銀髪の青年─どうやらザップというらしい─は、その涼しげな顔に似つかわしくない涙と鼻水を浮かべながら、なんとも言い難い表情をしていたから、糸目の少年は思わず黙ってから、
「──うっわなんすかその顔ちょー面白いっすね」
などと宣うから、銀髪の青年は更にその形容し難い顔を歪めた。
「お前ほんっっっとあとで泣かすからな!!!!」
まるで子供のような捨て台詞に思わず瞬きをひとつしてから、思わずぷっと吹き出してしまう。先程糸目の少年によく電話出来るな、と言われたばかりで大変恐縮ではあったが、このやり取りに吹き出すなという方が酷だろう。小さな笑いにザップは益々顔を歪めた、申し訳ないと一瞬思ったが、まぁこれで怪我の件はおあいこということで。
「──あれ?」
流石に謝ろうともう一度ザップに視線を戻した時、はた、と先程の捲し立てるようなザップの言葉に、耳馴染んだ言葉があったことに気が付く。聞き間違いだろうかとも思ったが、彼の幅広い交遊関係を考えると、知り合いと踏んだ方が自然の流れなのかもしれない。これは、確証を得るためにひとつ問い掛けるべきか。
「ねぇ、今さっきスターフェイズって」
言わなかった?と続く筈だった言葉は、息と共に飲み込まれてしまった。一際大きな轟音、そして吹く突風。バサァッと髪が舞い上がる、あぁせっかくセットしたのになぁ、そういえば今日はスカートじゃなくてよかったなぁと頭の中だけは相変わらず妙に冷静だ。
「──何をのんびりしてるんですか、貴方は」
それから耳に届くのは、響きのある声だ。そちらへ視線を向けると明らかに人類とは違う姿が滑空していた。スタッと、降り立つ様は美しい、滑らかな肌によく似合いの無駄のない所作だった。
「はやく始末しないと、更に人的被害が増えますよ。だから一人では無茶だと言ったんです」
「だあああああうるせぇぞ魚類!!!」
「ツェッドさん!」
どうやら、新たな乱入者はツェッドというらしい。そして、彼らの知り合いなのだろう。ザップはこれ以上ないくらい顔を歪めているが、糸目の少年は神の助けと言わんばかりに指を組んで彼のことを拝んでいた。
「…ん?あの方は…」
「あの人はザップさんが巻き込んじゃった人です」
「俺だって好きで巻き込んだんじゃねぇっつってんだろクソ陰毛頭!つーかあの女が勝手に巻き込まれたんだよ!!」
仰る通りだ。髪をぺたぺたと直しながら、苦笑を滲ませるとツェッドとやらははぁと溜息を吐いたように見えた。何せ人類とは違う姿なのだ、読み取るのが中々どうして難しい、それでも多分彼は少年達と気心のしれた仲ということだけはわかった。つまり、危険人物ではないということで。
だからこそ、ひょいと抱き上げられてもなんの抵抗もしなかったのだろう、それどころか滑らかな感触にうっかりウォーターベッドに乗ったような感覚になってしまった。これは、所謂お姫様抱っこというものではないだろうか。恋人以外にされたことのない行為に驚きと恥ずかしさで一杯になるが、ツェッドは全く意に介していないようでさらっと銀髪の青年に対して言葉を投げ掛けた。
「でしたら、彼女にはすぐさま危険の及ばない場所へお届けするのが先決でしょう。貴方は何してるんですか、本当に」
「うるせえとっとと行けよ!!!」
「言われなくとも」
斗流血法シナトペ、そう小さく呟いた瞬間、また轟音が響いた。今度は堪える必要はない。紳士らしいツェッドに抱上げられしっかりと支えられているのだから。そして、眼前に広がるのは赤い十字架のような巨大なモチーフで、ぼんやりと見上げては、ふと綺麗だなぁと場違いにもそんなことを思った。
轟音と共に、先程からザップがひたすらに繰り越し切りつけている相手が潰れたのを視認した。文字通り一発百中、とでも言うのだろうか。いや、恐らくザップが削っていたからというのもあるだろうが、それにしても、あっさり過ぎるくらい簡単に異界のものは倒れた。そして、砂ぼこりの中、ただ一人立っていたのは赤い髪を靡かせたまるで獅子のごとき威厳を備えた男性だった。
「旦那ぁ!おっせーよ!!」
「すまない、あちらで思っていたよりも手間取ってしまった」
どうやら、やはりというかなんというか、彼らの仲間らしい。旦那、と呼ばれた青年は申し訳なさそうに頬をひとつ掻いてからその大きな背中を少し丸めて謝罪の言葉を掛ける。凶悪な顔つきに似合わず、心の優しい人なのだろうということは、その一連の動きですぐにわかった。
「ザップっち、尻拭いしといてもらってるくせにそういうこといわないの!」
「げ、姐さん!?」
「こっちも片付いたわ、あとは腹黒男待ちね」
いつの間にか、長身のブロンド美人までも側にいた。いや、恐らくあの赤髪の青年と共に来ていたのだろう、いくら長身の女性とはいえあの大きな背中に隠れるには十分過ぎるくらいの小柄さだった。しかし、美しい人だ。片目を眼帯で伏せられているとはいえ、その美しさには目を見張るものがある。同性から見ても、とても魅力的な凛とした女性だった。
「──あら?その子、どうしたの?」
ぼんやりとその顔を見つめていたせいだろう、不意に目が合った。オリオンブルーの瞳は綺麗で心臓がどぎまぎしてしまう。巻き込まれた、いや勝手に巻き込みに来てしまった旨を伝えようと唇を開いた瞬間、妙な既視感を覚えた。この人、何処かで見たんだっけ。そう記憶の片隅を漁り始めた頃、不意に聞き覚えのある声が耳に届いた。
「──盛大にやったなぁ、ザップ。こっちも片付いたよ、あとは一匹だけだね。…どうもこっちへ向かっているらしい。飛んで火にいる夏の虫、とはこの事かな」
パキン、張った氷が割れる音が鳴る。ほとんど反射的に滑らかな腕の中で思いきり身体を捩って、声の主の方へと顔を向けようともぞもぞ動き回る。自分を抱えてくれていたツェッドが慌てたように、どうかしましたか?なんて声を掛けてくれていたが、今はそれに返事が出来るほどの余裕なんてなかった。
ツェッドの肩越しに見えたのは、今朝ベッドで睦み合った愛しい恋人その人で。へらりと笑った顔なのに、どこか鋭い目をしているのは、戦闘してきたばかりなのだろうか。見たこともない表情に背筋がぞくりと震えた、怖い訳ではない、どうしようもなくときめいているのだろう。
「──スティーブン、さん?」
「──?」
ほぼ同じタイミングで名を呼び合った。蘇芳の瞳はこれ以上ないくらい丸くなっていたし、自分の目もこれ以上ないくらいに丸くなっていただろう。そうして、取り巻く人々がそれぞれ顔を見合わせたり首を傾げたり肩を竦めた時に、ようやく二の句が出てきた。
「「どうしてここに!?」」
奇しくも同じ言葉を発したのは、それだけ同じ時間を過ごしたということだろうか。
紐育がヘルサレムズ・ロットになり、非日常が日常へと変化しつつなってきたこの頃、新たな非日常が突如として舞い込んできた。この日の出来事は恐らく一生忘れないだろう。


to be continued...

ようこそアナザー

15/07/31
リクエスト企画【事件に巻き込まれたヒロイン、うっかり巻き込んでしまったライブラメンバー。それを見て大慌てのスティーブン※一般人設定】